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書き綴っていたもの、某所にて公開していた随筆を(幾らか整理して)新たに開設公開。こちらの方は時事や政治、歴史や文化カルチャー等の話が多くなっております。(気分一新大規模改築。ほぼ整ってきたかな。ただ、過去原稿移植は進まず…)全エントリ一覧はまだ設置されていないので、ご不便をお掛けしますがカレンダー及び時系列アーカイブ等から飛んで頂くようお願い致します。製作は大変だねぇ…
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本稿は前稿の流れを汲んだ続編でもあり。/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<07/11/6|08/02/15僅かに改訂、付記>



【歴史/切れ者の犯すミス】


例えば、織田信長、石田三成。彼らは天才、もしくは頭脳明晰な切れ者である。
彼らのミスも、彼らが天才であるゆえに犯してしまったのだと筆者は思う。

関ヶ原においては、

その歴史を小早川秀秋の様な者が決定付けてしまった。
あれについては、そもそも合戦そのものより畳の上での諜略合戦が本質ではあるが、それは(三成、家康とも)お互いに誤算はあった。

 家康は、徳川本隊を凡庸ではあるが息子秀忠に任せ中山道を進ませ、本多(正信)、奥平、酒井、榊原など幾らかの有能な人材を補佐に充てた。しかしながらその本隊は、稀代の謀将、昌幸率いる信州の真田にいいように手玉に取られる様に上田城に張り付けられ、結果として合戦に遅参してしまうという大失態を演じた。たかだか千や2千の寡兵に、4万弱の大軍勢が翻弄されてしまったのだ。結果、家康は関ヶ原を自前の軍勢無しに戦わねばならないという最悪の事態に陥った。

 一方で三成は、正義と大義に裏付けられた軍略があれば大半が従うだろうと考え、それなりの利益供与工作も試みたが、これも誤算が多い。事前に「参加せず」といった様な内通が多数あり、長宗我部や島津、それどころか名目大将の毛利までが動かない(吉川広家の独断内通によるとも)。それでも宇喜多勢が福島勢を、大谷勢が藤堂勢を壊滅寸前に追い込むなど、やや優勢にたち、「今彼らが合戦に加われば勝てる」といって三成が歯噛みしている折、彼らだって西軍が圧倒的に優位と判断すれば公でない内通など素知らぬ顔で加わろうもの。しかしながら実際に動いたのは、元は太閤秀吉の養子、正室は毛利輝元の養女といった様な西軍側の縁戚浅からぬ小早川秀秋だったのだ。与力したのではない。寝返ったのである。

 これにより、赤座・脇坂・小川といった辺りも雪崩を打って東軍に寝返り、長期戦にもなるとみられた天下の大合戦は、何とも締まりのない、みっともない様で僅か一日にして終わった。


 また、その関ヶ原における陣取りでも明らかに三成が採った布陣の方が良い。
その辺りは後の世の時は明治。日本政府が参謀育成の為、陸軍大学教官として雇ったドイツ軍人メッケル氏は、兵学の権威でもあり、非常に教育熱心な熱血漢でもあったそうだが、ある時そのメッケルは日本の軍人から関ヶ原の戦いの布陣図を見せられて、「どちかが勝ったと思われますか?」と質問された。その時は彼も即座に、「この布陣では必ず西軍が勝っただろう」と答えた。

しかしながら、結果は御存知の通り。
その裏切りや諜略などの顛末を聞くに及び、彼も改めて戦に勝利するには諜報、情報収集、分析が如何に重大事であるかを再確認し、学校でも強くそう指導したという。あの明石元二郎について幾分記した時にも書いたが、そういう事である。


さて、
こんな話をし出すと幾ら時間があっても足りないのだが(楽しいが…)。

関ヶ原については、実に奥深いものがあり、
人の姿というものが凝縮されている様にも筆者には思える。
それはよく言われる様な、関ヶ原での合戦、が全てでは決してない。
まだまだ研究の余地のある歴史であるとも思う。


<反目の結果>

 例えばそれは親家康と親三成、といった表面的なものだけでなく、能吏派と武断派の反目とも言えば、近江派閥と尾張派閥、高台院派とお淀の方派の対立が存在した。というそんな説もある。

だが結局どちらにせよ、子飼い武将など豊臣恩顧の武将達が、
「どちらも豊臣の安泰を願いながらも激しく反目、対立した為」、
それをまんまと家康に利用されたのだ。

特に、そういった恩顧を深く感じていた人物ほど、その後は哀れである。

 戦に敗れ、家康の命により六条河原で斬首された三成はもとより、「豊臣の治世」の大家老・徳川家康を信じていた福島正則や加藤清正、浅野幸長らなども、「アッ!」と気付いた時には既に遅い。(清正などはそうも言えないのだが<政治家としても有能だった>)元々あまり頭の良い人物ではなかったから仕方が無いが、その親父同然の秀吉の遺児が滅ぼされるのも、最早指をくわえて見ているより他になくなった彼らは頭を垂れて徳川に恭順するより他になく、和解に尽力もしたが、「最早野心剥き出し状態」の家康を止める事は出来なかった。あまりの良心の呵責に、正則などは憔悴して酒浸りにすらなっていたと言われていた様にも記憶している。そして結局、特に徳川に危険視された彼らは何れかの形で排除されている。福島、加藤などは徳川の常套手段「言い掛かり」により御家取り壊し。加藤清正や浅野幸長などにはその死にすら疑念が残る。家康に暗殺されたのではないかとも言われる。前田利家、加藤清正、浅野幸長などと、この次期、家康の野心にとって都合の悪い人物が次々と死去しており、特に加藤、浅野などについては怪しい。共に死因は不明で腎虚(やり過ぎで、、というまあ精戯過多の様な話)病、ともいうが、そんな馬鹿な話があるだろうか。そして、大坂の陣、である。

 また、長宗我部も関ヶ原の時点で御家取り壊し。
毛利、島津は大減封、そして江戸の長きを徳川にイジメ抜かれた。


だが、
歴史が面白いのはこの後、幕末から維新に向けての中心勢力を担ったのが、
薩長土肥と言われる様に、その薩摩や長州、土佐なのである。まあ、また引っくり返したとも言えなくない。

そういった様に、関ヶ原、大坂の陣後、
その関ヶ原の研究を熱心に行ったのが、薩摩だともいう。

中途半端な分析、判断、気概で道を誤ったその事象を、江戸の250年に渡って反省、研究したのだ。

こういった辺りも面白い歴史である。



<現状認識の不足がもたらす悲劇>

つまり、

その関ヶ原(にしろ大坂の陣にしろ)、
結局は小早川秀秋やお淀の方(分かりもしない政治軍略にしきりに関与し、秀頼の出陣という「最強の切り札」まで子が可愛いばかりに握り潰し、結局落城とともに母子共々自害して果てるという「彼女が最も望まなかっただろう最悪の運命」を辿る)といった残念な者達によって決定づけられてしまう事となったのだ。


このセンテンスに辿り着くまで、随分と長くなった。
あと少し。


織田信長の方は、
天下布武を現実のものとし得る強大なものに国を育て上げて、あと少しという最中、領国の外郭、前線等に全て兵を出してしまい手元に兵を置かなかった所を家臣の謀反によって、その夢と生涯を終えた。しかもその謀反を起した人物が、明智光秀である。この場合は、その辺の阿呆ではない。教養も頭脳も持ち合わせた優秀な幹部、光秀だったのだ。

ミスは、そんな馬鹿げたリスクを、その辺りの優秀な人物が取るはずがないと決めつけてしまっていた事にある。


どちらにしろ、
天才、切れ者はこうしたポカをしばしばやってしまう。

しかし、

それでも数多のその功績は遺った。







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