ついでに付け加えると、
私は、以前述べた通り、自分の宗教観とはどうなのだろうと問いかけると、
これまで述べて来た様な感じで信仰宗教というものにあまりいいイメージを持っていなかったりもするのだが、、
まあそれでも、本当に緩やかにだがある宗教観、そしてそれが例えば何教とかと言うのならば、
何となく神道に禅、多分そんな感じに、
山、森、岩、水、大地、海、空、太陽、宇宙、という自然。またそこから、御先祖様という過去と現在と未来の繋がり。
大まかに言って、人が時にそう例えるその自然崇拝的な神の様な存在を、何となく有難く感じたり、恐れの様なものを感じたり、
道すがらに見付けたお地蔵様に、何となく手を合わせるのである。
お墓参りに行ったり、神社や寺に行ったら拝み、どなたかの不幸があったらほんのささやかな祈りを捧げる。
そう、別に、キリスト教教会に行ってお祈りした事もある。別に、イスラム教もよく知らないが、何かの折にお祈りする事もあるかも知れない。
それは、何となく、である。
まあ、好みはあるのだろうけど(笑)。
私は何か特定の偶像や崇拝対象としてそれを拝んだり祈ったりするのでなく、何となくお祈りする。
畏れ多い事はぼや〜っと、曖昧でいい。
ぼや〜っと曖昧に、遠くから眺めて、
何となく分かる事もある。
だいたいでいい
神道のある象徴として、とても興味深いというか、不思議だなあと思うのがそのご神体の鏡でもある。
自然を感じ、そして、己の内を観よ。
そう言われている様な気がする
<08年8月中旬>
私は、以前述べた通り、自分の宗教観とはどうなのだろうと問いかけると、
これまで述べて来た様な感じで信仰宗教というものにあまりいいイメージを持っていなかったりもするのだが、、
まあそれでも、本当に緩やかにだがある宗教観、そしてそれが例えば何教とかと言うのならば、
何となく神道に禅、多分そんな感じに、
山、森、岩、水、大地、海、空、太陽、宇宙、という自然。またそこから、御先祖様という過去と現在と未来の繋がり。
大まかに言って、人が時にそう例えるその自然崇拝的な神の様な存在を、何となく有難く感じたり、恐れの様なものを感じたり、
道すがらに見付けたお地蔵様に、何となく手を合わせるのである。
お墓参りに行ったり、神社や寺に行ったら拝み、どなたかの不幸があったらほんのささやかな祈りを捧げる。
そう、別に、キリスト教教会に行ってお祈りした事もある。別に、イスラム教もよく知らないが、何かの折にお祈りする事もあるかも知れない。
それは、何となく、である。
まあ、好みはあるのだろうけど(笑)。
私は何か特定の偶像や崇拝対象としてそれを拝んだり祈ったりするのでなく、何となくお祈りする。
畏れ多い事はぼや〜っと、曖昧でいい。
ぼや〜っと曖昧に、遠くから眺めて、
何となく分かる事もある。
だいたいでいい
神道のある象徴として、とても興味深いというか、不思議だなあと思うのがそのご神体の鏡でもある。
自然を感じ、そして、己の内を観よ。
そう言われている様な気がする
<08年8月中旬>
追記:
これは私の、何となくの宗教観なので、別に取り立ててどの宗教が特別でと言う様な話ではない。読まれれば分かるかとも思うが念の為。
色々な神様や仏様がいていいんじゃないのと、そして、曖昧でいい事もあって、遠くから眺めて分かる事もあると、そういう事が言いたかった次第だ。
所で、言うまでもないが悪いジジイ達よ、
私が言っている神さんはお前等の事なんかじゃない(苦笑)
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