さて、話しは変わるが、
先稿にて幾つかの非常によいコメントを頂いたので、今稿ではこれを取り上げる事とする。
当然それを良しとしない故の提起である事は十分に理解した上で重ねるが、そんな事があって良いはずがない。
言論を力でねじ伏せようとする行為、それは則ち民主主義の破壊、崩壊を意味する(まあ、怪しげな活動をする者の中にはその民主主義自体を否定する連中もいる訳なのだが)。
そして世界にはそういった言論の無い国もある。実は近所を見回しても少なくない。
しかしそれが如何に不幸か、これは分かると思う。ごく端的に言えば、何か反対意見を言えばそこに待つのは弾圧や下手をすれば監獄、死、という事が十二分に有り得るからだ。
それにしても…
皮肉な事だが日本においてはそういった非民主思想を持つ者の言論すらも民主主義によって守られている。という事だ。彼らがそれを理解しているか知らんが
その「薄汚い力」というのも色々ある。一方でそういった「偉い人」と言われる権力を握った者の力もあれば、先述の様な組織、市民団体、以前にも少し述べたが「社会的弱者」と言われる非差別者の「逆差別」というのもある。そして、怪しげな宗教団体もそうだ。何れにしてもその様な薄汚い力に手を染めた時点で、その己の主張も言論も全て背景を失う。その様な(世を)ツルハシ片手に破壊して回る様な行為は、回り回ってその「薄汚い力」が自分にも降り掛かり得る原始社会への回帰を促しているという事だ。
ともかく、言論の自由。これは最も重要な民主主義の要だという事。
言論があり、その為の国会(立法府)がある。
これは中世封建体制から近代へと、(西洋物質文明と共に)明治の先人達が選んだ(輸入した)歴史でもある。
先稿にて幾つかの非常によいコメントを頂いたので、今稿ではこれを取り上げる事とする。
「(反対)意見を言うと力でねじ伏せようとする『チカラ』がどこかにある。これでいいのか」
当然それを良しとしない故の提起である事は十分に理解した上で重ねるが、そんな事があって良いはずがない。
言論を力でねじ伏せようとする行為、それは則ち民主主義の破壊、崩壊を意味する(まあ、怪しげな活動をする者の中にはその民主主義自体を否定する連中もいる訳なのだが)。
そして世界にはそういった言論の無い国もある。実は近所を見回しても少なくない。
しかしそれが如何に不幸か、これは分かると思う。ごく端的に言えば、何か反対意見を言えばそこに待つのは弾圧や下手をすれば監獄、死、という事が十二分に有り得るからだ。
それにしても…
皮肉な事だが日本においてはそういった非民主思想を持つ者の言論すらも民主主義によって守られている。という事だ。彼らがそれを理解しているか知らんが
その「薄汚い力」というのも色々ある。一方でそういった「偉い人」と言われる権力を握った者の力もあれば、先述の様な組織、市民団体、以前にも少し述べたが「社会的弱者」と言われる非差別者の「逆差別」というのもある。そして、怪しげな宗教団体もそうだ。何れにしてもその様な薄汚い力に手を染めた時点で、その己の主張も言論も全て背景を失う。その様な(世を)ツルハシ片手に破壊して回る様な行為は、回り回ってその「薄汚い力」が自分にも降り掛かり得る原始社会への回帰を促しているという事だ。
ともかく、言論の自由。これは最も重要な民主主義の要だという事。
言論があり、その為の国会(立法府)がある。
これは中世封建体制から近代へと、(西洋物質文明と共に)明治の先人達が選んだ(輸入した)歴史でもある。
あと数点述べるが、それにしても非常にいい指摘かと思われる。
先述の点もそうであるし。
「何が正しくて何が間違っているか分からない」
これについては、
であるから法律があり憲法がある。そしてそれを衆議で決める立法府(国会)があり、言論がある。そしてその余りブレずにある一定の(善悪なりの)価値観はどこからくるか。
そう。それが道徳であり、綿々と続いて来た文化や伝統なのだ。
それは一時に誰かが全てを決めた訳でない(例えば)脈々と続いてきた我が国の伝統や文化、そこから湧き出でる道徳が今も我々日本人の価値観に指針を与えている。
であるから伝統とは重い。一時の流行とは違う、我々一世代だけの考えではない重みがある。
故にこれを軽視し、蔑ろにする現代には多いに問題があろう。そんな事だから、ただ破壊を唱えるホエリエモンや村上、ヒューザーの様な無節操な人間がのさばれる土壌を作ってしまう。また道徳をないがしろにする教育界は荒れる。
これには歯止めをかけねばならないだろう。放置すればその先に待っているのは、無味乾燥な殺伐とした社会だろうからだ。
だから私も言う。教育は大事だと。
言うまでも無く、時代の次の牽引者とは、
間違いなく今学校に通っている子供達だからだ。
もう一つ
「個人の尊重も大事だけどある程度の線引きが必要なのでは?」
これもいい点を突いてる。
実は民主主義の陥り易い弱点とはこの部分である。
社会をなす個人個人がその権利や主張を様々にするからだ。これが度を超すと、、、
そう。俗に言う「悪しき個人主義」となる。
周りの事、つまり地域や社会、国や世界の事など「他人など知るか」「私はこうしたいんだ」とこうなってくるからだ。
ちなみに近代民主主義においては日・欧・米ともこの傾向が強い。アメリカなど国単位でこんな感じだ。
結局こうなるとまた、殺伐とした世界が待っている。
ではどうすれば良いのか。
確かに難しい。
だがこの問題点を踏まえればそれなりの形は見えてくる気はする。
それは、
「個人個人を尊重する民主主義の土台に、ある程度の、全体を慮るしっかりとした、伝統をも重んじる道徳が個にある。」という事。
その為に教育とは最重要であり、またそれがあれば
学ぶという事は何も学校に通っている幼・少年期だけでは決してないのだという認識も自然なものとなろうか。
そう、これらを表すよい言葉がある。
それは、『温故知新』という
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