行革関連の報道番組を見て、感じた事、気付いた事などを少々。
担当大臣の渡辺よしみ氏についてだが、この人なかなかおもしろいかも知れない。親父どのがあの「政界のミッチー」こと渡辺美智雄氏であり、それにしてもその風貌はそっくりだ。かつ弁舌の方も一部受け継いだのかと思われる。自民党党内では変遷あって無派閥であり、一匹狼と目される事も多いと言う。
まあ、その辺略歴は置いておいて、
現在ボロ雑巾の様な社保庁にも深く関連する行革の肝、「わたり」いわゆる天下りなど公務員制度改革も色々槍玉に上げられるのだが。私見としては、もう腐り切った社保庁など要らんだろうというもので、老朽化破裂した水道管から水が爆裂するかの如くに問題の噴出する、そもそもの年金制度も根本から変えねばもう立ち行かないと思うがどうだろう。私は税方式で良いと思う。その税源としてなら消費税の大幅アップがあっても確かな社会保障が担保される限り国民の理解も充分に得られる、と考える。
とりあえず、公務員制度改革についての大臣の答弁を見ていた限りではこの渡辺氏、仕事も出来そうだが、それよりも答弁の能力が際立っている様に感じた(つまりは仕事が出来るという事でもあるが)。この人、「説得」に向きそうだ。これは中々誰も彼もが持ち合わせている能力ではない。そういう意味では対メディアにも向いているのだろうか。実際にメディア向きと言うならば派手さや面白さなども重要な要素となってくるだろうから、小泉前首相の様な超絶のパフォーマンスや漫画閣下こと麻生外相の様な面白さ、窓際族のボヤキ的な面白さを含んだ平沢氏など、もっと言って有益かどうかを度外視すれば、ごく一部に奇異な支持を受けながらも大概は「また言っているよ」と呆れられる事で様式美と化している加藤紘一や山拓、はたまた共産党の小池や社民党福島や辻本などもそう言えるかも知れないが、そういう意味ではなく実務的な意味で。
そうすると、善し悪しはともかくそれら一連について何が大事な要素なのだろうと考えると、結局は『自分の言葉ではっきりと伝えようとしているか』に尽きると思う。誰かが書いたモノをただ棒読みしているか、あるいは言葉を選び過ぎてか当り障りの無い表現と態度に終止している様では誰も聞きはしないし面白くもない。あくまで政治の本流では無いが、しかしながら結局そういうものが大きく物事を左右するのは歴史上の人物を見ても確かにそうなのだ。信長や秀吉だけでなく、歴史上にも「魅せ方」を重視していた人物は数限りない。
ただ、人の才はそれこそ人それぞれなので、あくまでも実直であったり、寡黙でも人柄や能力が長けていれば民衆は支持する。それどころか我が国には「寡黙」こそを美徳とした伝統というか風習もあるが、それは今でもまだ死んでないのだろうか。極めて多情報化する現代ではどちらが良いとも、もう何が何だか分からなくなりもするが、どちらにせよ結局はその人柄に依存するのであろうから、出るなら「はっきりと自分の言葉で伝えようとする」事が大切なのではないかと言いたかった次第である。
ところで、渡辺大臣には「よう分からんカタカナ語」を連発する癖は改善された方が良いと進言しておきたい。そのよう分からんカタカナ語を駆使して空中戦で対論をねじ伏せる効果も無くも無いかもしれないが、せっかくの説得力が半減する、と筆者には感じられた。目下それをやって良いのはルー大柴くらいだ。もっとも彼の芸は後者ではなく、その滑稽さの表現にあるのだろうから。
追記:
自分の言葉ではっきりと伝える。その代表的人物をもう少し書くのを忘れていた。例えば、石原慎太郎現都知事だ。
もう、代表格と言っても過言でない。とにかく氏のそれは、会見でも対論でも何でも面白い。まして内容もあるからよりいい。ただ、先にも述べたが能弁に舌禍は付きものであるから用心も必要ではあるとは思うが、今の日本の政界にはそれを体現する人物があまりにも少ないとも筆者は嘆いているので、まだまだ頑張って欲しいと強く願うものだ。
担当大臣の渡辺よしみ氏についてだが、この人なかなかおもしろいかも知れない。親父どのがあの「政界のミッチー」こと渡辺美智雄氏であり、それにしてもその風貌はそっくりだ。かつ弁舌の方も一部受け継いだのかと思われる。自民党党内では変遷あって無派閥であり、一匹狼と目される事も多いと言う。
まあ、その辺略歴は置いておいて、
現在ボロ雑巾の様な社保庁にも深く関連する行革の肝、「わたり」いわゆる天下りなど公務員制度改革も色々槍玉に上げられるのだが。私見としては、もう腐り切った社保庁など要らんだろうというもので、老朽化破裂した水道管から水が爆裂するかの如くに問題の噴出する、そもそもの年金制度も根本から変えねばもう立ち行かないと思うがどうだろう。私は税方式で良いと思う。その税源としてなら消費税の大幅アップがあっても確かな社会保障が担保される限り国民の理解も充分に得られる、と考える。
とりあえず、公務員制度改革についての大臣の答弁を見ていた限りではこの渡辺氏、仕事も出来そうだが、それよりも答弁の能力が際立っている様に感じた(つまりは仕事が出来るという事でもあるが)。この人、「説得」に向きそうだ。これは中々誰も彼もが持ち合わせている能力ではない。そういう意味では対メディアにも向いているのだろうか。実際にメディア向きと言うならば派手さや面白さなども重要な要素となってくるだろうから、小泉前首相の様な超絶のパフォーマンスや漫画閣下こと麻生外相の様な面白さ、窓際族のボヤキ的な面白さを含んだ平沢氏など、もっと言って有益かどうかを度外視すれば、ごく一部に奇異な支持を受けながらも大概は「また言っているよ」と呆れられる事で様式美と化している加藤紘一や山拓、はたまた共産党の小池や社民党福島や辻本などもそう言えるかも知れないが、そういう意味ではなく実務的な意味で。
そうすると、善し悪しはともかくそれら一連について何が大事な要素なのだろうと考えると、結局は『自分の言葉ではっきりと伝えようとしているか』に尽きると思う。誰かが書いたモノをただ棒読みしているか、あるいは言葉を選び過ぎてか当り障りの無い表現と態度に終止している様では誰も聞きはしないし面白くもない。あくまで政治の本流では無いが、しかしながら結局そういうものが大きく物事を左右するのは歴史上の人物を見ても確かにそうなのだ。信長や秀吉だけでなく、歴史上にも「魅せ方」を重視していた人物は数限りない。
ただ、人の才はそれこそ人それぞれなので、あくまでも実直であったり、寡黙でも人柄や能力が長けていれば民衆は支持する。それどころか我が国には「寡黙」こそを美徳とした伝統というか風習もあるが、それは今でもまだ死んでないのだろうか。極めて多情報化する現代ではどちらが良いとも、もう何が何だか分からなくなりもするが、どちらにせよ結局はその人柄に依存するのであろうから、出るなら「はっきりと自分の言葉で伝えようとする」事が大切なのではないかと言いたかった次第である。
ところで、渡辺大臣には「よう分からんカタカナ語」を連発する癖は改善された方が良いと進言しておきたい。そのよう分からんカタカナ語を駆使して空中戦で対論をねじ伏せる効果も無くも無いかもしれないが、せっかくの説得力が半減する、と筆者には感じられた。目下それをやって良いのはルー大柴くらいだ。もっとも彼の芸は後者ではなく、その滑稽さの表現にあるのだろうから。
追記:
自分の言葉ではっきりと伝える。その代表的人物をもう少し書くのを忘れていた。例えば、石原慎太郎現都知事だ。
もう、代表格と言っても過言でない。とにかく氏のそれは、会見でも対論でも何でも面白い。まして内容もあるからよりいい。ただ、先にも述べたが能弁に舌禍は付きものであるから用心も必要ではあるとは思うが、今の日本の政界にはそれを体現する人物があまりにも少ないとも筆者は嘆いているので、まだまだ頑張って欲しいと強く願うものだ。
関連項目:勇気
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