※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<08/01/12〜16辺り|時間的にも国家ファンドの後。翻訳が面倒だったので、その辺りは1下旬>
破滅へといざなう
更に、
やはりまた反日愛国主義に特化した民族・国家エゴをもUNの舞台で持ち出している。
再び筆者の要約。(産経から)
もうこれに関しては全てを強調したい。
最低だ
一体どこまで汚く、卑怯で、厚顔無恥なのだろう
この手の反日愛国民族主義に醸成されたコリアン・エゴイズム(?コリアン・スプレマシー?)保有者が関わるともうロクな事が無い。
もうそんな事は火を見るより明らかだろうに
破滅へといざなう
更に、
やはりまた反日愛国主義に特化した民族・国家エゴをもUNの舞台で持ち出している。
再び筆者の要約。(産経から)
07/11/16
10月24日の「UN(国連)の日」に、米NYのUN本部にて行われた潘・事務総長主催のコンサートで、「『日本海を東海(とんへー/韓国の主張)』『竹島を韓国領(独島/韓国の主張:韓国による不法占拠状態)』などと表記した英文パンフレット」を配布しており、これに対して日本政府がUNと韓国に対して強く抗議していた事が11/15に判明した。
この「UNの日」コンサートは毎年行われる恒例行事で、この日は加盟国192の大使や外交官ら約1600人が出席。
潘の意向で、ソウル市交響楽団が公演を行い、ソウル市と韓国UN代表部がコンサートを後援した。
配布されたパンフレットの内容は韓国全般を紹介したもので、更には上記の身勝手な捏造やエゴが含まれていた。
外務省によると、過去、事務総長が主催するUNコンサートでこの様な例はないという(この部分少し判別し辛いのだが)。
今回は韓国のUN代表部が後援に付いた為、彼らが配布したので気付かなかった、との見方もある様だが、
UN側はその場で回収する措置も取らなかった。
日本政府の抗議に対し、UN事務局は、これは国連のパンフレットでないので事実関係を確認したい、と返答。
もうこれに関しては全てを強調したい。
最低だ
一体どこまで汚く、卑怯で、厚顔無恥なのだろう
この手の反日愛国民族主義に醸成されたコリアン・エゴイズム(?コリアン・スプレマシー?)保有者が関わるともうロクな事が無い。
もうそんな事は火を見るより明らかだろうに
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※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<08/01/12〜16辺り|時間的にも国家ファンドの後。翻訳が面倒だったので、その辺りは1下旬>
高濃度エゴの内部侵食は必ず問題を産み
だから駄目だと、ハナから釘を刺していたのだ。多くの人が。
その人は、公正、公平といった観点から大変離れた、非常に不純度の高い(反日)愛国・民族主義に溺れる韓国の前外交通商相で。
ご多分に漏れず、盧と共にその偏狭な反日的愛国・民族主義を撒き散らしてした人物で。
現UN(国連)事務総長官の潘基文(はんきぶん/バンギムン)だ。
もう、、やっぱりか、、またか、、、また韓国人か、、、もうウンザリだ、、、、!!!
と、、
また再び思わせるに十分な、
最早局地的なものに留まらない、外へ外へと醜く這い出すコリアン・エゴイズムのモデルケース。
それは
鬱屈した精神性やエゴを内包しつつ、素知らぬ顔で、或いは差別を盾と槍に、何らかの利益や権利を有するもの・組織に入り込み、そのエゴを増殖させる…
本当に、、書くのも疲れる…
高濃度エゴの内部侵食は必ず問題を産み
だから駄目だと、ハナから釘を刺していたのだ。多くの人が。
その人は、公正、公平といった観点から大変離れた、非常に不純度の高い(反日)愛国・民族主義に溺れる韓国の前外交通商相で。
ご多分に漏れず、盧と共にその偏狭な反日的愛国・民族主義を撒き散らしてした人物で。
現UN(国連)事務総長官の潘基文(はんきぶん/バンギムン)だ。
もう、、やっぱりか、、またか、、、また韓国人か、、、もうウンザリだ、、、、!!!
と、、
また再び思わせるに十分な、
最早局地的なものに留まらない、外へ外へと醜く這い出すコリアン・エゴイズムのモデルケース。
それは
鬱屈した精神性やエゴを内包しつつ、素知らぬ顔で、或いは差別を盾と槍に、何らかの利益や権利を有するもの・組織に入り込み、そのエゴを増殖させる…
本当に、、書くのも疲れる…
washington post staff writer
October 21,2007
United Nations:
South korea's former ambassador to the united nations,Choi Young-jin,will travel to Ivory Coast in the coming weeks to run the world body's peacekeeping efforts,making him the first south korean diplomat to lead a major U.N. mission in Africa, and the latest compatriot tapped for a significant position by U.N. Secretary General Ban Ki-moon.
The appointments have signaled South korea's emergence as a rising power on the international diplomatic stage.but they have fueled resentment among some U.N. employees and delegates who feel that Ban --- who became secretary general in January after serving as south korea's minister of foreign and trade --- is advancing the interests of his home government , which invested financially and politically in Ban's rise to the top.
" There is talk about Korean omnipresence in the [U.N.] secretariat, " said Samir Sambar , a retired Lebanese national who served as a high-ranking U.N. official for decades. " the impression is that Koreans are taking the decisions."
Ban and his aides said allegations of favoritism are wrong, and that some of the harshest criticisms smack of racism. he said that the south korea nationals he has appointed --- including Choi,who has served as a hight-ranking official in the united nation's peacekeeping department --- are highly qualified for their positions.
"This is just unfair, just unfair,just unfair," Ban said in an interview last month, nothing that south korean nationals have been historically underrepresented at U.N.. "i have intentionally ,deliberately tried to distance myself from korea. you may agree or not agree , but i have been troubled by the perception... that i have been relying too much on koreans."
The south korean government played a key role in promoting Ban's ascent to his job as secretary general, and the south korean mission to the UN has advocated Ban's favored causes, including proposed reforms for the UN peacekeeping and disarmament departments.Ban, meanwhile, has used his perch to prod south korea --- long in financial arrears --- to pay its bills on time and to lend attack helicopters for a peacekeeping mission in Darfur.
The hiring of nationals from one's own country is a delicate subject at the UN. the UN Charter requires that official take no instructions from their governments. but, like Ban, many top UN officials owe their jobs to support from their governments, and they sometimes remain involved in their country's political life.
同じく本稿は前の流れを汲む。/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<07/11/6|08/02/15僅かに改訂、付記>
余談:
前述した関ヶ原のくだり、宇喜多勢を率いて奮戦したのは、以前何度か触れた明石元二郎、その御先祖といわれるあの明石全登である。
そして、中山道の徳川本隊を手玉に取り翻弄して関ヶ原に遅参せしめた稀代の謀将・真田昌幸とは、もちろん真田幸村(信繁)の父親である。
そして更にその父親といえば、現在大河で描かれる上杉と武田の戦い、山本勘助のドラマ「風林火山」にも登場する武田家の謀将・真田幸隆でもある。幸村の息子、大助は父と共に大坂に入ってまだ若くに散った為、あまりその才を発揮する事が出来なかったが、彼も利発で将来を嘱望されていたらしい(父の幸村も同じで、大坂の陣に至るまでは父の名に隠れほとんど無名だった。)。おまけだが、容貌まで秀麗であったともいう。
余談:
前述した関ヶ原のくだり、宇喜多勢を率いて奮戦したのは、以前何度か触れた明石元二郎、その御先祖といわれるあの明石全登である。
そして、中山道の徳川本隊を手玉に取り翻弄して関ヶ原に遅参せしめた稀代の謀将・真田昌幸とは、もちろん真田幸村(信繁)の父親である。
そして更にその父親といえば、現在大河で描かれる上杉と武田の戦い、山本勘助のドラマ「風林火山」にも登場する武田家の謀将・真田幸隆でもある。幸村の息子、大助は父と共に大坂に入ってまだ若くに散った為、あまりその才を発揮する事が出来なかったが、彼も利発で将来を嘱望されていたらしい(父の幸村も同じで、大坂の陣に至るまでは父の名に隠れほとんど無名だった。)。おまけだが、容貌まで秀麗であったともいう。
同じく本稿は前の流れを汲む。/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<07/11/6|08/02/15僅かに改訂、付記>
【帰結/小沢辞任問題】
長くなったが、戻ろう。
小沢一郎は、こういった現状と、彼が考えた策の合理性を党に持ち帰り説明すれば必ず理解され、事が成ると考えた。これが分からないはずがない、と。ここまで民主党を育てたという自負もある。しかしながら役員会に掛けた所、その彼の考えとは裏腹に出て来たのはけんもほろろな反発と異論ばかりだったのだ。彼が、「イケる」と判断した事柄は、余りにも先を行っていたせいか、民主党の面々には即座に理解が出来なかったのだ。
「だったらどうするんだ!」
「ならばお前らでやってみたらどうだ」
「やってられるか」
現実を直視した上での政策実現への強烈な一手、これを拒否されるなら党首をやっていても意味が無い。
そういう意思表示でもある。そう思ったのも、何となく分かる。
と、
筆者にはそう見えたので、冒頭に記した様、安倍首相の時と似ていなくもないなあと、そう思えたのである。
小沢一郎らしい。
小沢一郎はやっぱり小沢一郎だったか。
でもなあ、諦めるにはまだ早いんじゃないかな?
随分と怒っている方々も多い様な最中に何ですが。
(※08/2/15付記:現在再び「小沢病」再発か?非常に不明な点が多い)(笑)3度目
【読売の反論、小沢の反論】
ところで、
読売グループが、どうもしきりに「大連立を持ち掛けたのは小沢一郎の方からである」とやっている。
【帰結/小沢辞任問題】
長くなったが、戻ろう。
小沢一郎は、こういった現状と、彼が考えた策の合理性を党に持ち帰り説明すれば必ず理解され、事が成ると考えた。これが分からないはずがない、と。ここまで民主党を育てたという自負もある。しかしながら役員会に掛けた所、その彼の考えとは裏腹に出て来たのはけんもほろろな反発と異論ばかりだったのだ。彼が、「イケる」と判断した事柄は、余りにも先を行っていたせいか、民主党の面々には即座に理解が出来なかったのだ。
「だったらどうするんだ!」
「ならばお前らでやってみたらどうだ」
「やってられるか」
現実を直視した上での政策実現への強烈な一手、これを拒否されるなら党首をやっていても意味が無い。
そういう意思表示でもある。そう思ったのも、何となく分かる。
と、
筆者にはそう見えたので、冒頭に記した様、安倍首相の時と似ていなくもないなあと、そう思えたのである。
小沢一郎らしい。
小沢一郎はやっぱり小沢一郎だったか。
でもなあ、諦めるにはまだ早いんじゃないかな?
随分と怒っている方々も多い様な最中に何ですが。
(※08/2/15付記:現在再び「小沢病」再発か?非常に不明な点が多い)(笑)3度目
【読売の反論、小沢の反論】
ところで、
読売グループが、どうもしきりに「大連立を持ち掛けたのは小沢一郎の方からである」とやっている。
本稿は前稿の流れを汲んだ続編でもあり。/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<07/11/6|08/02/15僅かに改訂、付記>
【歴史/切れ者の犯すミス】
例えば、織田信長、石田三成。彼らは天才、もしくは頭脳明晰な切れ者である。
彼らのミスも、彼らが天才であるゆえに犯してしまったのだと筆者は思う。
関ヶ原においては、
その歴史を小早川秀秋の様な者が決定付けてしまった。
あれについては、そもそも合戦そのものより畳の上での諜略合戦が本質ではあるが、それは(三成、家康とも)お互いに誤算はあった。
家康は、徳川本隊を凡庸ではあるが息子秀忠に任せ中山道を進ませ、本多(正信)、奥平、酒井、榊原など幾らかの有能な人材を補佐に充てた。しかしながらその本隊は、稀代の謀将、昌幸率いる信州の真田にいいように手玉に取られる様に上田城に張り付けられ、結果として合戦に遅参してしまうという大失態を演じた。たかだか千や2千の寡兵に、4万弱の大軍勢が翻弄されてしまったのだ。結果、家康は関ヶ原を自前の軍勢無しに戦わねばならないという最悪の事態に陥った。
一方で三成は、正義と大義に裏付けられた軍略があれば大半が従うだろうと考え、それなりの利益供与工作も試みたが、これも誤算が多い。事前に「参加せず」といった様な内通が多数あり、長宗我部や島津、それどころか名目大将の毛利までが動かない(吉川広家の独断内通によるとも)。それでも宇喜多勢が福島勢を、大谷勢が藤堂勢を壊滅寸前に追い込むなど、やや優勢にたち、「今彼らが合戦に加われば勝てる」といって三成が歯噛みしている折、彼らだって西軍が圧倒的に優位と判断すれば公でない内通など素知らぬ顔で加わろうもの。しかしながら実際に動いたのは、元は太閤秀吉の養子、正室は毛利輝元の養女といった様な西軍側の縁戚浅からぬ小早川秀秋だったのだ。与力したのではない。寝返ったのである。
これにより、赤座・脇坂・小川といった辺りも雪崩を打って東軍に寝返り、長期戦にもなるとみられた天下の大合戦は、何とも締まりのない、みっともない様で僅か一日にして終わった。
また、その関ヶ原における陣取りでも明らかに三成が採った布陣の方が良い。
その辺りは後の世の時は明治。日本政府が参謀育成の為、陸軍大学教官として雇ったドイツ軍人メッケル氏は、兵学の権威でもあり、非常に教育熱心な熱血漢でもあったそうだが、ある時そのメッケルは日本の軍人から関ヶ原の戦いの布陣図を見せられて、「どちかが勝ったと思われますか?」と質問された。その時は彼も即座に、「この布陣では必ず西軍が勝っただろう」と答えた。
しかしながら、結果は御存知の通り。
その裏切りや諜略などの顛末を聞くに及び、彼も改めて戦に勝利するには諜報、情報収集、分析が如何に重大事であるかを再確認し、学校でも強くそう指導したという。あの明石元二郎について幾分記した時にも書いたが、そういう事である。
さて、
こんな話をし出すと幾ら時間があっても足りないのだが(楽しいが…)。
関ヶ原については、実に奥深いものがあり、
人の姿というものが凝縮されている様にも筆者には思える。
それはよく言われる様な、関ヶ原での合戦、が全てでは決してない。
まだまだ研究の余地のある歴史であるとも思う。
<反目の結果>
【歴史/切れ者の犯すミス】
例えば、織田信長、石田三成。彼らは天才、もしくは頭脳明晰な切れ者である。
彼らのミスも、彼らが天才であるゆえに犯してしまったのだと筆者は思う。
関ヶ原においては、
その歴史を小早川秀秋の様な者が決定付けてしまった。
あれについては、そもそも合戦そのものより畳の上での諜略合戦が本質ではあるが、それは(三成、家康とも)お互いに誤算はあった。
家康は、徳川本隊を凡庸ではあるが息子秀忠に任せ中山道を進ませ、本多(正信)、奥平、酒井、榊原など幾らかの有能な人材を補佐に充てた。しかしながらその本隊は、稀代の謀将、昌幸率いる信州の真田にいいように手玉に取られる様に上田城に張り付けられ、結果として合戦に遅参してしまうという大失態を演じた。たかだか千や2千の寡兵に、4万弱の大軍勢が翻弄されてしまったのだ。結果、家康は関ヶ原を自前の軍勢無しに戦わねばならないという最悪の事態に陥った。
一方で三成は、正義と大義に裏付けられた軍略があれば大半が従うだろうと考え、それなりの利益供与工作も試みたが、これも誤算が多い。事前に「参加せず」といった様な内通が多数あり、長宗我部や島津、それどころか名目大将の毛利までが動かない(吉川広家の独断内通によるとも)。それでも宇喜多勢が福島勢を、大谷勢が藤堂勢を壊滅寸前に追い込むなど、やや優勢にたち、「今彼らが合戦に加われば勝てる」といって三成が歯噛みしている折、彼らだって西軍が圧倒的に優位と判断すれば公でない内通など素知らぬ顔で加わろうもの。しかしながら実際に動いたのは、元は太閤秀吉の養子、正室は毛利輝元の養女といった様な西軍側の縁戚浅からぬ小早川秀秋だったのだ。与力したのではない。寝返ったのである。
これにより、赤座・脇坂・小川といった辺りも雪崩を打って東軍に寝返り、長期戦にもなるとみられた天下の大合戦は、何とも締まりのない、みっともない様で僅か一日にして終わった。
また、その関ヶ原における陣取りでも明らかに三成が採った布陣の方が良い。
その辺りは後の世の時は明治。日本政府が参謀育成の為、陸軍大学教官として雇ったドイツ軍人メッケル氏は、兵学の権威でもあり、非常に教育熱心な熱血漢でもあったそうだが、ある時そのメッケルは日本の軍人から関ヶ原の戦いの布陣図を見せられて、「どちかが勝ったと思われますか?」と質問された。その時は彼も即座に、「この布陣では必ず西軍が勝っただろう」と答えた。
しかしながら、結果は御存知の通り。
その裏切りや諜略などの顛末を聞くに及び、彼も改めて戦に勝利するには諜報、情報収集、分析が如何に重大事であるかを再確認し、学校でも強くそう指導したという。あの明石元二郎について幾分記した時にも書いたが、そういう事である。
さて、
こんな話をし出すと幾ら時間があっても足りないのだが(楽しいが…)。
関ヶ原については、実に奥深いものがあり、
人の姿というものが凝縮されている様にも筆者には思える。
それはよく言われる様な、関ヶ原での合戦、が全てでは決してない。
まだまだ研究の余地のある歴史であるとも思う。
<反目の結果>