<博打>
酒、煙草とくればまあ次に博打もある訳だが、
これについても大体、特に見ておくべき、改善せねばならない点は先に述べておいた。(※右上リンク)伏魔殿の親玉と手下犬(特にカルトなど)については重複に重複を重ねまくっているが…(本当に疲れる…この阿呆どもは/苦笑)
まあここの部分でもその伏魔殿親玉と手下犬に繋がっている事は述べていた通りだ。
その様に、ここでまず特筆するならやはりそのパチンコなのだろう。
が、その注目すべき伏魔殿犬問題(親玉の対立構造プログラムとその犬、カルトと闇と半島エゴ、と省略するならそういう感じだ。とにかく、よく知りもせずに巻き込まれている被洗脳者、子、子弟や一般人が気の毒なのである。)は既に概ね示したので、多くそちらに譲るが、それにしてもそのパチンコ業界にも本当にその伏魔殿の工作犬が多そうで困ったものだ。まあ何度も言う通り、バクチの内容がどうではなく、そもそもこいつらのやっている事(他業務/伏魔殿犬活動)が駄目なのだ。犬いぬ書き過ぎか、、(苦笑)。
まず、カルトと混成した様なその伏魔殿の犬活動は、既にそう述べた通りふざけるなというもので、これは許されるものでない。
やめさせねばならないし、悪辣ならどんどん取り締まるべきだろうし、本人達からもうやめろというのだ。そんなみすぼらしい行いは。
で、次のポイントは、
かといって「バクチ/ギャンブル」が全て悪いという訳でもないのではなかろうかと思う事。
これは上記の酒、煙草と同様の理由からである。何れもしっかりした規制は必要だが、そこまで徹底的に禁止する世の中というのも、息苦しく、ちょっぴり詰まらない。
故に、競馬や競輪、競艇や、大分毛色は違うがトトカルチョ(サッカーくじ)、宝くじみたいなものの様に、公営なり、しっかりした規制があり、その収益は基本的に国や地域の、皆の為に使われるべきである(今のそれらでも改善すべき点、よろしくない部分があるならこれはやるべきなのは同じ。)。
今のパチンコやパチスロというのは、先にそう述べた通り、明らかに違法である私営賭博の誤摩化し逃げ口上で差別利権そのもの、そしてカルトと混成で伏魔殿の犬がわらわら居着いてしまっている。もう問題があり過ぎなのである。博打どうの以前のレベルの問題だ。
そして、これが蔓延している事(基本的に上記リンクを参照して欲しい。)。
時に海外に出てみると、自分の事や、自分の国の事もよく見えて来る、といった事もある。
その様に、私も海外へ行ってウロウロしたり生活をして、感じた事も色々あるがその中で、これも強烈に感じた事がある。
それが、このパチンコやパチスロ店の蔓延する日本の状態である。
完全に異常だ。
これも多くの方々が指摘される事で、まったくその通り。
どこの地方の駅に行っても大概パチンコがある、ここまで津々浦々飯屋の様に賭場が点在する日本の状況は、完璧に異常である。
これは、必ず上記の問題と併せて解決せねばならない。
とりあえず、
海外では多く、博打のある国ではカジノ経営(公営)がされており、そのカジノは、国によればかなり大きなものもあるが、基本的にある決められた地域・エリアで許可され営業している。皆、博打に行くなら、「博打にいくぞ」と決めて、車なり電車でその街へ向かって行くもので、また、行かなければカジノには辿り着けない。地理的、そういった規制の在り方でのそれなりの、あくまでもそれなりだが、それでもやっぱりこの方がまだケジメはあるというものだ。仕事帰り、学校帰り、或いは「途中」、子供の幼稚園の迎えの前に、、とか、そこらじゅうにある賭場に人々がフラフラ足を運んで金をスッている様な状況はイカレていると言ってよかろう。これであるから、先に述べたサラ金・闇金とワンセット化してのサブ・プライム、貧乏人転がしみたいな物事がまた蔓延するのである。
また、
その貧者転がしと繋がるキーである様に、博打というものには確かに中毒性がある。
これはまず間違いない。実を言うと、私も一時期博打にのめり込んでいた事もあった(苦笑)ので、これは分かる。
そしてその客(中毒患者?)にはおっちゃんおばちゃん、年配の客も多いが、やはり本当に若者が多い。店の中を見ればまあ分かるが、朝、パチンコ・パチスロ店に並んでいる人達を見てみればいい。
現在のこの業界は、人々の活力や、貧者の生きる権利、若者の夢を奪う。
無茶苦茶である。
ちなみに私は、そこそこ博打は強い方でトータルでも完全に勝っていたのだが、しかしこれで勝つ為の努力を思えば(朝並び、何人か後輩の代打ちやその並びまで使い、一回の博打で10万20万の金を使う事もある。我ながら阿呆だった…)その活力を他に向けた方が生産的であると考えた事、また、上記冒頭からある悪辣な問題をより知り(よく言われる様に、また前のリンクで示した通り拉致問題関連もある)、無視出来ない所にまで来た時点で、一切止めた。博打は結構好きなのだが、これではもうとても打てないと思った。
以降、一度も打っていない。
博打自体やっていないのだが、無理矢理博打というなら、たまに宝くじを買うくらいである(笑)。
戻って、
これらが上記の様々な理由と併せて、必ず規制が必要である理由だ。
でなく、この様な野方図を続ければ必ず破綻が待っている。シャブ、は無論絶対駄目だがアルコールでも過ぎれば中毒化したり、急アルで命を落としてしまう様に。
私が述べていたカジノ構想というのも、こういった事を念頭に置いている。
カジノ構想を考えるべきである。
そして、今のこの無茶苦茶なパチンコ・パチスロ業界も組み込めば良い。
津々浦々、飯屋の様に点在している無茶苦茶なパチンコを、法規制、国策として廃しこれを集め(もう差別利権もいい加減にしろというのだ)、そして伏魔殿の犬として肥大化したこの業界は、上記の様な異常な状態と経緯があったから業界規模が肥大していただけだ、当然だがその様に縮小させたものを、諸々の改革と共にしっかりとした規制の在るカジノへ組み込む事である。
そもそも、これもそうだが、人々の消費やエネルギーというものは、何か一つの対象が無くなったら霧散するものでない。
必ず保存され、他の消費や人間の活動、エネルギー、夢などへと向かって行くのだ。
カジノ構想、これにパチンコも組み込むならその際には、汚げな、余計な問題(記述の伏魔殿犬、カルト、関連諸々)は必ず捨て去り解決せねば、せっかくの新たなカジノもよりよくて楽しいものにならない。
そして、特定の業者が暴利を貪る様な状況は、公営国営なのだからまあ有り得ないが、これも決してあってはならず、記述の通り収益は国や地方の為に使われればよい。競馬や競輪などがそうである様に。そうすれば、現在のパチンコ・パチスロ業で働いていた、そちらに移った人達も、胸を張って公営カジノで働く事が出来る。別に後ろ指さされる事もない
そうして国営・公営カジノが出来たのなら、
また行きたいものである。ポーカーやルーレットに花札、麻雀、賽子博打、日本のカジノならこういうものもありかも知れない(笑/ないかな?)。で、パチンコやスロットもそこにあったら、また打ちたいものだ。余計な事は気にしないで。
楽しい博打として、他のそれと同じ様に。
追記:
どうせなら純AとかBとか言ってないで、やはりAT機や爆裂ストック機を打ちたいものである。パチンコなら、3段階の設定が付いていた頃のものが面白かった。現在の規制では「射幸心を煽る」だそうだが、だからそもそもピントがズレている、ボケているんだ。規制するならそこじゃない。そもそものパチンコの在り方だ。
で、だいたい
「博打に射幸心もクソもあるか」
というのだ。
博打というのは、まあ、駆け引きの楽しみというのもあるが、やはり射幸心そのものである。
博打はそういうものだから、射幸心が悪い訳でもなく、必要なのはその規制の在り方なのだ。
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