<教育と志>
これは先の『税制補完その他数件2』や『俯瞰』とも密接に関連する話。
例えばだが、世の中で最も尊敬を集められる職業の一つに、医者や弁護士というものがある。
今、同じ医者でも公立病院、中でも経営が行き詰まっていたり大変な医院で、左程高くもない、いやどちらかと言えば安い給料で、しかし患者の為、地域の為、病院の為に歯を食いしばって頑張っている医者がいる。正に身を削って。
しかし一方で、そういった大変な状態を嫌い、或いは昨今、小児科や産婦人科などリスクの高い科目、外科とてそうだろう、これらを避け私立の美容整形だとかそういった方向へ流れ、高い給料を貰って高級車を乗り回す様な人もいる。
例えば弁護士でもそうだろう。腕があり、大事務所にあってクライアントは大企業ばかりのリスク回避だとかそういった話もあれば、街で地道に困っている人々を助けようとする人もいる。
それは確かに、別にどれも強制されるものではなく、どんな医者、弁護士になるのも自由で本人次第だ。
しかし、そういった人々の為の役に立つ立場と尊敬を集める様な、簡単でない職業に就く者が、自然と前者の方を目指し、志す様にする、導くのが教育というものであると思う。
例えば、他の公務員、他の職業とてそこまで厳密にでなくとも、そんな教育であれば多く、志、魂を持った人々が輩出される。
<日本の精神性というならば>
歴史的、伝統的な道徳哲学があり、
言うなればこれが日本の力の源であったのは以前何度か述べた通り。
それを、忘れかけている、この国は。しかし、取り戻そうとしている。
それは時に厳し過ぎる様に感じる事もあろうが、平時でも、特に動乱期には一筋の光明、力にもなった。
そこまでやたらめったらに厳しくなくてよいと思う。
そういうのは、非カルトの通常な穏やかな宗教で厳かに営んで頂ければよい。
多くの一般人は、そういったものの滋養も吸収しながら、望むのはまず最低限食える事と生命や尊厳を蔑ろにされない当たり前の生活である。
時に厳しく、優しくもある上記の力は、一本筋として内面にあればいい
例えば前にも述べたが、私のウチには神棚があれば和室にまた仏壇があり、
盆正月に墓参りや法要があれば、神社の神事に趣き、初詣、七五三、境内での相撲大会、遊んだり、かみさん衆が握ったオニギリを美味しく頂き、
クリスマスになれば洋間にキラキラしたツリーが飾られて、ケーキを食べたものである。
無節操と言われれば、そう言えばそうかもしれんが、
ゴリゴリにこだわって無用な争いや確執、果ては戦争まで起すよりはその位ええ加減な方がいい
必要なのは本来そこまで争う必要の無い部分に対する大らかさ、そして一方で人として決してやってはならない事のケジメ
私は、ぐうたらでええ加減かも知れんが、そこの所は何となくかもしれないが分かる。はっきりと分かる事も無論多い。
武士道、剣道、茶道、柔道、空手道、華道、、
道の精神というもの、あらゆる面から何かしらの真理というか、、己の内面というか、理や理想、というものを追究していくこれらが明らかに日本の力の源であるし、そうであった。
<08/9/25>
これは先の『税制補完その他数件2』や『俯瞰』とも密接に関連する話。
例えばだが、世の中で最も尊敬を集められる職業の一つに、医者や弁護士というものがある。
今、同じ医者でも公立病院、中でも経営が行き詰まっていたり大変な医院で、左程高くもない、いやどちらかと言えば安い給料で、しかし患者の為、地域の為、病院の為に歯を食いしばって頑張っている医者がいる。正に身を削って。
しかし一方で、そういった大変な状態を嫌い、或いは昨今、小児科や産婦人科などリスクの高い科目、外科とてそうだろう、これらを避け私立の美容整形だとかそういった方向へ流れ、高い給料を貰って高級車を乗り回す様な人もいる。
例えば弁護士でもそうだろう。腕があり、大事務所にあってクライアントは大企業ばかりのリスク回避だとかそういった話もあれば、街で地道に困っている人々を助けようとする人もいる。
それは確かに、別にどれも強制されるものではなく、どんな医者、弁護士になるのも自由で本人次第だ。
しかし、そういった人々の為の役に立つ立場と尊敬を集める様な、簡単でない職業に就く者が、自然と前者の方を目指し、志す様にする、導くのが教育というものであると思う。
例えば、他の公務員、他の職業とてそこまで厳密にでなくとも、そんな教育であれば多く、志、魂を持った人々が輩出される。
<日本の精神性というならば>
歴史的、伝統的な道徳哲学があり、
言うなればこれが日本の力の源であったのは以前何度か述べた通り。
それを、忘れかけている、この国は。しかし、取り戻そうとしている。
それは時に厳し過ぎる様に感じる事もあろうが、平時でも、特に動乱期には一筋の光明、力にもなった。
そこまでやたらめったらに厳しくなくてよいと思う。
そういうのは、非カルトの通常な穏やかな宗教で厳かに営んで頂ければよい。
多くの一般人は、そういったものの滋養も吸収しながら、望むのはまず最低限食える事と生命や尊厳を蔑ろにされない当たり前の生活である。
時に厳しく、優しくもある上記の力は、一本筋として内面にあればいい
例えば前にも述べたが、私のウチには神棚があれば和室にまた仏壇があり、
盆正月に墓参りや法要があれば、神社の神事に趣き、初詣、七五三、境内での相撲大会、遊んだり、かみさん衆が握ったオニギリを美味しく頂き、
クリスマスになれば洋間にキラキラしたツリーが飾られて、ケーキを食べたものである。
無節操と言われれば、そう言えばそうかもしれんが、
ゴリゴリにこだわって無用な争いや確執、果ては戦争まで起すよりはその位ええ加減な方がいい
必要なのは本来そこまで争う必要の無い部分に対する大らかさ、そして一方で人として決してやってはならない事のケジメ
私は、ぐうたらでええ加減かも知れんが、そこの所は何となくかもしれないが分かる。はっきりと分かる事も無論多い。
武士道、剣道、茶道、柔道、空手道、華道、、
道の精神というもの、あらゆる面から何かしらの真理というか、、己の内面というか、理や理想、というものを追究していくこれらが明らかに日本の力の源であるし、そうであった。
<08/9/25>
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