日本の内政について、まあ何度も述べて来た事だが、外政とも当然絡むのだが人々の平穏、平和、幸せや治安といった意味でも、
何度も述べて来た事だが、スパイ防止法に併せ、
カルト規制法は絶対に必要である。
宗教界は無法地帯ではないし、そうであってはならない。
これらを野方図に放置すると、宗教界というのはカルトや下手をしたらテロリズム、或いはスパイや分断工作の温床になってしまう。
いや、世界では既にそうなっている。これは色々と示してきた。
集団エゴ、揮発性の高い歪んだ民族主義、労働力の収奪、脱税、営利目的、金欲、権力欲、(何だか、そのカルトでも最も汚らしくて書くのも嫌なのだが)性欲、あらゆる欲得、詐欺、恨みの念、(物理的、社会的、精神的)破壊欲求、
政治的権力指向・浸食形態の擬態型、スパイ関与、及びその偽装形態。
宗教界を無法地帯にしてしまうと、これら魑魅魍魎が跋扈する闇となってしまう。
これは、決してあってはならない。
また、これはNGO(非政府団体)やNPO(非営利団体)等の組織においても同じ事。これらについては、非営利に社会に寄与するという目的により認定されたものが運営するのであり、また税制面でも宗教と同じく優遇される部分がある。これらのどれを鑑みても、その組織運営の透明性は必要不可欠の至上命題である(収支・財務状況も公開すべきだろう)。はっきり言うが、現在あるものの中には胡散臭いというか、怪し過ぎるものも相当あると思っておいた方がいい。まあ、あの(社民党の赤軍かぶれ、辻元きよみ辺りがウロチョロしている)ピースボートなんかもそうだ。
また、そもそもカルトという言葉の指す意味が、日本においては「新興宗教」という狭い意味で定着している面もあるが、ヨーロッパ等ではこれは別に宗教のみにかかわらず前述の反社会的団体を指す。例えば環境カルトなどと呼ばれるものもあって、例のクジラ漁反対のエゴをテロ紛いに行なうシーシェパードといった様な団体や、またグリーンピースというのもよく言われる。
<食文化摩擦/煽動?>
ついでなのでこれも述べておくが、食文化についての超主観によるエゴ・ゴリ押しというのは、これも文化摩擦というか、その様な過激で分別のない行ないは違う方向での確執にまで飛び火しかねないものだと何故分からないのだろうか。例えば、クジラなどでは日本やノルウェー、アイスランド、ロシアなど、捕鯨国は国際的にも34カ国(国際捕鯨委員会加盟国82カ国中)もあり、何と米国などは捕鯨反対しているくせに捕鯨国であるという(本当に何なんだ、この国は)。また、カナダは捕鯨国で、この委員会を脱退しているともいう。
そもそも何で捕鯨に反対しているのか意味不明だし、単なるバッシングや、団体のアピール商法、外交カードに使うか確執でも煽りたいのかとすら考える事も出来ようか。もし、可愛いからとかいう理由なら、まあ分からんでもないが、なら「牛が可愛いから食うなボケ」と言われたら彼等はどうするのか?或いはヤギでも羊でも鳥でも豚でもいい。こんなものは単なる「スーパーエゴ」である。例えば、クジラのほかでもイヌイットのアザラシ漁や、例えば他にも韓国朝鮮である犬食や、チャイナでも犬や猫まで食すとも聞く(チャイナ料理は、正に何でも食べると聞いたが)。確かに、その辺りは食べないし、私も犬も猫も大好きで、そのペットとして慣れ親しんでいる事が多い辺りの者からすれば、ええ…可哀想、とも思うが、それはやはり文化なのであまりにとやかく言うべきものでないだろう。例えば、連れていた犬や猫を誘拐されて食べられたとかいうならシーシェパード並に激怒して構わないだろうが、幾ら何でもそんな事をする訳も無い。また、
そもそも、牛が神聖な生き物で非常に大切にしている地域の人々からすれば、食べまくっている実に多くの地域の私達(欧米、ラテンアメリカやアジアやロシアや色々な地域で)は非常に野蛮に映っているかも知れない。そういう言い方をするならば。
こういった問題は基本的に地域の食文化と主観、エゴの問題である。
まあまた、カルトらしく確執煽動という線も、これまで見て来た事から充分有り得る。
<戻って>
所で、
ヨーロッパでは反セクト法(カルト規制法)が概ねあり、多く対スパイ法も存在するが、先に見た様に米国などもカルトがたっぷり、日本などにおいても驚くべき事にことごとくザルなのである。というか、これらがほぼ未制定という有様だ。故に、カルトに関する様々な問題は後を絶たず、増加の一途を辿っている。スパイ関連も同じ。むしろこれらは、前述の通り偽装可能で実に絡み合うのである。特に民主国家で(いや、別に民主国家じゃなくてもそうなのだが)、同じくこれに不備がある所はきちんと考えて対処した方が良い。
一連の悪化モラトリアム、対立構造プログラム。
このスクリプト・プログラムに完全に組み込まれているカルトは多いと見てきた。理由は今まで散々述べて来た通りだ。
この不埒なプログラムを解除するにあたり、その他諸々の対処と共にこれらにもあたらねばならない。
そう、もう嫌という程述べて来た様にそんなものは必要ない。
それらは前述上記、以前からも切々と述べて来た通り、人々が平穏に、穏やかに和み融和していく上でも完全にその隔壁障害となってしまう。
そのほとんどが結局何なのだと言えば確執を産み、煽る様なものであるから当然である。
そんなものは要らない。あってはならない。
無くても、いや、無い方が必ず、皆が穏やかに、
普通にもっと楽しく生きていける。
それはそうだ、だからわざわざ闇を振り撒き確執を煽る様なものなのだから。
そして、カルト規制が為されてその集団の闇が解かれた時、その個が地域・社会に受け入れられる為に人の許す心も必要である。
それは、その個人がそのカルト活動から脱却しているという前提が重要であるが、ここから脱しても、世の中が受け入れないのであれば、その人々は行き場を失ってしまう。或る種、カルトとはそもそもそういった行き場の無い人、人の弱みや闇に付け入る隙を見出すものである。
寛容が無ければ、これもまた成り立たない。
カルトは、宗教が存在する為に、政治という理性が規制を掛けねばならない、最低限のルールの部分である。
そして宗教は政教分離の倫理を守り、政治とは距離を置き、穏やかに、緩やかに、
人の心の底流に流れる優しき大河の様であって欲しい。
それは別に、
大海へと悠々に流れる大河であっても、
小川のせせらぎであっても、
苔蒸し緑や岩から注がれる山岳、森林の清水であっても、いい。
それが人々の信教の或る種、自由である。
何度も述べて来た事だが、スパイ防止法に併せ、
カルト規制法は絶対に必要である。
宗教界は無法地帯ではないし、そうであってはならない。
これらを野方図に放置すると、宗教界というのはカルトや下手をしたらテロリズム、或いはスパイや分断工作の温床になってしまう。
いや、世界では既にそうなっている。これは色々と示してきた。
集団エゴ、揮発性の高い歪んだ民族主義、労働力の収奪、脱税、営利目的、金欲、権力欲、(何だか、そのカルトでも最も汚らしくて書くのも嫌なのだが)性欲、あらゆる欲得、詐欺、恨みの念、(物理的、社会的、精神的)破壊欲求、
政治的権力指向・浸食形態の擬態型、スパイ関与、及びその偽装形態。
宗教界を無法地帯にしてしまうと、これら魑魅魍魎が跋扈する闇となってしまう。
これは、決してあってはならない。
また、これはNGO(非政府団体)やNPO(非営利団体)等の組織においても同じ事。これらについては、非営利に社会に寄与するという目的により認定されたものが運営するのであり、また税制面でも宗教と同じく優遇される部分がある。これらのどれを鑑みても、その組織運営の透明性は必要不可欠の至上命題である(収支・財務状況も公開すべきだろう)。はっきり言うが、現在あるものの中には胡散臭いというか、怪し過ぎるものも相当あると思っておいた方がいい。まあ、あの(社民党の赤軍かぶれ、辻元きよみ辺りがウロチョロしている)ピースボートなんかもそうだ。
また、そもそもカルトという言葉の指す意味が、日本においては「新興宗教」という狭い意味で定着している面もあるが、ヨーロッパ等ではこれは別に宗教のみにかかわらず前述の反社会的団体を指す。例えば環境カルトなどと呼ばれるものもあって、例のクジラ漁反対のエゴをテロ紛いに行なうシーシェパードといった様な団体や、またグリーンピースというのもよく言われる。
<食文化摩擦/煽動?>
ついでなのでこれも述べておくが、食文化についての超主観によるエゴ・ゴリ押しというのは、これも文化摩擦というか、その様な過激で分別のない行ないは違う方向での確執にまで飛び火しかねないものだと何故分からないのだろうか。例えば、クジラなどでは日本やノルウェー、アイスランド、ロシアなど、捕鯨国は国際的にも34カ国(国際捕鯨委員会加盟国82カ国中)もあり、何と米国などは捕鯨反対しているくせに捕鯨国であるという(本当に何なんだ、この国は)。また、カナダは捕鯨国で、この委員会を脱退しているともいう。
そもそも何で捕鯨に反対しているのか意味不明だし、単なるバッシングや、団体のアピール商法、外交カードに使うか確執でも煽りたいのかとすら考える事も出来ようか。もし、可愛いからとかいう理由なら、まあ分からんでもないが、なら「牛が可愛いから食うなボケ」と言われたら彼等はどうするのか?或いはヤギでも羊でも鳥でも豚でもいい。こんなものは単なる「スーパーエゴ」である。例えば、クジラのほかでもイヌイットのアザラシ漁や、例えば他にも韓国朝鮮である犬食や、チャイナでも犬や猫まで食すとも聞く(チャイナ料理は、正に何でも食べると聞いたが)。確かに、その辺りは食べないし、私も犬も猫も大好きで、そのペットとして慣れ親しんでいる事が多い辺りの者からすれば、ええ…可哀想、とも思うが、それはやはり文化なのであまりにとやかく言うべきものでないだろう。例えば、連れていた犬や猫を誘拐されて食べられたとかいうならシーシェパード並に激怒して構わないだろうが、幾ら何でもそんな事をする訳も無い。また、
そもそも、牛が神聖な生き物で非常に大切にしている地域の人々からすれば、食べまくっている実に多くの地域の私達(欧米、ラテンアメリカやアジアやロシアや色々な地域で)は非常に野蛮に映っているかも知れない。そういう言い方をするならば。
こういった問題は基本的に地域の食文化と主観、エゴの問題である。
まあまた、カルトらしく確執煽動という線も、これまで見て来た事から充分有り得る。
<戻って>
所で、
ヨーロッパでは反セクト法(カルト規制法)が概ねあり、多く対スパイ法も存在するが、先に見た様に米国などもカルトがたっぷり、日本などにおいても驚くべき事にことごとくザルなのである。というか、これらがほぼ未制定という有様だ。故に、カルトに関する様々な問題は後を絶たず、増加の一途を辿っている。スパイ関連も同じ。むしろこれらは、前述の通り偽装可能で実に絡み合うのである。特に民主国家で(いや、別に民主国家じゃなくてもそうなのだが)、同じくこれに不備がある所はきちんと考えて対処した方が良い。
一連の悪化モラトリアム、対立構造プログラム。
このスクリプト・プログラムに完全に組み込まれているカルトは多いと見てきた。理由は今まで散々述べて来た通りだ。
この不埒なプログラムを解除するにあたり、その他諸々の対処と共にこれらにもあたらねばならない。
そう、もう嫌という程述べて来た様にそんなものは必要ない。
それらは前述上記、以前からも切々と述べて来た通り、人々が平穏に、穏やかに和み融和していく上でも完全にその隔壁障害となってしまう。
そのほとんどが結局何なのだと言えば確執を産み、煽る様なものであるから当然である。
そんなものは要らない。あってはならない。
無くても、いや、無い方が必ず、皆が穏やかに、
普通にもっと楽しく生きていける。
それはそうだ、だからわざわざ闇を振り撒き確執を煽る様なものなのだから。
そして、カルト規制が為されてその集団の闇が解かれた時、その個が地域・社会に受け入れられる為に人の許す心も必要である。
それは、その個人がそのカルト活動から脱却しているという前提が重要であるが、ここから脱しても、世の中が受け入れないのであれば、その人々は行き場を失ってしまう。或る種、カルトとはそもそもそういった行き場の無い人、人の弱みや闇に付け入る隙を見出すものである。
寛容が無ければ、これもまた成り立たない。
カルトは、宗教が存在する為に、政治という理性が規制を掛けねばならない、最低限のルールの部分である。
そして宗教は政教分離の倫理を守り、政治とは距離を置き、穏やかに、緩やかに、
人の心の底流に流れる優しき大河の様であって欲しい。
それは別に、
大海へと悠々に流れる大河であっても、
小川のせせらぎであっても、
苔蒸し緑や岩から注がれる山岳、森林の清水であっても、いい。
それが人々の信教の或る種、自由である。
追記:
末端信者や組織員というものも、何時もそうで、結構いい人達はいるものである。それはどんな団体でもそうだ。しかし、その団体が極めて悪辣であれば当然その伝播/電波を受け取る彼等もおかしくなるものである。カルトが社会にとってまず混乱と確執ばかり産むのは、カルト所以のその目的が宗教や政治、ボランティア等の社会的団体を偽装した多(他)目的組織に他ならないからである。取り敢えず破壊的なカルトというのは、まずあってはならない。これは最も目にする事が多いのでその言及が多くなるのは理解して欲しいのだが、日本にあるその創価学会や統一教会、オーム真理教(改名アーレフ)などの様なのは、何度も述べて来た様にそういったものである。破壊的カルトである実態というのはエゴやコンプレックスや欲をくっつけたスパイ組織の様なもので。先にも見て来た様に、サイエントロジー、モルモン、エホバ、色々山ほどあるな
そして、そう述べた様に、モルモンもエホバも、よく知らなかっただけで実態は同じである。
つまりまあ何度も述べて来た事だがカルトのカルトたる所以。
やはり、より直接的に見る機会が多くなるからだろうが(つまり、言語的にも。日本語を習得している信者が多い)、とにかく創価学会や統一教会というのはロクデモない、というかもう気持ち悪い。それら自身やカルト信者の飛散するエゴなりコンプレックスが。
伏魔殿親玉の威を借りて吠える、というか偉くでもなったような気にでもなっているのか、
全くもって眺めていて本当に痛々しい。
実態のない被害妄想、誇大妄想、自民族優越思想、
何度も述べて来た事だが、これらのカルトに見られる様な状態に半島全体が(分断状態にあって尚)陥り、実態は伏魔殿のこの上なき走狗であるのに
肥大化する根拠無き自民族優越思想(根拠有る優越思想というのも変な話だが。そんなものはない)みたいなものを世界的にどんどん撒き散らす
こんなものは、嫌悪するなと言う方が無理な話だ。
洗脳的な闇であるから、末端に酌量の余地はあろうが
そのみすぼらしさの余りあるコラージュ、ハリボテ加減には辟易するというか、とにかくもう鬱陶しいのだ。
ものによってとにかくまた小狡く悪いし。こんな真似を続けている限り韓国朝鮮に明るい未来などまずない。
何度も飽きる程述べて来た事だが、
そのヒステリックでな根源を植え付ける、麻薬(反日なり反米なりの煽動麻薬)を与え続けた親玉連中も輪を掛けて悪かろう。
所で、カルトに他にどんなのがあるのか見ていたら、崇教真光というのもあった。
これがもう、また溜め息が出て来る様な、上記らと同じ位薄気味悪いもので、とりあえずそのシンボルマークを見れば何なのかがこれも分かり易い。
神道モドキとユダヤ教とナチズム?もう、どないなりたいねんと突っ込みたいものだ。
あの、統一教会系という摂理とかいうこれもまた気持ちの悪いカルトもあったし、
やはり米国や欧州、その他世界にもその様な気持ち悪い薄気味悪いカルトは色々ある様だ。
カルトはもう要らない。No more Cults!
人々の平和や平穏、幸せ、というか人々の普通の生活や明るい未来の確実なる阻害団体達である。
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