遅くなりましたが、再びの新潟、その中越地震。
被災された方々にお見舞い申し上げ、復旧、復興へ向け、心あるボランティアの方々や自衛隊の方々と共に頑張って頂く様、応援致しております。また、米国を始め、支援を下さっている国や地域の方々にもお礼を申し上げます。
そして、元気出して下さい。
被災された方々にお見舞い申し上げ、復旧、復興へ向け、心あるボランティアの方々や自衛隊の方々と共に頑張って頂く様、応援致しております。また、米国を始め、支援を下さっている国や地域の方々にもお礼を申し上げます。
そして、元気出して下さい。
どうでも良くないんだが、、
このまま民主党に参院選取らせる気だろうか?
確かに民主党にも真っ当かつ有能な人物がいるのは分かっているが、まだまだ危うい。岡田や鳩山兄の様な、大して薬にも毒にもならん様なのならまだなんだが、菅直人辺りや、横道らの様な旧社会党系の亡者がウヨウヨいるのがまた実情でもある。進退を明言したらしい小沢一郎が本当にどんどん分からなくなって来る。
今イチはっきりはしないものの、国家観に関してはある程度の安心感があったのは自由党時代をある程度は見ていたからだ。しかしながら、なのだ。一平卒を通してきた合流初期はそれ故に顔自体が見えなかったものだが、民主党党首となってからは現在の通りだ。それは、横道グループの様な旧社会党系の影響が間違いなくあろうもので、ただし小沢からすればそれはあくまでも党内掌握の一環なのかも知れないが、国政に関しては特にその辺りがブレ出すと外から見て本当に分からなくなってくる。
「豪腕」と言われた様に、彼の持論は2大政党論であり、それだけでもなく政策実現を目指すならば過程(プロセス)は厭わないという独特のスタイルが在ったと思う。マキャベリズムの様なものだ。確かに、政治たるもの多数、与党を勝ち取らなければ何も出来ない、というのはその通りでもある。その辺を言い切っていたのも、一種彼の魅力となっていたハズだ。ただ、それにはその底辺に真っ当な国家観が備わっていてこそこれらにも一定の説得力が帯びて来るのだと私などは思うが、その辺りを灰色、もしくは玉虫色にして、果たして用を為すのだろうか。
しかしながら
社保庁、年金だ閣僚問題発言だ何だのと、噴出する時間外ゴミ出しで自民は腰砕け。
ただ今、追い風100m。
この機を逃している様では民主党の地力の無さは決定的となる。
選挙に強いと言われる小沢一郎をもってしてもダメなら、民主党はその存在意義すら問われていると思った方が良い。現に、「自民党には腹を据えかね、キツいお灸をすえてやりたいが、かと言って民主党は頼りない」との声も明らかに少なくはない。
選挙期間を目の前にしてあまり多くを言わないが(限りなく窮屈だ。いい加減選挙法も変えるべきでないかと思うが、恐らく特にネット関連などに関しても近い将来に改正される事となるだろう)、
それなりに多くを投げかける選挙となりそうだ。
断っておくが、今回の選挙は参院選である。
例え与党が参院において過半数を割ったとしても、例えば参議院により否決されても法案は衆議院に差し戻して2/3多数で可決される。しかしながらそれは、あまりにもみっともいいモノではなく、また
参議院の存在意義すら問われる事となる。
さて、どういう結果が出るのだろう
このまま民主党に参院選取らせる気だろうか?
確かに民主党にも真っ当かつ有能な人物がいるのは分かっているが、まだまだ危うい。岡田や鳩山兄の様な、大して薬にも毒にもならん様なのならまだなんだが、菅直人辺りや、横道らの様な旧社会党系の亡者がウヨウヨいるのがまた実情でもある。進退を明言したらしい小沢一郎が本当にどんどん分からなくなって来る。
今イチはっきりはしないものの、国家観に関してはある程度の安心感があったのは自由党時代をある程度は見ていたからだ。しかしながら、なのだ。一平卒を通してきた合流初期はそれ故に顔自体が見えなかったものだが、民主党党首となってからは現在の通りだ。それは、横道グループの様な旧社会党系の影響が間違いなくあろうもので、ただし小沢からすればそれはあくまでも党内掌握の一環なのかも知れないが、国政に関しては特にその辺りがブレ出すと外から見て本当に分からなくなってくる。
「豪腕」と言われた様に、彼の持論は2大政党論であり、それだけでもなく政策実現を目指すならば過程(プロセス)は厭わないという独特のスタイルが在ったと思う。マキャベリズムの様なものだ。確かに、政治たるもの多数、与党を勝ち取らなければ何も出来ない、というのはその通りでもある。その辺を言い切っていたのも、一種彼の魅力となっていたハズだ。ただ、それにはその底辺に真っ当な国家観が備わっていてこそこれらにも一定の説得力が帯びて来るのだと私などは思うが、その辺りを灰色、もしくは玉虫色にして、果たして用を為すのだろうか。
しかしながら
社保庁、年金だ閣僚問題発言だ何だのと、噴出する時間外ゴミ出しで自民は腰砕け。
ただ今、追い風100m。
この機を逃している様では民主党の地力の無さは決定的となる。
選挙に強いと言われる小沢一郎をもってしてもダメなら、民主党はその存在意義すら問われていると思った方が良い。現に、「自民党には腹を据えかね、キツいお灸をすえてやりたいが、かと言って民主党は頼りない」との声も明らかに少なくはない。
選挙期間を目の前にしてあまり多くを言わないが(限りなく窮屈だ。いい加減選挙法も変えるべきでないかと思うが、恐らく特にネット関連などに関しても近い将来に改正される事となるだろう)、
それなりに多くを投げかける選挙となりそうだ。
断っておくが、今回の選挙は参院選である。
例え与党が参院において過半数を割ったとしても、例えば参議院により否決されても法案は衆議院に差し戻して2/3多数で可決される。しかしながらそれは、あまりにもみっともいいモノではなく、また
参議院の存在意義すら問われる事となる。
さて、どういう結果が出るのだろう
行革関連の報道番組を見て、感じた事、気付いた事などを少々。
担当大臣の渡辺よしみ氏についてだが、この人なかなかおもしろいかも知れない。親父どのがあの「政界のミッチー」こと渡辺美智雄氏であり、それにしてもその風貌はそっくりだ。かつ弁舌の方も一部受け継いだのかと思われる。自民党党内では変遷あって無派閥であり、一匹狼と目される事も多いと言う。
まあ、その辺略歴は置いておいて、
現在ボロ雑巾の様な社保庁にも深く関連する行革の肝、「わたり」いわゆる天下りなど公務員制度改革も色々槍玉に上げられるのだが。私見としては、もう腐り切った社保庁など要らんだろうというもので、老朽化破裂した水道管から水が爆裂するかの如くに問題の噴出する、そもそもの年金制度も根本から変えねばもう立ち行かないと思うがどうだろう。私は税方式で良いと思う。その税源としてなら消費税の大幅アップがあっても確かな社会保障が担保される限り国民の理解も充分に得られる、と考える。
とりあえず、公務員制度改革についての大臣の答弁を見ていた限りではこの渡辺氏、仕事も出来そうだが、それよりも答弁の能力が際立っている様に感じた(つまりは仕事が出来るという事でもあるが)。この人、「説得」に向きそうだ。これは中々誰も彼もが持ち合わせている能力ではない。そういう意味では対メディアにも向いているのだろうか。実際にメディア向きと言うならば派手さや面白さなども重要な要素となってくるだろうから、小泉前首相の様な超絶のパフォーマンスや漫画閣下こと麻生外相の様な面白さ、窓際族のボヤキ的な面白さを含んだ平沢氏など、もっと言って有益かどうかを度外視すれば、ごく一部に奇異な支持を受けながらも大概は「また言っているよ」と呆れられる事で様式美と化している加藤紘一や山拓、はたまた共産党の小池や社民党福島や辻本などもそう言えるかも知れないが、そういう意味ではなく実務的な意味で。
そうすると、善し悪しはともかくそれら一連について何が大事な要素なのだろうと考えると、結局は『自分の言葉ではっきりと伝えようとしているか』に尽きると思う。誰かが書いたモノをただ棒読みしているか、あるいは言葉を選び過ぎてか当り障りの無い表現と態度に終止している様では誰も聞きはしないし面白くもない。あくまで政治の本流では無いが、しかしながら結局そういうものが大きく物事を左右するのは歴史上の人物を見ても確かにそうなのだ。信長や秀吉だけでなく、歴史上にも「魅せ方」を重視していた人物は数限りない。
ただ、人の才はそれこそ人それぞれなので、あくまでも実直であったり、寡黙でも人柄や能力が長けていれば民衆は支持する。それどころか我が国には「寡黙」こそを美徳とした伝統というか風習もあるが、それは今でもまだ死んでないのだろうか。極めて多情報化する現代ではどちらが良いとも、もう何が何だか分からなくなりもするが、どちらにせよ結局はその人柄に依存するのであろうから、出るなら「はっきりと自分の言葉で伝えようとする」事が大切なのではないかと言いたかった次第である。
ところで、渡辺大臣には「よう分からんカタカナ語」を連発する癖は改善された方が良いと進言しておきたい。そのよう分からんカタカナ語を駆使して空中戦で対論をねじ伏せる効果も無くも無いかもしれないが、せっかくの説得力が半減する、と筆者には感じられた。目下それをやって良いのはルー大柴くらいだ。もっとも彼の芸は後者ではなく、その滑稽さの表現にあるのだろうから。
追記:
自分の言葉ではっきりと伝える。その代表的人物をもう少し書くのを忘れていた。例えば、石原慎太郎現都知事だ。
もう、代表格と言っても過言でない。とにかく氏のそれは、会見でも対論でも何でも面白い。まして内容もあるからよりいい。ただ、先にも述べたが能弁に舌禍は付きものであるから用心も必要ではあるとは思うが、今の日本の政界にはそれを体現する人物があまりにも少ないとも筆者は嘆いているので、まだまだ頑張って欲しいと強く願うものだ。
担当大臣の渡辺よしみ氏についてだが、この人なかなかおもしろいかも知れない。親父どのがあの「政界のミッチー」こと渡辺美智雄氏であり、それにしてもその風貌はそっくりだ。かつ弁舌の方も一部受け継いだのかと思われる。自民党党内では変遷あって無派閥であり、一匹狼と目される事も多いと言う。
まあ、その辺略歴は置いておいて、
現在ボロ雑巾の様な社保庁にも深く関連する行革の肝、「わたり」いわゆる天下りなど公務員制度改革も色々槍玉に上げられるのだが。私見としては、もう腐り切った社保庁など要らんだろうというもので、老朽化破裂した水道管から水が爆裂するかの如くに問題の噴出する、そもそもの年金制度も根本から変えねばもう立ち行かないと思うがどうだろう。私は税方式で良いと思う。その税源としてなら消費税の大幅アップがあっても確かな社会保障が担保される限り国民の理解も充分に得られる、と考える。
とりあえず、公務員制度改革についての大臣の答弁を見ていた限りではこの渡辺氏、仕事も出来そうだが、それよりも答弁の能力が際立っている様に感じた(つまりは仕事が出来るという事でもあるが)。この人、「説得」に向きそうだ。これは中々誰も彼もが持ち合わせている能力ではない。そういう意味では対メディアにも向いているのだろうか。実際にメディア向きと言うならば派手さや面白さなども重要な要素となってくるだろうから、小泉前首相の様な超絶のパフォーマンスや漫画閣下こと麻生外相の様な面白さ、窓際族のボヤキ的な面白さを含んだ平沢氏など、もっと言って有益かどうかを度外視すれば、ごく一部に奇異な支持を受けながらも大概は「また言っているよ」と呆れられる事で様式美と化している加藤紘一や山拓、はたまた共産党の小池や社民党福島や辻本などもそう言えるかも知れないが、そういう意味ではなく実務的な意味で。
そうすると、善し悪しはともかくそれら一連について何が大事な要素なのだろうと考えると、結局は『自分の言葉ではっきりと伝えようとしているか』に尽きると思う。誰かが書いたモノをただ棒読みしているか、あるいは言葉を選び過ぎてか当り障りの無い表現と態度に終止している様では誰も聞きはしないし面白くもない。あくまで政治の本流では無いが、しかしながら結局そういうものが大きく物事を左右するのは歴史上の人物を見ても確かにそうなのだ。信長や秀吉だけでなく、歴史上にも「魅せ方」を重視していた人物は数限りない。
ただ、人の才はそれこそ人それぞれなので、あくまでも実直であったり、寡黙でも人柄や能力が長けていれば民衆は支持する。それどころか我が国には「寡黙」こそを美徳とした伝統というか風習もあるが、それは今でもまだ死んでないのだろうか。極めて多情報化する現代ではどちらが良いとも、もう何が何だか分からなくなりもするが、どちらにせよ結局はその人柄に依存するのであろうから、出るなら「はっきりと自分の言葉で伝えようとする」事が大切なのではないかと言いたかった次第である。
ところで、渡辺大臣には「よう分からんカタカナ語」を連発する癖は改善された方が良いと進言しておきたい。そのよう分からんカタカナ語を駆使して空中戦で対論をねじ伏せる効果も無くも無いかもしれないが、せっかくの説得力が半減する、と筆者には感じられた。目下それをやって良いのはルー大柴くらいだ。もっとも彼の芸は後者ではなく、その滑稽さの表現にあるのだろうから。
追記:
自分の言葉ではっきりと伝える。その代表的人物をもう少し書くのを忘れていた。例えば、石原慎太郎現都知事だ。
もう、代表格と言っても過言でない。とにかく氏のそれは、会見でも対論でも何でも面白い。まして内容もあるからよりいい。ただ、先にも述べたが能弁に舌禍は付きものであるから用心も必要ではあるとは思うが、今の日本の政界にはそれを体現する人物があまりにも少ないとも筆者は嘆いているので、まだまだ頑張って欲しいと強く願うものだ。
関連項目:勇気
先稿に続いて今回は憲法のお話を一つ。
憲法9条とは色々と物議を醸し、それにまつわる権化の様な思想団体もあったりしますが、実は先の統一地方選挙における東京都知事選で、石原慎太郎の(一応)対抗馬として浅野が出た訳だがその背後でもこういった勢力がうごめいていたのを、お忘れなきよう。
実はこれと前の項目はこの冒頭から分岐した。
この様な形があっても良いと思うので、そのまま併載する。
9条とは、筆者をして極左の極地とも感じさせる、結果として「国防、自衛すら認めない」「自衛隊は不要」「もし攻め込まれたら日本人は皆で死ねば良い」などという狂気の如き夢想的平和念仏を喚く反日左派の、今やその全てを凝縮した様なものとなっている。厳密に言えば左派=平和的というのも大きな誤解であり、というよりむしろそれらは彼らのプロパガンダのそれなりの成果とも言える。現実的にソ連社会主義や中共(チャイナ共産党)、カンボジアらを見て分かる様に、左派コミュニズムが平和的で安全であった試しが無い。右派というべきか微妙だがそれらに比べて資本、民主主義が極めて安全であるとはお世辞にも言えないが、やはり比較して「マシ」なのだ。結局、曲がりなりにも選挙で選ばれて来る代表達の行う政治と、選挙も行われず他思想の生存できない共産党一党独裁となるそれでは比較の対照とすらならないと感じる。更に細かい事を言えば、本来右派(右翼)とは現体制保守であり、左派(左翼)とは革新を意味したものであり、現代的な上記の捉え方とは必ずしも合致しないが、この際ではその様な原理的な意味では扱わない。
そして、
その上記9条2項
これは今や反日左派の全てを凝縮したかの様な思想の旗印になってしまっており、こうなった要因の一つとして恐らくあるのが自由民主党、その本来の最大の結党理由。それが、あくまでこれだけでは決してないが憲法改正(自主憲法制定)にある。党是なのだ。
世界平和、反戦。
これを笑うつもりなど決して、微塵も、毛頭ない。その精神は日本人の心、そして憲法にも深く刻むべき理想だ。
だが現実的に、世界に武力紛争が消えず、絶えずその危機が間近にも横たわる厳然たる事実。そしてそれに対して、現在も自衛隊という世界有数の(この歪な憲法の為、部分欠如した)能力を持った国防軍を日本は既に有し、日米同盟でそれを補完しているのが紛いなき現実だ。「9条があるから日本は平和だった」というのは全くの事実誤認、幻想である。
つまり、厳密に言えばこれは「おかしな憲法をまかり通す為に変な言い訳をして現実に対応している」憲法違反とも言える。
解釈、と言う名の「おかしな言い訳」で本来の意味を変えてゆく
この制限の極めて曖昧な、無限の拡大解釈を蔓延(はびこ)らせる方が余程も危険だ
本来の平和主義者はここにこそ力を注ぐべきだろう。
現実を踏まえて、どこまでが可能な事、どこまでが許されざるべき事なのか、
もう一度きっちりと憲法に明記し、それを監視するのが最も良いのでないか。
そして、くれぐれも断っておくが、
時に筆者が異常者とも揶揄してしまう(攻め込まれたら日本人は戦わずに死ねば良い、などと泣く)熱烈な平和信者はともかく、実に素直で人の良い、優しい平和論者が特定の左派思想を持った勢力に利用されている、という現実には必ず気付いて欲しい。その一見「絶対真理」の様に聞こえてしまう、「桃源郷」の様な甘い響きの源流に、アゲインスト・ジャパン、反日勢力の主たる目的「日本弱体化」がある事を。その先にはきっと、日本への侵略が待っている。
安易に脅かしている訳では決してない。
国際社会とは歴史を見ても常に、魑魅魍魎も跋扈する、欲望も渦巻く世界なのだという一面を忘れてはならないという事。
人を性善や性悪とどちらかに決めつけて推し量るのでなく、人間とはそのどちらも併せ持った存在であり、
万一に備えておくのが人の知性や知恵というものではないのか。
理想だけ掲げておけば人は絶対に悪事を働かない、と考えるのはあまりにも安易だろう。
端的に言えば、もっと小さな単位で考えて、法に理想を掲げて済むなら世界中のどの国にも警察など要らない。
しかし現実にそんな国は有り得ない。
それはやっぱり人の社会だからだ。
国防、世界安全保障も基本は同じ事だろう。
人が安全に、幸せに生きる為の方法論で人が殺し合うだとか、
その人の見えなくなった理想だけが宙に浮いている様な芸術は必要ない。
そこで必要なのはきっと、地味だが実直で冷静な、勤勉な努力。人の知性や知恵なのだろう。
そこで人の生に花を添えるのは、芸術に任せて欲しい。
それでなくても、幸せとは色んな所に実はあるものだと、人生の先輩達が言われてきた。
それは、
ただ望むだけで嘆くな
動きなさい。感じなさい
という事なのかも知れぬ。
また、
武は鍛え、備えるが使わないのが最上
体を鍛えると共に、心を鍛えるものである
古来から、そして武士道への昇華
その薫陶を受けた日本の武道も、そういった精神性があると筆者は理解しているがどうだろう。
憲法9条とは色々と物議を醸し、それにまつわる権化の様な思想団体もあったりしますが、実は先の統一地方選挙における東京都知事選で、石原慎太郎の(一応)対抗馬として浅野が出た訳だがその背後でもこういった勢力がうごめいていたのを、お忘れなきよう。
実はこれと前の項目はこの冒頭から分岐した。
この様な形があっても良いと思うので、そのまま併載する。
9条とは、筆者をして極左の極地とも感じさせる、結果として「国防、自衛すら認めない」「自衛隊は不要」「もし攻め込まれたら日本人は皆で死ねば良い」などという狂気の如き夢想的平和念仏を喚く反日左派の、今やその全てを凝縮した様なものとなっている。厳密に言えば左派=平和的というのも大きな誤解であり、というよりむしろそれらは彼らのプロパガンダのそれなりの成果とも言える。現実的にソ連社会主義や中共(チャイナ共産党)、カンボジアらを見て分かる様に、左派コミュニズムが平和的で安全であった試しが無い。右派というべきか微妙だがそれらに比べて資本、民主主義が極めて安全であるとはお世辞にも言えないが、やはり比較して「マシ」なのだ。結局、曲がりなりにも選挙で選ばれて来る代表達の行う政治と、選挙も行われず他思想の生存できない共産党一党独裁となるそれでは比較の対照とすらならないと感じる。更に細かい事を言えば、本来右派(右翼)とは現体制保守であり、左派(左翼)とは革新を意味したものであり、現代的な上記の捉え方とは必ずしも合致しないが、この際ではその様な原理的な意味では扱わない。
そして、
その上記9条2項
「(1項に続く)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
これは今や反日左派の全てを凝縮したかの様な思想の旗印になってしまっており、こうなった要因の一つとして恐らくあるのが自由民主党、その本来の最大の結党理由。それが、あくまでこれだけでは決してないが憲法改正(自主憲法制定)にある。党是なのだ。
世界平和、反戦。
これを笑うつもりなど決して、微塵も、毛頭ない。その精神は日本人の心、そして憲法にも深く刻むべき理想だ。
だが現実的に、世界に武力紛争が消えず、絶えずその危機が間近にも横たわる厳然たる事実。そしてそれに対して、現在も自衛隊という世界有数の(この歪な憲法の為、部分欠如した)能力を持った国防軍を日本は既に有し、日米同盟でそれを補完しているのが紛いなき現実だ。「9条があるから日本は平和だった」というのは全くの事実誤認、幻想である。
つまり、厳密に言えばこれは「おかしな憲法をまかり通す為に変な言い訳をして現実に対応している」憲法違反とも言える。
解釈、と言う名の「おかしな言い訳」で本来の意味を変えてゆく
この制限の極めて曖昧な、無限の拡大解釈を蔓延(はびこ)らせる方が余程も危険だ
本来の平和主義者はここにこそ力を注ぐべきだろう。
現実を踏まえて、どこまでが可能な事、どこまでが許されざるべき事なのか、
もう一度きっちりと憲法に明記し、それを監視するのが最も良いのでないか。
そして、くれぐれも断っておくが、
時に筆者が異常者とも揶揄してしまう(攻め込まれたら日本人は戦わずに死ねば良い、などと泣く)熱烈な平和信者はともかく、実に素直で人の良い、優しい平和論者が特定の左派思想を持った勢力に利用されている、という現実には必ず気付いて欲しい。その一見「絶対真理」の様に聞こえてしまう、「桃源郷」の様な甘い響きの源流に、アゲインスト・ジャパン、反日勢力の主たる目的「日本弱体化」がある事を。その先にはきっと、日本への侵略が待っている。
安易に脅かしている訳では決してない。
国際社会とは歴史を見ても常に、魑魅魍魎も跋扈する、欲望も渦巻く世界なのだという一面を忘れてはならないという事。
人を性善や性悪とどちらかに決めつけて推し量るのでなく、人間とはそのどちらも併せ持った存在であり、
万一に備えておくのが人の知性や知恵というものではないのか。
理想だけ掲げておけば人は絶対に悪事を働かない、と考えるのはあまりにも安易だろう。
端的に言えば、もっと小さな単位で考えて、法に理想を掲げて済むなら世界中のどの国にも警察など要らない。
しかし現実にそんな国は有り得ない。
それはやっぱり人の社会だからだ。
国防、世界安全保障も基本は同じ事だろう。
人が安全に、幸せに生きる為の方法論で人が殺し合うだとか、
その人の見えなくなった理想だけが宙に浮いている様な芸術は必要ない。
そこで必要なのはきっと、地味だが実直で冷静な、勤勉な努力。人の知性や知恵なのだろう。
そこで人の生に花を添えるのは、芸術に任せて欲しい。
それでなくても、幸せとは色んな所に実はあるものだと、人生の先輩達が言われてきた。
それは、
ただ望むだけで嘆くな
動きなさい。感じなさい
という事なのかも知れぬ。
また、
武は鍛え、備えるが使わないのが最上
体を鍛えると共に、心を鍛えるものである
古来から、そして武士道への昇華
その薫陶を受けた日本の武道も、そういった精神性があると筆者は理解しているがどうだろう。