拉致誘拐、国際テロであるこれを適当に済ますのならば、人権人権というその人権とは一体何なのだ!
拉致問題について、「自国民を拉致されるという横暴に対して問題意識が薄く、毅然とした態度を取らない様な国は日本くらいだ」という怒りの声を時々聞くが、そう。
本来ならどこの国だって、自国民を拉致されてそれを返さない、などというこんな状況は完全に戦争事由である。だが、現実的には日本の他、確かオランダやタイ、フランス、イタリア、マレーシア、レバノンなど数国、そして韓国に至ってはそれらどの国よりも多くの人々が北朝鮮によって拉致されているはずなのである。なのに、そこまで熱心である様でもない。どちらかと言えば、日本はかなり熱心にこの問題に取り組んでいる方だと冷静に見てある程度思う。山拓や加藤紘一やら平沢らの様な阿呆はともかく。
昨今の勘違い左派・的な風潮、昨今の強烈な弱者利権の根因たる逆差別の風潮
そしてそれらがのさばる社会は、実に弱者の権利だの人権だのと振り回すくせに、
その人権の最たるものを何故か軽視し、
その人権侵害を見てみないフリをする
ニセモノなのだ。そんなものは
日本だけじゃない。
同じ境遇にある各国
そう、拉致だけじゃない
その北朝鮮の歪んだ体制により激貧に落ち入って餓えている人々
そう、この間から大きく問題になったチベット・内モンゴル・東トルキスタン・台湾
チャイナ国内の共産主義以外の他思想、宗教の人々
チェチェンなどに見る様にロシア方面でもそうだ。
東南アジア、アフリカ、中南米
そして泥沼の中東
人権とは、一体何なのか?
しかし、こうやって一つずつでもちゃんと目を向けて向き合って、皆で考えてそして力を合わせてゆけば、そんな悲劇に苦しむ人が減っていくだろう。
日本は、言い続ければ善い。
色々難しい人権問題だが、最低限この拉致問題などは、何処からどう見ても完全なる人権侵害問題なのだ。
だからむしろ、一番熱心な日本が臆する事無く、他の被害国や世界をリードすれば善いのである。
各国や、人々の、その正義感や善なる性質を呼び覚ますのだ。
あなた方は自国民が拉致誘拐されても平気ですか?救い、取り返す気は無いのかと。
__________________
中山補佐官らの意見をよく聞くべき。勿論、家族会や議連、そして国民の声を!
そして、噛んで含むようにでも、毅然と、何度でも伝えるべきである。
この問題について日本に妥協などない。
拉致問題の解明と被害者の帰還は、外交の利害取引きではない
この問題は、利害の取引きではない
我が国は、当然の事を当然として、国民を守らねばならないのだと。
そんな根源の様な物事が果たされぬまま、安易な制裁解除や国交交渉、人道支援がどうなどと言った様な馬鹿げた話は聞き入れられるものではない。
首相、議連、家族会でもメディアでも国民一人一人ででも、何ででも、
アメリカへもよくよく伝える事です
日本国民、韓国やその他各国の国民を拉致誘拐した国際テロに、日本は決して屈しない
友人、同盟国でもある貴国には、真摯な態度を期待するものである
しかしもし、これらの問題を無視して適当に済まそうとするのならば、それは両国の信頼関係を大きく損なうものであると認識して欲しい
この問題は、外交の利害取引きだとか、それ以前の問題である。
核問題につきもののエネルギー見返り支援だとかそういった、現在の世界情勢ではある程度交渉余地ある事案と、拉致問題ではそもそも次元が違うのだ。その問題が同時に同国対象で起こっているだけであり、だからといってどちらかが軽視されるものでもなくプライオリティーとして両問題が並立して最上位に位置するべきである。その上で、完全なる国際テロ、最たる人権問題である拉致問題に利害取引きの性質は無いし、また決してあってはならない。つまり、少なくとも被害当事国の一つである日本としては、拉致問題解決は他問題以前の前提問題であるという姿勢で善いのだ。どんどん国際社会に訴え、呼掛けて理解を求めれば善い。
そもそも米国はこの期に及んで、何でそんないい加減な交渉をまたしたがるのか?
また、インド洋での協力についてどれだけ日本が、国際社会もそうだが実質当事者国である米国を助ける為に配慮して苦労したか、もう忘れたのか?
インド洋での海自給油については、日本は内閣が空転する程、あれだけ散々に揉め、3分の2強行を使ってまでして、そして助けたのである。同盟国だからだ。
そして法や自由、人権といった基本的な価値観を共有する友国であるからこそ日・欧州等の国々も、その人命という最大の人権侵害に対して、大義的にも協力してきたのである。なのに、のど元過ぎれば何とやらで、自分達だけ良ければそれでいいのか?まったく冗談じゃないのだ!
(※国際的な役割という部分は当然あるが、それが、どれだけ窮していた米国の助けになったか、配慮があったか分からないとは言わせない。これはそうとう米国にも効いていたはずだ。そこで、
アーミテージ氏は、日本が洋上給油再開を決定した後、日本に関心を持つワシントンの米国人関係者が日本人から「米国は決定をどう受け止めるのか。感謝しているのか」などと質問されたことを紹介。その上で「そうした質問は間違っている。(給油活動は)日本が世界における自らの役割をどう認識するかという日本自身の問題だ」と強調。他人の評価ではなく、自らの信念に従って行動するよう求めた(共同)
この様な事もあったそうだ。感謝するという米国議員の声は多く出、下院で確か感謝決議までして採択もされたはずである。アーミテージなどは特に親日家でもあり、米国の真っ当な政治家の一人であると思うし、これは正論と言えば正論なのだがズルい言い方で、どれだけ米国が日本に協力を求めていたかは明らかだ。シーファーも駆けずり回っていただろうに。相当の配慮はするものであるし、それがあったのは誰の目にも明らかなのだ。アーミテージが言っているのはあくまでも建前論と、あまりにイニシアチブを取られるのを嫌ってかわしているだけであり、本音では分かっている。だから、そんなのをはいそうですか、なんて聞いて納得していたら駄目なのだ。ただ、正論は正論ではあるし、まあアーミテージだからそこまで追い詰めなくてもいいかも知れないが、しかしながらちゃんと釘を刺して置く事は必要なのだ。何せ、あれだけ掻き回されて揉め倒したのだ、これでもし本当は感謝もしていないんだったら、友好関係考え直した方が善い。)
故にこれらからも、日本は自国民を守り、人権という大切な価値観を鑑み、またそれを訴える国際的な役割と考える為、米国が今回その様な適当な始末を望むならば日本はその様な条件では参加出来ない。くらい言えばいいのだ!
また、サミット前ではあるが、何でこんな時期にこの期に及んでまたこんな事を言い出したのかであるが、
メディアで幾らか言われていた様に、確かに今は、米国の現執行部は来年1月のブッシュの任期切れまでになにかの手柄が欲しいと考えている部分が大きかろう(日本国民、拉致被害者そっちのけで北朝鮮の悪しき方向の為に動き回る山崎やら平沢あたりの北利権は、ブッシュ以降ではこのいい加減な始末が難しいから、もうここしかないという北朝鮮の悪あがきに呼応してここまで無茶苦茶な動きをみせているのだ。)。勿論、その適当な始末で中東へ集中してどうにかしたいという思惑もある。
しかし、6カ国会議やその前に、この様ないい加減な真似をして会議の不調どころか同盟国を大いに怒らせ、信頼を損ねる事になれば、手柄どころかそれは失策となる。
この、功を焦り、勇み足で失策に失策を重ねる明らかな失策は、間接的に選挙にも響くだろう。
逆に、日本と共に真の解決へ向けたステップを確立したならば、それは真のステップ、成功として胸を張って言えるもので、評価にも自然と繋がる。関係各国、そして日本も、これを評価するだろう。
現ブッシュ政権の支持率は極めて低い。(AFPによれば直近のブッシュの支持率は25%以下。この低支持率は一過性のものでなく継続的に続いているのであり、最早80%近くのアメリカ人が今の米国のやり方、執行部を支持していないのだ。まあ、うちの福田も人のこと言えないんだけど、、、)
そして、度重なる失策と、何と言っても泥沼の中東に漬かっている上にサブプライムショックで経済、財政も非常にマズく、さすがにもうアメリカ人もウンザリといった厭戦気分と、そして自信喪失で意気消沈している部分が強いようなのだ。まあ、そらそうだろう。故にその分、このダウンスパイラルを何とか止めて、変えたいという想いは強くなる。当然だが、来年のその米国大統領選は相当な熱を帯びたものになるだろう。今のままの共和党では駄目だという事である。共和党が変わるか、オバマに変わるか。
(※オバマの外交政策はどんな感じなのかイマイチよくわからん。ただ、確かに魅力的な人物ではある様だ。マケインのブレーンにはアーミテージやマイケル・グリーンといった真っ当かつ優秀な辺りが居てがっちり支えるという事だそうで、ならばその姿勢はどっしりた真っ当なものへ、日米関係、意思疎通にも現執行部に比べてより、遥かにプラスになるだろう。アーミテージやグリーンというのは親日派でもあり、現在の執行部の意味不明な北との癒着には「どう考えてもおかしいだろう!」と怒っていた辺りでもある。つまり、まともなんですな。)
またしかも、日本は拉致被害者の家族としても国民の意見としても明らかにその拉致無視の適当な始末に反対し憂慮しており、もし、その様に進んだら進んだで下手をすれば福田内閣は終わるのじゃないか?政局が薄っら見えているが、どちらにせよ首相はサミットの成功を納める為にも、そんな馬鹿な話を適当に進めない事だ。サミット後に何があろうが、今はそれは忘れて福田さんはサミット終了までの、ここにかけろ!もうあんたはここしかない
であるから、この様な状況から、以上以下の事を噛んで含む様に話しても分からない、聞かないならば、
半年から数ヶ月で誕生する新しい大統領と協議する事とする、とすればいい。もし、今日明日(※G8外相会合/日米豪戦略対話)にでもテロ指定解除、、とか進めようものなら、これで上記通り「明らかに不正義である人権侵害を軽視して無視した為同盟国の信頼を大きく傷付けた」失策へと変化するので、何も善い事はなく、サミットまでにだとか、45日間の申告内容検証期間に考え直した方がいいと伝えるべきである。
その他にも、
いいですか、現状を良く見極めて
北朝鮮には大義などなく、経済も自らの失政でボロボロ、チャイナにまで足元を見られて、工作で翻弄していた韓国もハタと目を覚ましかけていた。
そして、米国も「やっぱり、、、」とライス→ヒル執行部も下手な手が打てなくなりつつあった。
だから、急に最近になってまた、やれ「米国は〜!!」「韓国が〜〜!!」とヤイヤイわめいたり、海に低質ミサイルを落としてダダこねてみたりしていたのだ。
(※この月6月上旬に韓国で起こった4万人規模、警官1万人投入、市民100人・警官40人以上が負傷/とかいう強烈な牛肉輸入再開反対の大規模デモは、確かに日本と同じで内容自体は本来的に反対されてしかるべきものだとは前から指摘してはいるが、時期的にあそこまでになるのはどう考えてもおかしいだろう。確か、前はそうでもなかったくせに。反日愛国民族主義によるヒステリック教育で精神と判断力を腐らせるから何かと言えばいざという時にこうなるのでもあるが、そもそも、李政権は始まったばかりで、金大中・盧時代の傀儡的親北政策の影響も残っていて、政権発足当時から運営が大変になるのは分かっていた事だ。支持率が下落だそうだが、これらも実に北朝鮮の工作で煽られている可能性が高い。)
(※実質的なリアル・パワーの側面としても、関係各国が、軍事・経済・情報・技術力等々あらゆる面において、北朝鮮が日米韓始め国際社会と対決するのは、ほぼ自殺行為であり、実に無意味である事を理解させれば良いのだ。よしんば暴発してみても、いざとなれば日本自衛軍単体の戦力でも戦えるし、ましてや同盟国である米軍は必然的に当事国にもなり、フランス・ドイツ・イタリア・イギリス・カナダなど欧州のNATO軍、オーストラリア軍、ニュージーランド、東南アジアだってなんなら協力を取り付ける事は出来るだろう。そんな状態で、「大義も戦力的有利も利益も壊滅的に無い」激貧状態の北朝鮮の為にどこかの軍が存亡を掛けてまで加勢すると思うか?まともな戦略家なら絶対そんな愚は犯さない。チャイナ軍ですらまず動かないだろうし、ロシアは動かないどころかむしろ北にとって敵軍となる可能性すらある。そして当然、韓国もそうだ。幾ら前政権までの北朝鮮傀儡的誘導工作があったとはいえ、在韓米軍が有る状態で間違っても北サイドにつく事は有り得ない。ましてや、李明博は韓国をそういった状態から変わる外交政策をとり始めている。よく考えるべきで、結局どうあろうとそんな悲劇のシナリオの戦地は、また、南北朝鮮半島なのだ。誰が、どこの国地域が最も傷付くのか考えてみたらいい。実に無意味に血が流れ、また南北朝鮮戦争状態に落ち入って北朝鮮は滅びる。彼らにとっても最悪のシナリオじゃないか。そんな醜いだけの悲劇より、もっと善い方法がある。以下へ↓)
それが何故分からない。
つまり、北朝鮮は手詰まりなのだ。
悪い事してるのも北で、困ってるのも、弱ってるのも、北朝鮮なのである。
日本も、もちろん韓国も、他の拉致誘拐被害国も、何を今更、本来堂々と発するべき、
「誘拐した自国民を返せ」
と言う事を憚っているのか。この期に及んで!
そしてこれはよりよい解決のチャンスでもあるのだ!
大前提の拉致問題をに併せ、核問題、麻薬や偽札などおおよその悪事から完全に手を引かせる事で、各国が許す、安全保障する事を取り決めて、
これらをそもそも弱り果てている北朝鮮に理解させれば、拉致、どころか核も全て解決に向かって行く。
そしてそれらを進め、段階的にテロ指定解除、制裁解除と進めていけばいい。
そうできたならそこから色々分かって来る事もあると思うし、更に善い方向へ持って行くドラスティックな方法も考えられるのだ。
つまり、全てが履行される事で、北朝鮮の金正日を受け入れてくれる第三国があるなら亡命させ、一気に「南北朝鮮統一」へのプロセスにすら進められるのである。
これには、各国拉致被害者や国民の理解を得る事も必要で、もしそれを考え、各国がやれるなら国民に問う事である。
これはあくまでも私個人の意見なのであるが、前からこれが本当にやれるならアリだと思ってそう言ってきた。最近似た様な話だ出てきて、ガセがどうとかと確か批判されていた様で、しかし私はその報道内容は今は見ていないのでそれは置いておくが、私個人の意見としては、拉致問題も核問題も、全ての懸案と無益な対立が解決されるなら、これを許しても善いと思う。それは勿論聞いてみないと分からないが、拉致被害者の家族の方々も、理解されるのではないかと思うがどうだろう。
甘いと言われる方もおられるかも知れないが、国家や国地域という規模の非常に大きな対立と闇を取り払うにあたり、マクロ的に見て、これならばやむを得ないと思うのだ。
皆さんはどうだろう。
ここまでやれるかどうかなんてそれは勿論分からないが、一つの案として協議しないよりしてみた方が選択肢も広がる。
北にとっても韓国にとっても、周辺国家、民族問題にも、最も穏やかな結果をもたらすのではないかと思うのである。
まずは、G8外相会合/日米豪戦略対話あたりである程度話すのだろうから、上記の方向と発展系を話し合ってみたら善い。
無論、こういう方法もあるがもし可能ならば良いかというのは、被害者家族にもちゃんと、正面から意見を聞いて、可能ならば理解を求めるのである。
戦略対話、つまり明日から来月のサミットまでに次の6カ国協議の日程や方向を段取りしたいのだろうが、日程など不都合なら後日に幾らでも変更がきくのだから上記の事を模索してみるべきである。中山補佐官にもよくよく、是非、ご意見を聞いてみるべし。
その実、最も穏やかで、恐らく誰にとっても救いのある、寛容なこれらの提案、
それにすら乗れないだとか、まだ、この上も、
拉致問題という外交利害以前の問題にすらいい加減に、適当に済ませようというのならば、
日本は、こんな馬鹿な話は知らん、と放っとけばいいのだ。
そして、当然だが金もビタ一文出してはならない。
先に書いた通り、こんないい加減な始末は誰の為にもならない。
手柄が欲しい辺りにも、それでは手柄にすらならない事を分からせるのだ。
そして米国に関しては、ブッシュの任期は数ヶ月後に切れるのだから次の大統領とよくよく話し合えばいい(45日間の申告内容検証期間もある)
福田総理は、
もうここにかけて欲しい。あんたはもうここしかない。
ここを米朝の妙な癒着に簡単に流されてリカバー出来なかったら、もう完全にそこらじゅうから見離される。
総辞職か解散だ。
初めてくらいかな?
貴方を応援するのは
ここを頑張れ!!
やって駄目だったらそれはそれでいい。努力したなら認める。
しかし万が一最上に上手く行ってそんな穏やかなプロセスの道筋を付けたら、
大手柄だよ?歴史に残る
何にもせずにただ事なかれで流されて、自侭な思惑とエゴの産物である癒着に妙な合意してきたら
その時は、もう完全にあんたの事は知らん
これから大一番続き、いっぺんくらい皆がびっくりする様な気合い見せてみなよ
貴方、日本国総理大臣でしょう!
拉致問題について、「自国民を拉致されるという横暴に対して問題意識が薄く、毅然とした態度を取らない様な国は日本くらいだ」という怒りの声を時々聞くが、そう。
本来ならどこの国だって、自国民を拉致されてそれを返さない、などというこんな状況は完全に戦争事由である。だが、現実的には日本の他、確かオランダやタイ、フランス、イタリア、マレーシア、レバノンなど数国、そして韓国に至ってはそれらどの国よりも多くの人々が北朝鮮によって拉致されているはずなのである。なのに、そこまで熱心である様でもない。どちらかと言えば、日本はかなり熱心にこの問題に取り組んでいる方だと冷静に見てある程度思う。山拓や加藤紘一やら平沢らの様な阿呆はともかく。
昨今の勘違い左派・的な風潮、昨今の強烈な弱者利権の根因たる逆差別の風潮
そしてそれらがのさばる社会は、実に弱者の権利だの人権だのと振り回すくせに、
その人権の最たるものを何故か軽視し、
その人権侵害を見てみないフリをする
ニセモノなのだ。そんなものは
日本だけじゃない。
同じ境遇にある各国
そう、拉致だけじゃない
その北朝鮮の歪んだ体制により激貧に落ち入って餓えている人々
そう、この間から大きく問題になったチベット・内モンゴル・東トルキスタン・台湾
チャイナ国内の共産主義以外の他思想、宗教の人々
チェチェンなどに見る様にロシア方面でもそうだ。
東南アジア、アフリカ、中南米
そして泥沼の中東
人権とは、一体何なのか?
しかし、こうやって一つずつでもちゃんと目を向けて向き合って、皆で考えてそして力を合わせてゆけば、そんな悲劇に苦しむ人が減っていくだろう。
日本は、言い続ければ善い。
色々難しい人権問題だが、最低限この拉致問題などは、何処からどう見ても完全なる人権侵害問題なのだ。
だからむしろ、一番熱心な日本が臆する事無く、他の被害国や世界をリードすれば善いのである。
各国や、人々の、その正義感や善なる性質を呼び覚ますのだ。
あなた方は自国民が拉致誘拐されても平気ですか?救い、取り返す気は無いのかと。
__________________
中山補佐官らの意見をよく聞くべき。勿論、家族会や議連、そして国民の声を!
そして、噛んで含むようにでも、毅然と、何度でも伝えるべきである。
この問題について日本に妥協などない。
拉致問題の解明と被害者の帰還は、外交の利害取引きではない
この問題は、利害の取引きではない
我が国は、当然の事を当然として、国民を守らねばならないのだと。
そんな根源の様な物事が果たされぬまま、安易な制裁解除や国交交渉、人道支援がどうなどと言った様な馬鹿げた話は聞き入れられるものではない。
首相、議連、家族会でもメディアでも国民一人一人ででも、何ででも、
アメリカへもよくよく伝える事です
日本国民、韓国やその他各国の国民を拉致誘拐した国際テロに、日本は決して屈しない
友人、同盟国でもある貴国には、真摯な態度を期待するものである
しかしもし、これらの問題を無視して適当に済まそうとするのならば、それは両国の信頼関係を大きく損なうものであると認識して欲しい
この問題は、外交の利害取引きだとか、それ以前の問題である。
核問題につきもののエネルギー見返り支援だとかそういった、現在の世界情勢ではある程度交渉余地ある事案と、拉致問題ではそもそも次元が違うのだ。その問題が同時に同国対象で起こっているだけであり、だからといってどちらかが軽視されるものでもなくプライオリティーとして両問題が並立して最上位に位置するべきである。その上で、完全なる国際テロ、最たる人権問題である拉致問題に利害取引きの性質は無いし、また決してあってはならない。つまり、少なくとも被害当事国の一つである日本としては、拉致問題解決は他問題以前の前提問題であるという姿勢で善いのだ。どんどん国際社会に訴え、呼掛けて理解を求めれば善い。
そもそも米国はこの期に及んで、何でそんないい加減な交渉をまたしたがるのか?
また、インド洋での協力についてどれだけ日本が、国際社会もそうだが実質当事者国である米国を助ける為に配慮して苦労したか、もう忘れたのか?
インド洋での海自給油については、日本は内閣が空転する程、あれだけ散々に揉め、3分の2強行を使ってまでして、そして助けたのである。同盟国だからだ。
そして法や自由、人権といった基本的な価値観を共有する友国であるからこそ日・欧州等の国々も、その人命という最大の人権侵害に対して、大義的にも協力してきたのである。なのに、のど元過ぎれば何とやらで、自分達だけ良ければそれでいいのか?まったく冗談じゃないのだ!
(※国際的な役割という部分は当然あるが、それが、どれだけ窮していた米国の助けになったか、配慮があったか分からないとは言わせない。これはそうとう米国にも効いていたはずだ。そこで、
アーミテージ氏は、日本が洋上給油再開を決定した後、日本に関心を持つワシントンの米国人関係者が日本人から「米国は決定をどう受け止めるのか。感謝しているのか」などと質問されたことを紹介。その上で「そうした質問は間違っている。(給油活動は)日本が世界における自らの役割をどう認識するかという日本自身の問題だ」と強調。他人の評価ではなく、自らの信念に従って行動するよう求めた(共同)
この様な事もあったそうだ。感謝するという米国議員の声は多く出、下院で確か感謝決議までして採択もされたはずである。アーミテージなどは特に親日家でもあり、米国の真っ当な政治家の一人であると思うし、これは正論と言えば正論なのだがズルい言い方で、どれだけ米国が日本に協力を求めていたかは明らかだ。シーファーも駆けずり回っていただろうに。相当の配慮はするものであるし、それがあったのは誰の目にも明らかなのだ。アーミテージが言っているのはあくまでも建前論と、あまりにイニシアチブを取られるのを嫌ってかわしているだけであり、本音では分かっている。だから、そんなのをはいそうですか、なんて聞いて納得していたら駄目なのだ。ただ、正論は正論ではあるし、まあアーミテージだからそこまで追い詰めなくてもいいかも知れないが、しかしながらちゃんと釘を刺して置く事は必要なのだ。何せ、あれだけ掻き回されて揉め倒したのだ、これでもし本当は感謝もしていないんだったら、友好関係考え直した方が善い。)
故にこれらからも、日本は自国民を守り、人権という大切な価値観を鑑み、またそれを訴える国際的な役割と考える為、米国が今回その様な適当な始末を望むならば日本はその様な条件では参加出来ない。くらい言えばいいのだ!
また、サミット前ではあるが、何でこんな時期にこの期に及んでまたこんな事を言い出したのかであるが、
メディアで幾らか言われていた様に、確かに今は、米国の現執行部は来年1月のブッシュの任期切れまでになにかの手柄が欲しいと考えている部分が大きかろう(日本国民、拉致被害者そっちのけで北朝鮮の悪しき方向の為に動き回る山崎やら平沢あたりの北利権は、ブッシュ以降ではこのいい加減な始末が難しいから、もうここしかないという北朝鮮の悪あがきに呼応してここまで無茶苦茶な動きをみせているのだ。)。勿論、その適当な始末で中東へ集中してどうにかしたいという思惑もある。
しかし、6カ国会議やその前に、この様ないい加減な真似をして会議の不調どころか同盟国を大いに怒らせ、信頼を損ねる事になれば、手柄どころかそれは失策となる。
この、功を焦り、勇み足で失策に失策を重ねる明らかな失策は、間接的に選挙にも響くだろう。
逆に、日本と共に真の解決へ向けたステップを確立したならば、それは真のステップ、成功として胸を張って言えるもので、評価にも自然と繋がる。関係各国、そして日本も、これを評価するだろう。
現ブッシュ政権の支持率は極めて低い。(AFPによれば直近のブッシュの支持率は25%以下。この低支持率は一過性のものでなく継続的に続いているのであり、最早80%近くのアメリカ人が今の米国のやり方、執行部を支持していないのだ。まあ、うちの福田も人のこと言えないんだけど、、、)
そして、度重なる失策と、何と言っても泥沼の中東に漬かっている上にサブプライムショックで経済、財政も非常にマズく、さすがにもうアメリカ人もウンザリといった厭戦気分と、そして自信喪失で意気消沈している部分が強いようなのだ。まあ、そらそうだろう。故にその分、このダウンスパイラルを何とか止めて、変えたいという想いは強くなる。当然だが、来年のその米国大統領選は相当な熱を帯びたものになるだろう。今のままの共和党では駄目だという事である。共和党が変わるか、オバマに変わるか。
(※オバマの外交政策はどんな感じなのかイマイチよくわからん。ただ、確かに魅力的な人物ではある様だ。マケインのブレーンにはアーミテージやマイケル・グリーンといった真っ当かつ優秀な辺りが居てがっちり支えるという事だそうで、ならばその姿勢はどっしりた真っ当なものへ、日米関係、意思疎通にも現執行部に比べてより、遥かにプラスになるだろう。アーミテージやグリーンというのは親日派でもあり、現在の執行部の意味不明な北との癒着には「どう考えてもおかしいだろう!」と怒っていた辺りでもある。つまり、まともなんですな。)
またしかも、日本は拉致被害者の家族としても国民の意見としても明らかにその拉致無視の適当な始末に反対し憂慮しており、もし、その様に進んだら進んだで下手をすれば福田内閣は終わるのじゃないか?政局が薄っら見えているが、どちらにせよ首相はサミットの成功を納める為にも、そんな馬鹿な話を適当に進めない事だ。サミット後に何があろうが、今はそれは忘れて福田さんはサミット終了までの、ここにかけろ!もうあんたはここしかない
であるから、この様な状況から、以上以下の事を噛んで含む様に話しても分からない、聞かないならば、
半年から数ヶ月で誕生する新しい大統領と協議する事とする、とすればいい。もし、今日明日(※G8外相会合/日米豪戦略対話)にでもテロ指定解除、、とか進めようものなら、これで上記通り「明らかに不正義である人権侵害を軽視して無視した為同盟国の信頼を大きく傷付けた」失策へと変化するので、何も善い事はなく、サミットまでにだとか、45日間の申告内容検証期間に考え直した方がいいと伝えるべきである。
その他にも、
いいですか、現状を良く見極めて
北朝鮮には大義などなく、経済も自らの失政でボロボロ、チャイナにまで足元を見られて、工作で翻弄していた韓国もハタと目を覚ましかけていた。
そして、米国も「やっぱり、、、」とライス→ヒル執行部も下手な手が打てなくなりつつあった。
だから、急に最近になってまた、やれ「米国は〜!!」「韓国が〜〜!!」とヤイヤイわめいたり、海に低質ミサイルを落としてダダこねてみたりしていたのだ。
(※この月6月上旬に韓国で起こった4万人規模、警官1万人投入、市民100人・警官40人以上が負傷/とかいう強烈な牛肉輸入再開反対の大規模デモは、確かに日本と同じで内容自体は本来的に反対されてしかるべきものだとは前から指摘してはいるが、時期的にあそこまでになるのはどう考えてもおかしいだろう。確か、前はそうでもなかったくせに。反日愛国民族主義によるヒステリック教育で精神と判断力を腐らせるから何かと言えばいざという時にこうなるのでもあるが、そもそも、李政権は始まったばかりで、金大中・盧時代の傀儡的親北政策の影響も残っていて、政権発足当時から運営が大変になるのは分かっていた事だ。支持率が下落だそうだが、これらも実に北朝鮮の工作で煽られている可能性が高い。)
(※実質的なリアル・パワーの側面としても、関係各国が、軍事・経済・情報・技術力等々あらゆる面において、北朝鮮が日米韓始め国際社会と対決するのは、ほぼ自殺行為であり、実に無意味である事を理解させれば良いのだ。よしんば暴発してみても、いざとなれば日本自衛軍単体の戦力でも戦えるし、ましてや同盟国である米軍は必然的に当事国にもなり、フランス・ドイツ・イタリア・イギリス・カナダなど欧州のNATO軍、オーストラリア軍、ニュージーランド、東南アジアだってなんなら協力を取り付ける事は出来るだろう。そんな状態で、「大義も戦力的有利も利益も壊滅的に無い」激貧状態の北朝鮮の為にどこかの軍が存亡を掛けてまで加勢すると思うか?まともな戦略家なら絶対そんな愚は犯さない。チャイナ軍ですらまず動かないだろうし、ロシアは動かないどころかむしろ北にとって敵軍となる可能性すらある。そして当然、韓国もそうだ。幾ら前政権までの北朝鮮傀儡的誘導工作があったとはいえ、在韓米軍が有る状態で間違っても北サイドにつく事は有り得ない。ましてや、李明博は韓国をそういった状態から変わる外交政策をとり始めている。よく考えるべきで、結局どうあろうとそんな悲劇のシナリオの戦地は、また、南北朝鮮半島なのだ。誰が、どこの国地域が最も傷付くのか考えてみたらいい。実に無意味に血が流れ、また南北朝鮮戦争状態に落ち入って北朝鮮は滅びる。彼らにとっても最悪のシナリオじゃないか。そんな醜いだけの悲劇より、もっと善い方法がある。以下へ↓)
それが何故分からない。
つまり、北朝鮮は手詰まりなのだ。
悪い事してるのも北で、困ってるのも、弱ってるのも、北朝鮮なのである。
日本も、もちろん韓国も、他の拉致誘拐被害国も、何を今更、本来堂々と発するべき、
「誘拐した自国民を返せ」
と言う事を憚っているのか。この期に及んで!
そしてこれはよりよい解決のチャンスでもあるのだ!
大前提の拉致問題をに併せ、核問題、麻薬や偽札などおおよその悪事から完全に手を引かせる事で、各国が許す、安全保障する事を取り決めて、
これらをそもそも弱り果てている北朝鮮に理解させれば、拉致、どころか核も全て解決に向かって行く。
そしてそれらを進め、段階的にテロ指定解除、制裁解除と進めていけばいい。
そうできたならそこから色々分かって来る事もあると思うし、更に善い方向へ持って行くドラスティックな方法も考えられるのだ。
つまり、全てが履行される事で、北朝鮮の金正日を受け入れてくれる第三国があるなら亡命させ、一気に「南北朝鮮統一」へのプロセスにすら進められるのである。
これには、各国拉致被害者や国民の理解を得る事も必要で、もしそれを考え、各国がやれるなら国民に問う事である。
これはあくまでも私個人の意見なのであるが、前からこれが本当にやれるならアリだと思ってそう言ってきた。最近似た様な話だ出てきて、ガセがどうとかと確か批判されていた様で、しかし私はその報道内容は今は見ていないのでそれは置いておくが、私個人の意見としては、拉致問題も核問題も、全ての懸案と無益な対立が解決されるなら、これを許しても善いと思う。それは勿論聞いてみないと分からないが、拉致被害者の家族の方々も、理解されるのではないかと思うがどうだろう。
甘いと言われる方もおられるかも知れないが、国家や国地域という規模の非常に大きな対立と闇を取り払うにあたり、マクロ的に見て、これならばやむを得ないと思うのだ。
皆さんはどうだろう。
ここまでやれるかどうかなんてそれは勿論分からないが、一つの案として協議しないよりしてみた方が選択肢も広がる。
北にとっても韓国にとっても、周辺国家、民族問題にも、最も穏やかな結果をもたらすのではないかと思うのである。
まずは、G8外相会合/日米豪戦略対話あたりである程度話すのだろうから、上記の方向と発展系を話し合ってみたら善い。
無論、こういう方法もあるがもし可能ならば良いかというのは、被害者家族にもちゃんと、正面から意見を聞いて、可能ならば理解を求めるのである。
戦略対話、つまり明日から来月のサミットまでに次の6カ国協議の日程や方向を段取りしたいのだろうが、日程など不都合なら後日に幾らでも変更がきくのだから上記の事を模索してみるべきである。中山補佐官にもよくよく、是非、ご意見を聞いてみるべし。
その実、最も穏やかで、恐らく誰にとっても救いのある、寛容なこれらの提案、
それにすら乗れないだとか、まだ、この上も、
拉致問題という外交利害以前の問題にすらいい加減に、適当に済ませようというのならば、
日本は、こんな馬鹿な話は知らん、と放っとけばいいのだ。
そして、当然だが金もビタ一文出してはならない。
先に書いた通り、こんないい加減な始末は誰の為にもならない。
手柄が欲しい辺りにも、それでは手柄にすらならない事を分からせるのだ。
そして米国に関しては、ブッシュの任期は数ヶ月後に切れるのだから次の大統領とよくよく話し合えばいい(45日間の申告内容検証期間もある)
福田総理は、
もうここにかけて欲しい。あんたはもうここしかない。
ここを米朝の妙な癒着に簡単に流されてリカバー出来なかったら、もう完全にそこらじゅうから見離される。
総辞職か解散だ。
初めてくらいかな?
貴方を応援するのは
ここを頑張れ!!
やって駄目だったらそれはそれでいい。努力したなら認める。
しかし万が一最上に上手く行ってそんな穏やかなプロセスの道筋を付けたら、
大手柄だよ?歴史に残る
何にもせずにただ事なかれで流されて、自侭な思惑とエゴの産物である癒着に妙な合意してきたら
その時は、もう完全にあんたの事は知らん
これから大一番続き、いっぺんくらい皆がびっくりする様な気合い見せてみなよ
貴方、日本国総理大臣でしょう!
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お久し振りである。
とは言っても、大変な量のメッセージがこぼれる様に溢れていたものであるから、
風の噂に多少を見聞きしては居たし、空の雲が動き、草がたなびくので、必ずしもそうでない事もあるのかも知れないが。
さて、
私はある理由があって、しばし沈黙した。
その意味がお分かり頂けただろうか。
物事には、きちんと事情を説明をしなければならない時がある。
また誰かに何かを頼む時には、ちゃんと礼儀や通すべき筋というものがあって、よしんばそれが出来ないにしても、
それでもやはり最低限やってはならない振る舞いや行いというものがあるのだろう。
度が過ぎると、例え如何に温厚な者でも恐らくうんざりしてくるのだ。
そしてそれらに手前勝手な屁理屈ばかりを幾ら並べてみても、本当は分かるだろう。自分の心に聞いてみれば善い。
もうどこから手をつけてよいかと悩むが、段階すらをもわきまえずそして盗む様な真似や、悪しざまに利用せんとするだけの表層的もの自体にもあるが、総体的に言って人の信頼や信義にもとる様な行為は、幾ら屁理屈を並べた所でそれはまやかしで、そんなことでは本当に大事な時に、本当に大切な事が人の心に伝わらない。
こういう私とて、実に色々とダラしがないので、それはそんなに、息も詰まる様な聖人君子的な事を指し細かい些末に目くじらを立てているのではない。それもこれも、というよりもこの稿全体が、最低限の、という話である。
しかしながら、何かが変わって来ているのも感じられる。
そんな声が聞こえるのだ。
その声には希望へと向かう生気の張りが帯びはじめ、光が輝きはじめている。
これは気のせいではないと思う。
______________
私は、ある理由があってここをとめた。
今はそれが必要だと判断したからである。
本稿は【ああ民族エゴ】【民族問題 × 歴史 × 精神疾患】から続く続稿。その最終章。/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<書き出しはこれの方が遅い。あと、追記追記で時間がかかった。07/11/下旬だが12月下旬から1月初旬まで追記改編にかかったはず。総じてしんどいものだったが、それなりに意義のあるものとなった気がする>
更に追記:
同じ国民であるのに、マイノリティーであるからと差別される。これはノーマルの差別主義であり、つまり不平等、不公平、格差を産むので当然確執を産む。これはあるべきでない。そうすると今度はマイノリティーの保護が叫ばれる様になると、これがまた過剰な保護に至る事もあり、それを悪用して利権を得ようとする輩が出て来る。これが逆差別。そうするとこれは今度はマイノリティーの優遇となり、当然、不平等、不公平或いは格差を産むのでマジョリティーとの確執を産む。どちらにしろ確執、衝突を繰り返せば互いの嫌悪は増し、増々亀裂を深めてゆく。当たり前の事なのだ。
ではどうすれば良い
公平であれば良いだけの事。
まず、少なくとも法的に平等である事だが、これは先進民主主義国では担保されているはず。
とすると後は社会的な雰囲気、こういうと難しいな、意識か。
ただ、そこでまずきちんと認識しておかねばならないのが、その国における身分、立場である。その国の国民と外国人が有する権利と義務は明らかに違うのだ、という事。当たり前の事なのだが、ここを取り違える人が多い。
人権と国民の権利、もまた全然意味が違うのだ。同じ国民の内にある民族的アイデンティティーと、「国民・外国人」間のそれを混同するから話がややこしくなるのである。アナーキズムも分からないでもないが、そんなものは今の所とてもじゃないが現実味のない宙に浮いた議論であるからそれはしない。
まずここをきちんと認識しておかないと問題はグチャグチャになる。
その上で、同国民の民族的アイデンティティー。マジョリティーとマイノリティー問題だ。
前述の通り、これは結局後は意識の問題だと思う。
要は教育によってなだらかにしていくしかないと思うのだ。
私などは、どちらかと言えば同化論が良いのではないかと感じている。
人種・民族的な差別、確執が明らかに吹き荒れていた時代がせっかく終息を見せたのならば、次の時代は人種・民族の独立より次の段階へ、融和へと向かった方が良いと思うのだ。これは、あくまでもそれなりの成熟を迎えている民主主義国家についてではある。覇権指向を振り回して、前代的侵略行為を続けている様な国家においては、これは単なる実行支配の言い訳にしかならない。
ともかく、これからの時代、あまりに民族民族とアイデンティティーにこだわり過ぎてもロクな事にならないと思う。そうであるより、同じ国民としてある程度の幅をもって融和してゆくのが最も良いのでないか。
それは個々の民族的アイデンティティーを消してしまえと言うのではない。歴史は歴史として、冷静に捉え、心に留めておく程度でいい。
そうでなくこだわり過ぎてしまえば、それはまた結局民族単位での隔壁となる事必至で、確執を産む温床となるのではないかと大変に危惧するのである。実際そうじゃないだろうか。最近もそういった民族的対立や確執というキナ臭い話が少なからず、チラチラと影を見せて来ている様に感じる。それは勿論今に始まった話ではないが、我が国だって同じなのだ。
であるから、過剰な民族教育、マイノリティーの保護、優遇といった様な考え方は結局誰の為にもならないと考える。またそんな団体組織なども、あって良い事などほとんどなく害ばかり産むだろう。少なくともそれが冷静な認識や融和的な姿勢を見せない敵対的なものであるなら確実である。そんな事よりも、これから必要なのは幅のある融和だと思う。ゆるやかに融け合って和んでゆく事なのだと思う。皆がふつうに生きてゆける為に。
多分、歴史学も医学的にもそういった事柄は裏打ちされてくるんじゃないだろうか。
民族だなんだの揮発性の高い話に付きものの、血だとかいった考え方も、民族的ルーツというものも、所詮パーセンテージの多寡であるに過ぎず、どこの国だってどこの民族だって往来する長い歴史の内にそれを共有しているはずだ。アジア、ヨーロッパ、北米、中南米、中東、アフリカetc、どこの国だって、どこの民族だって、単一民族、なんて考え方は一種の幻想であると私は思う。だから、いつまでもそんな事にこだわっていがみ合うのは何とも馬鹿馬鹿しい。
差別、逆差別。それは結局どっちも差別であり、多くの、民族という捉え方が、ここまでくればかなり、単に偏った見方であるだけなのでないかと、そう思えるのです。どちらにせよ、それを分断やナショナリズム、優越感や劣等感、利益、エゴの為にいじくり回す様なのは悪質、悪趣味であると、
そう思う。
ふつうでいいじゃないの
ダメですか?
更に追記:
同じ国民であるのに、マイノリティーであるからと差別される。これはノーマルの差別主義であり、つまり不平等、不公平、格差を産むので当然確執を産む。これはあるべきでない。そうすると今度はマイノリティーの保護が叫ばれる様になると、これがまた過剰な保護に至る事もあり、それを悪用して利権を得ようとする輩が出て来る。これが逆差別。そうするとこれは今度はマイノリティーの優遇となり、当然、不平等、不公平或いは格差を産むのでマジョリティーとの確執を産む。どちらにしろ確執、衝突を繰り返せば互いの嫌悪は増し、増々亀裂を深めてゆく。当たり前の事なのだ。
ではどうすれば良い
公平であれば良いだけの事。
まず、少なくとも法的に平等である事だが、これは先進民主主義国では担保されているはず。
とすると後は社会的な雰囲気、こういうと難しいな、意識か。
ただ、そこでまずきちんと認識しておかねばならないのが、その国における身分、立場である。その国の国民と外国人が有する権利と義務は明らかに違うのだ、という事。当たり前の事なのだが、ここを取り違える人が多い。
人権と国民の権利、もまた全然意味が違うのだ。同じ国民の内にある民族的アイデンティティーと、「国民・外国人」間のそれを混同するから話がややこしくなるのである。アナーキズムも分からないでもないが、そんなものは今の所とてもじゃないが現実味のない宙に浮いた議論であるからそれはしない。
まずここをきちんと認識しておかないと問題はグチャグチャになる。
その上で、同国民の民族的アイデンティティー。マジョリティーとマイノリティー問題だ。
前述の通り、これは結局後は意識の問題だと思う。
要は教育によってなだらかにしていくしかないと思うのだ。
私などは、どちらかと言えば同化論が良いのではないかと感じている。
人種・民族的な差別、確執が明らかに吹き荒れていた時代がせっかく終息を見せたのならば、次の時代は人種・民族の独立より次の段階へ、融和へと向かった方が良いと思うのだ。これは、あくまでもそれなりの成熟を迎えている民主主義国家についてではある。覇権指向を振り回して、前代的侵略行為を続けている様な国家においては、これは単なる実行支配の言い訳にしかならない。
ともかく、これからの時代、あまりに民族民族とアイデンティティーにこだわり過ぎてもロクな事にならないと思う。そうであるより、同じ国民としてある程度の幅をもって融和してゆくのが最も良いのでないか。
それは個々の民族的アイデンティティーを消してしまえと言うのではない。歴史は歴史として、冷静に捉え、心に留めておく程度でいい。
そうでなくこだわり過ぎてしまえば、それはまた結局民族単位での隔壁となる事必至で、確執を産む温床となるのではないかと大変に危惧するのである。実際そうじゃないだろうか。最近もそういった民族的対立や確執というキナ臭い話が少なからず、チラチラと影を見せて来ている様に感じる。それは勿論今に始まった話ではないが、我が国だって同じなのだ。
であるから、過剰な民族教育、マイノリティーの保護、優遇といった様な考え方は結局誰の為にもならないと考える。またそんな団体組織なども、あって良い事などほとんどなく害ばかり産むだろう。少なくともそれが冷静な認識や融和的な姿勢を見せない敵対的なものであるなら確実である。そんな事よりも、これから必要なのは幅のある融和だと思う。ゆるやかに融け合って和んでゆく事なのだと思う。皆がふつうに生きてゆける為に。
多分、歴史学も医学的にもそういった事柄は裏打ちされてくるんじゃないだろうか。
民族だなんだの揮発性の高い話に付きものの、血だとかいった考え方も、民族的ルーツというものも、所詮パーセンテージの多寡であるに過ぎず、どこの国だってどこの民族だって往来する長い歴史の内にそれを共有しているはずだ。アジア、ヨーロッパ、北米、中南米、中東、アフリカetc、どこの国だって、どこの民族だって、単一民族、なんて考え方は一種の幻想であると私は思う。だから、いつまでもそんな事にこだわっていがみ合うのは何とも馬鹿馬鹿しい。
差別、逆差別。それは結局どっちも差別であり、多くの、民族という捉え方が、ここまでくればかなり、単に偏った見方であるだけなのでないかと、そう思えるのです。どちらにせよ、それを分断やナショナリズム、優越感や劣等感、利益、エゴの為にいじくり回す様なのは悪質、悪趣味であると、
そう思う。
ふつうでいいじゃないの
ダメですか?
本稿は前項目の流れを汲む続稿。/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<書き出しはこれの方が遅い。あと、追記追記で時間がかかった。07/11/下旬だが12月下旬から1月初旬まで追記改編にかかったはず。総じてしんどいものだったが、それなりに意義のあるものとなった気がする>
追記:
気になったので追記するが、人間社会の「ミクロ単位」で起こる、そういった過去の虐待経験が深く関連するかと思われる事例では、殺人、強姦、傷害などの極めて卑劣な重犯罪には必ず厳罰をもって処すべきであると考える。これは、国や民族という実に形のないものを、精神疾患と併せて考察したものとは相当に意味が違う。マクロにはそんな事は不可能であるし、もしそうするとしたら世界中が要刑罰となる。であるから、実体が無い、人の業、的に人類そのものが背負う罪には、大乗的に、冷静な歴史的アナライズ(分析)と現状に対処する治療法(負の連鎖を断ち切る事)こそが必要であると思うのである。それは本来ミクロ単位の人間においても同じ事ではあるが、やはりマクロとミクロでは違ってくる。
国以上の捉え方をするならば、今の世界はまだ未成熟でそこまでのシステムを構築し得ていない。少なくともこれだけは許されない、という最大公約数だけでも完全に行使出来る世界機関が必要なので、それがUN(国連)だ、とする方もいるかもしれぬが、残念ながら現在のUNにそこまでの力も公正さもない。国益や価値観、エゴ、それらがぶつかるのは当然だが、だとしても特定国の思惑に大きく左右されてしまう現在のシステムでは、出て来る結果は公正さに似せた異なるものでしかない。であるから、例えば数稿前でも触れた小沢一郎の考え方も、実に惜しいのだ。原理的に悪いものでない(と思うのだ)が、やや拙速で、そもそもの前提となる世界機関がまだ存在しない。リアルを飛び越えてしまっている。
だから私は、今、例えばEUが見せているものに次なるステップの光明を見ている。現実的に何とか成立させて、進めているそれはつまりリアリズムにも添っているのであり、そうやって人の最低限守るべきとする最大公約数を、社会から国、EUの様な幾らかの国の集まりへと、少しずつ、多分に平和的に広げてゆく事が、現状に対処する方法、負の連鎖を断ち切る為のシステムの構築として望ましいのだと。それは同時進行として、アジア、中東、北南米、アフリカでだって起こしていけてもいい。無論、何か間違えてその大きな単位が独善的なエゴを世界に押し付ける様になってしまうだとか、その単位で争ってしまっては元の木阿弥なのだが、そこまで大きな単位で戦争、という様な真似をすればそれこそこれは世界の破滅を意味するものであり、そこまで進め得た人々がそんな愚かな選択をする可能性も低くなるのでないだろうかとも思う。
ああ、そう、ミクロ単位の問題だが、
追記:
気になったので追記するが、人間社会の「ミクロ単位」で起こる、そういった過去の虐待経験が深く関連するかと思われる事例では、殺人、強姦、傷害などの極めて卑劣な重犯罪には必ず厳罰をもって処すべきであると考える。これは、国や民族という実に形のないものを、精神疾患と併せて考察したものとは相当に意味が違う。マクロにはそんな事は不可能であるし、もしそうするとしたら世界中が要刑罰となる。であるから、実体が無い、人の業、的に人類そのものが背負う罪には、大乗的に、冷静な歴史的アナライズ(分析)と現状に対処する治療法(負の連鎖を断ち切る事)こそが必要であると思うのである。それは本来ミクロ単位の人間においても同じ事ではあるが、やはりマクロとミクロでは違ってくる。
国以上の捉え方をするならば、今の世界はまだ未成熟でそこまでのシステムを構築し得ていない。少なくともこれだけは許されない、という最大公約数だけでも完全に行使出来る世界機関が必要なので、それがUN(国連)だ、とする方もいるかもしれぬが、残念ながら現在のUNにそこまでの力も公正さもない。国益や価値観、エゴ、それらがぶつかるのは当然だが、だとしても特定国の思惑に大きく左右されてしまう現在のシステムでは、出て来る結果は公正さに似せた異なるものでしかない。であるから、例えば数稿前でも触れた小沢一郎の考え方も、実に惜しいのだ。原理的に悪いものでない(と思うのだ)が、やや拙速で、そもそもの前提となる世界機関がまだ存在しない。リアルを飛び越えてしまっている。
だから私は、今、例えばEUが見せているものに次なるステップの光明を見ている。現実的に何とか成立させて、進めているそれはつまりリアリズムにも添っているのであり、そうやって人の最低限守るべきとする最大公約数を、社会から国、EUの様な幾らかの国の集まりへと、少しずつ、多分に平和的に広げてゆく事が、現状に対処する方法、負の連鎖を断ち切る為のシステムの構築として望ましいのだと。それは同時進行として、アジア、中東、北南米、アフリカでだって起こしていけてもいい。無論、何か間違えてその大きな単位が独善的なエゴを世界に押し付ける様になってしまうだとか、その単位で争ってしまっては元の木阿弥なのだが、そこまで大きな単位で戦争、という様な真似をすればそれこそこれは世界の破滅を意味するものであり、そこまで進め得た人々がそんな愚かな選択をする可能性も低くなるのでないだろうかとも思う。
ああ、そう、ミクロ単位の問題だが、
本稿は前項目の流れを汲む続稿。/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<書き出しはこれの方が遅い。あと、追記追記で時間がかかった。07/11/下旬だが12月下旬から1月初旬まで追記改編にかかったはず。総じてしんどいものだったが、それなりに意義のあるものとなった気がする>
<精神的疾患へ。またその改善には?>
長く物語るこの点で次に何が言いたいかと言えば、そういった歴史の加害と被害というものは、確かに何がしの関係性、繋がりを持つのではないか、と(私は)思うのだという事。実を言うとこれは、人個体がもつものと同根であるとすら感じるのである。
つまり、そこが負の連鎖だ。
であるからこそ、そこで「恨みを持ち続け育てる」等といった考え方や行為そのものが、その最悪のスパイスになると言うのである。
現代において徐々に解明されつつある人の精神的病理。
その中で、統合失調症とまではいかないまでも、パニック障害、脅迫性障害、摂食障害、睡眠障害等や、やや重く解離性同一性障害、心的外傷後ストレス障害、そしてリストカット等に見られるような自傷行為などの様にストレス性障害と呼ばれる精神疾患がある。(リストカットの様な自傷行為は、現状前者達と並ぶストレス性障害と認められていない様であるが、私は個人的に、多分に含まれると感じている。ただし、人格障害に含まれるとされる考え方はある様で<例えば境界性人格障害>、その捉え方により認識も治療法も様々である模様。)何れも、心因性の要因、器質性の要因、が存在すると考えられているものである。前者が過度のストレスなどによる精神的原因。後者は、砕いて言えば身体的器官の原因。更に内因性と外因性に分けられ、内因は脳の器質的原因と思われ、外因は脳を始めとした各器官へ外的に加えられた原因とされる(感染や脳卒中、または大麻や覚せい剤などの薬物乱用もこれにあたる)。
また、これらは何れも、症状自体の苦痛に加え、周囲/社会の無理解から起こる葛藤・齟齬、自己嫌悪(フラッシュバック的に発生する場合もあるので、未診断による自覚の無い場合など特に不可解な症状に甚だ困惑する)、ストレスの加重、症状の悪化、生活に支障発生、といったダウンスパイラルが起こり得るもので、複数の症状を併発する事もまま見られ、もしそれらを放置すれば悪化の一途を辿り、重度の統合失調症や躁鬱病の様な状態に成り得、最悪の場合、自殺に至る事もある。
こうしてみると、私はこれらが「ストレスの多い現代社会特有の病理である」という認識は確実に違うと感じている。
単に医学の発達と社会的な意識の変化により徐々に認識され、解明されつつあるというだけだと思う。例えば過去の偉人、政治家や武将や数多の有名な歴史的人物、文筆、音楽など様々な作家、俳優、起業家、或いは犯罪者にでも、とにかく何れかに該当する人物は非常に多いのでないかと考えている。実際、近現代においては診察を受けたり、その症状の自覚があった方々も多く存在する。ともかく、そういったストレス性障害というのは、ストレス社会と呼ばれる現代においても極めて身近なものであると認識した方が良い。
本当に、いつ誰がなってもおかしくはない。
そこで、
以前、人は過去に強い精神的なショック、または継続的な精神的負担を受け続けると、精神に異常を来す、とある折に触れた事がある。例えば、戦争や災害、テロ、事件、事故、虐待、苛烈ないじめ、などの被害から起こるものでそれなりによく知られるPTSD(心的外傷後ストレス障害)なども典型。重ねて言うが、ストレス性障害の様な精神的病理というのは、いわゆる俗に言うところの精神病ではないが、これも断じて馬鹿にすべきものでも軽々しく扱うべきものでない。ともかく、
そういったものの中でみられる傾向というものがあり、以前にも触れた事があるのでまた重複するが、ストレス性障害などにおける、耐え難き現状を継続する事に対し危険信号を送る為に顕在化する症状や事象とは、内なる破壊か、外への破壊である。とした。その大半の場合が内的破壊へと向かう(最悪の場合、自殺)。先に挙げた、パニック障害、脅迫性障害、摂食障害、睡眠障害、自傷行為、解離性同一性障害等等がまさにそれであり、内なる破壊により現状の改善無き継続へ危険信号を発する。この辺りもほとんど個人的見解であるので恐れずに書くが、全くもって身体の機能と痛覚神経の相関と同じじゃないかと思えるのだ。
そしてまた、それが外へ向かってしまう場合が稀にある。これも筆者の見解だが、
例えば、DV(ドメスティック・バイオレンス)を起す人、患者というのは、過去に自分自身も類似の虐待を受けていたというケースが大変多いという。また、猟奇殺人などの異常な犯罪行為や、重犯罪においても同様で、そういった犯罪者の実に多くが何かしらの虐待の様な、成長過程で強い精神的ショックを受けていた過去を持つ場合がある、という研究がどこのチームだったか忘れたが発表されていたのを記憶している。
つまり、この場合、暴力的・精神的虐待というものが、世代を越えて連鎖する。
<精神的疾患へ。またその改善には?>
長く物語るこの点で次に何が言いたいかと言えば、そういった歴史の加害と被害というものは、確かに何がしの関係性、繋がりを持つのではないか、と(私は)思うのだという事。実を言うとこれは、人個体がもつものと同根であるとすら感じるのである。
つまり、そこが負の連鎖だ。
であるからこそ、そこで「恨みを持ち続け育てる」等といった考え方や行為そのものが、その最悪のスパイスになると言うのである。
現代において徐々に解明されつつある人の精神的病理。
その中で、統合失調症とまではいかないまでも、パニック障害、脅迫性障害、摂食障害、睡眠障害等や、やや重く解離性同一性障害、心的外傷後ストレス障害、そしてリストカット等に見られるような自傷行為などの様にストレス性障害と呼ばれる精神疾患がある。(リストカットの様な自傷行為は、現状前者達と並ぶストレス性障害と認められていない様であるが、私は個人的に、多分に含まれると感じている。ただし、人格障害に含まれるとされる考え方はある様で<例えば境界性人格障害>、その捉え方により認識も治療法も様々である模様。)何れも、心因性の要因、器質性の要因、が存在すると考えられているものである。前者が過度のストレスなどによる精神的原因。後者は、砕いて言えば身体的器官の原因。更に内因性と外因性に分けられ、内因は脳の器質的原因と思われ、外因は脳を始めとした各器官へ外的に加えられた原因とされる(感染や脳卒中、または大麻や覚せい剤などの薬物乱用もこれにあたる)。
また、これらは何れも、症状自体の苦痛に加え、周囲/社会の無理解から起こる葛藤・齟齬、自己嫌悪(フラッシュバック的に発生する場合もあるので、未診断による自覚の無い場合など特に不可解な症状に甚だ困惑する)、ストレスの加重、症状の悪化、生活に支障発生、といったダウンスパイラルが起こり得るもので、複数の症状を併発する事もまま見られ、もしそれらを放置すれば悪化の一途を辿り、重度の統合失調症や躁鬱病の様な状態に成り得、最悪の場合、自殺に至る事もある。
こうしてみると、私はこれらが「ストレスの多い現代社会特有の病理である」という認識は確実に違うと感じている。
単に医学の発達と社会的な意識の変化により徐々に認識され、解明されつつあるというだけだと思う。例えば過去の偉人、政治家や武将や数多の有名な歴史的人物、文筆、音楽など様々な作家、俳優、起業家、或いは犯罪者にでも、とにかく何れかに該当する人物は非常に多いのでないかと考えている。実際、近現代においては診察を受けたり、その症状の自覚があった方々も多く存在する。ともかく、そういったストレス性障害というのは、ストレス社会と呼ばれる現代においても極めて身近なものであると認識した方が良い。
本当に、いつ誰がなってもおかしくはない。
そこで、
以前、人は過去に強い精神的なショック、または継続的な精神的負担を受け続けると、精神に異常を来す、とある折に触れた事がある。例えば、戦争や災害、テロ、事件、事故、虐待、苛烈ないじめ、などの被害から起こるものでそれなりによく知られるPTSD(心的外傷後ストレス障害)なども典型。重ねて言うが、ストレス性障害の様な精神的病理というのは、いわゆる俗に言うところの精神病ではないが、これも断じて馬鹿にすべきものでも軽々しく扱うべきものでない。ともかく、
そういったものの中でみられる傾向というものがあり、以前にも触れた事があるのでまた重複するが、ストレス性障害などにおける、耐え難き現状を継続する事に対し危険信号を送る為に顕在化する症状や事象とは、内なる破壊か、外への破壊である。とした。その大半の場合が内的破壊へと向かう(最悪の場合、自殺)。先に挙げた、パニック障害、脅迫性障害、摂食障害、睡眠障害、自傷行為、解離性同一性障害等等がまさにそれであり、内なる破壊により現状の改善無き継続へ危険信号を発する。この辺りもほとんど個人的見解であるので恐れずに書くが、全くもって身体の機能と痛覚神経の相関と同じじゃないかと思えるのだ。
そしてまた、それが外へ向かってしまう場合が稀にある。これも筆者の見解だが、
例えば、DV(ドメスティック・バイオレンス)を起す人、患者というのは、過去に自分自身も類似の虐待を受けていたというケースが大変多いという。また、猟奇殺人などの異常な犯罪行為や、重犯罪においても同様で、そういった犯罪者の実に多くが何かしらの虐待の様な、成長過程で強い精神的ショックを受けていた過去を持つ場合がある、という研究がどこのチームだったか忘れたが発表されていたのを記憶している。
つまり、この場合、暴力的・精神的虐待というものが、世代を越えて連鎖する。