少し前の話しだが、李登輝氏が5月の30日から来日、そして6月の9日、台湾へ帰国された。
「これまでの最高でした。」
最高の来日だった、と深く感謝して述べられてもいた様だ。
本当に良かった。
一応、念のために説明を付しておくが、李登輝氏とは、台湾の前総統。
台湾の政治体制を先軍独裁政治から民主化へと、その国民党内部から変革して平和裏に導いた英雄である。色々と問題あるなか、それでも氏は「私は22まで日本人だった」と何はばかる事無く口にし、また己の精神的土台が武士道、そして道徳、日本の教育にあり、それを誇りに思っていると言われている。確かにその質実剛健さは武士、侍の様だ。
立場上、あまり奔放には言えない事もあり、色々気も使っておられるが、言うべき事ははっきり言われる。冷静に振る舞われているので愛日、と言われる方々の様な溢れんばかりの愛情が表に滲み出る事はあまりないが、それでも常々、台湾、そして日本の事をも案じて下さっているのは良く分かる。有難い事だ
今回、李氏はずっと切望していた松尾芭蕉の「奥の細道」を自分の足で歩く旅を曾文恵夫人と始められた。
深川に 芭蕉を慕ひ来 夏の夢
とは、長年の想いを遂げる第一歩を踏み出した李さんの一句。
また、後藤新平の生誕150周年を記念し創設された「後藤新平賞」の第一回受賞者として選ばれ、一日に東京は六本木の国際文化会館で授賞式に出席。「一生の栄誉と深く感謝しております」と謝辞を述べたそうだ。
後藤新平とは、八田興一、明石元二郎、新渡戸稲造らと並んで台湾で慕われている明治から昭和にかけての偉人だ。
民政長官として任命された後藤は当時台湾総督の児玉源太郎と共に熱意をもって大きな予算まで獲得し、台湾のインフラや教育普及に尽力した。当時貧しく、伝染病の蔓延していた台湾島からマラリアやペストの様な恐ろしい伝染病が消えたのも、医師でもあった後藤の力が大きい。
不毛と言われた嘉南平野を台湾最大の穀倉地帯に変え、その生涯のほとんどを台湾に捧げた八田。
第七代総督としてそのインフラや司法、教育改革に更に尽力し、「余は死して護国の鬼になり、台民の鎮護たらざるべからず」と、死んでも台湾を護ると言葉を遺し、その通りに台湾の土となった明石。
そして総督府技師として同じく尽力した新渡戸。特に李氏はこの新渡戸稲造を師と仰いでおられる様で、その「武士道(no-blesse o-blige)」については本まで書いている。
このように、
当時の、内地のみならず台湾にも真に献身したこの偉人達とは、日台の絆として実に相応しい。
その御先祖様たちの子孫、後輩がまた李登輝でもあり、その後輩がまた我々なのだ。
また、李氏は秋田の大学生達に特別講義を行い、「武士道精神」の再評価を呼び掛けている。約400人が聴講したと時事通信の記事にあったが、何と幸運な学生達か。きっといいお話だった事だろう。伝えられている一節に「日本人本来の精神的価値観をいま一度明確に想起してほしい」とある。
そして、ゴチャゴチャと周りが喧しい事でいつも歪められる靖国神社にも参拝された。
氏の亡兄、李登欽氏は日本名を岩里武則いい、志願して入隊、帝国海軍軍人としてフィリピンのルソン島マニラで戦死され、東京は九段にあるこの靖国神社に英霊として祀られている。
氏は、常に喧しいチャイナやコリア(韓国。及び北朝鮮)の騒音と、それに同調、または及び腰な日本に配慮して、長く長く望みながらもその想いも果たせていなかった。しかし、もう84ともいうお年。今回の訪日前には「東京に来て、60年以上も会っていない兄に会いに行かないのは、人情としても、弟としても、忍びないことです」と涙ぐむ程に訴えられていたと産経などは伝えている。
そして、今回やっと
兄に会う事が出来たのだ。
本当に良かった
ただ国のため、家族のために辛い時代に戦い、その大切な命を落とされた
靖国で会おう
と言って亡くなられた英霊に、家族が会いに行く事の何が問題なのだ
ましてや神道文化、それどころか寺と神社の違いも分かっていない様な外国がとやかくいうべきものではない。
チャイナや韓国・北朝鮮や、それを焚き付けた日本の反日活動家は、特に深く恥ずべきだ。亡くなられた故人を偲ぶ人の想いを、政治的な利害や利殖で邪魔をするなど、いかに下衆のする事であるかと。
ただ、今回
実務交渉に温を派遣した様に日中関係改善を計りたいチャイナは、報道官が騒ぐ程度に収まった。静かなもんだ。
結局チャイナが付けていたイチャモンなど、所詮はその程度のものなのだ。そもそも気にもしていなかったものを、日本の下衆な活動家に焚き付けられて、「使える」と判断したから、金も労力も一切かからずに日本から何かを引き出せる外交カードとして利用していたに過ぎない。
とはいえ、副次的な悪意の産物を投げつけられているだけとはいえ、李氏に限らず、何らかの立場の人が、自由にお参りする事が出来ない様な状態を放置してきたのは、これは日本の怠慢だろう。李さんは62年間も兄に会いに来る事が出来なかった。これは本当に申し訳ない事だ。政治問題化させてしまっている以上、日本の政治家はこれを解決しておかなければならない。それは、今一度その文化を確認して理解を深め、タカリそのものであるイチャモンはまかり通るものでないと、説明するだけでいい。毅然としていればいい。
恐らく、本当は李さんもそう心の中では思っておられるのではないかと
私は思う。
チャイナの外務部が不満を言っている事に関して「中国やコリアが歴史、政治問題として取り上げるのは、自国内処理ができていないためだ」、「批判される理由はなく、亡くなった若い人を祀ることは、当たり前のことだ」と少し声を荒げられていたそうだが、せっかくの兄との再会に、そんな汚れた質問をしてあげなくても良いのに
と、少し思ってしまう。
とはいえ、
「家族とともに兄の慰霊に冥福を祈ることができた。一生忘れられない」
と、喜びを言葉にもされている。
とにかく良かった
「これまでの最高でした。日本の皆様の支持のたまものです」
と帰路につき、もう帰ったでしょう李さん
お体に気を付けて
長生きして下さい
そして、
またいつでも日本に来て下さい
「これまでの最高でした。」
最高の来日だった、と深く感謝して述べられてもいた様だ。
本当に良かった。
一応、念のために説明を付しておくが、李登輝氏とは、台湾の前総統。
台湾の政治体制を先軍独裁政治から民主化へと、その国民党内部から変革して平和裏に導いた英雄である。色々と問題あるなか、それでも氏は「私は22まで日本人だった」と何はばかる事無く口にし、また己の精神的土台が武士道、そして道徳、日本の教育にあり、それを誇りに思っていると言われている。確かにその質実剛健さは武士、侍の様だ。
立場上、あまり奔放には言えない事もあり、色々気も使っておられるが、言うべき事ははっきり言われる。冷静に振る舞われているので愛日、と言われる方々の様な溢れんばかりの愛情が表に滲み出る事はあまりないが、それでも常々、台湾、そして日本の事をも案じて下さっているのは良く分かる。有難い事だ
今回、李氏はずっと切望していた松尾芭蕉の「奥の細道」を自分の足で歩く旅を曾文恵夫人と始められた。
深川に 芭蕉を慕ひ来 夏の夢
とは、長年の想いを遂げる第一歩を踏み出した李さんの一句。
また、後藤新平の生誕150周年を記念し創設された「後藤新平賞」の第一回受賞者として選ばれ、一日に東京は六本木の国際文化会館で授賞式に出席。「一生の栄誉と深く感謝しております」と謝辞を述べたそうだ。
後藤新平とは、八田興一、明石元二郎、新渡戸稲造らと並んで台湾で慕われている明治から昭和にかけての偉人だ。
民政長官として任命された後藤は当時台湾総督の児玉源太郎と共に熱意をもって大きな予算まで獲得し、台湾のインフラや教育普及に尽力した。当時貧しく、伝染病の蔓延していた台湾島からマラリアやペストの様な恐ろしい伝染病が消えたのも、医師でもあった後藤の力が大きい。
不毛と言われた嘉南平野を台湾最大の穀倉地帯に変え、その生涯のほとんどを台湾に捧げた八田。
第七代総督としてそのインフラや司法、教育改革に更に尽力し、「余は死して護国の鬼になり、台民の鎮護たらざるべからず」と、死んでも台湾を護ると言葉を遺し、その通りに台湾の土となった明石。
そして総督府技師として同じく尽力した新渡戸。特に李氏はこの新渡戸稲造を師と仰いでおられる様で、その「武士道(no-blesse o-blige)」については本まで書いている。
このように、
当時の、内地のみならず台湾にも真に献身したこの偉人達とは、日台の絆として実に相応しい。
その御先祖様たちの子孫、後輩がまた李登輝でもあり、その後輩がまた我々なのだ。
また、李氏は秋田の大学生達に特別講義を行い、「武士道精神」の再評価を呼び掛けている。約400人が聴講したと時事通信の記事にあったが、何と幸運な学生達か。きっといいお話だった事だろう。伝えられている一節に「日本人本来の精神的価値観をいま一度明確に想起してほしい」とある。
そして、ゴチャゴチャと周りが喧しい事でいつも歪められる靖国神社にも参拝された。
氏の亡兄、李登欽氏は日本名を岩里武則いい、志願して入隊、帝国海軍軍人としてフィリピンのルソン島マニラで戦死され、東京は九段にあるこの靖国神社に英霊として祀られている。
氏は、常に喧しいチャイナやコリア(韓国。及び北朝鮮)の騒音と、それに同調、または及び腰な日本に配慮して、長く長く望みながらもその想いも果たせていなかった。しかし、もう84ともいうお年。今回の訪日前には「東京に来て、60年以上も会っていない兄に会いに行かないのは、人情としても、弟としても、忍びないことです」と涙ぐむ程に訴えられていたと産経などは伝えている。
そして、今回やっと
兄に会う事が出来たのだ。
本当に良かった
ただ国のため、家族のために辛い時代に戦い、その大切な命を落とされた
靖国で会おう
と言って亡くなられた英霊に、家族が会いに行く事の何が問題なのだ
ましてや神道文化、それどころか寺と神社の違いも分かっていない様な外国がとやかくいうべきものではない。
チャイナや韓国・北朝鮮や、それを焚き付けた日本の反日活動家は、特に深く恥ずべきだ。亡くなられた故人を偲ぶ人の想いを、政治的な利害や利殖で邪魔をするなど、いかに下衆のする事であるかと。
ただ、今回
実務交渉に温を派遣した様に日中関係改善を計りたいチャイナは、報道官が騒ぐ程度に収まった。静かなもんだ。
結局チャイナが付けていたイチャモンなど、所詮はその程度のものなのだ。そもそも気にもしていなかったものを、日本の下衆な活動家に焚き付けられて、「使える」と判断したから、金も労力も一切かからずに日本から何かを引き出せる外交カードとして利用していたに過ぎない。
とはいえ、副次的な悪意の産物を投げつけられているだけとはいえ、李氏に限らず、何らかの立場の人が、自由にお参りする事が出来ない様な状態を放置してきたのは、これは日本の怠慢だろう。李さんは62年間も兄に会いに来る事が出来なかった。これは本当に申し訳ない事だ。政治問題化させてしまっている以上、日本の政治家はこれを解決しておかなければならない。それは、今一度その文化を確認して理解を深め、タカリそのものであるイチャモンはまかり通るものでないと、説明するだけでいい。毅然としていればいい。
恐らく、本当は李さんもそう心の中では思っておられるのではないかと
私は思う。
チャイナの外務部が不満を言っている事に関して「中国やコリアが歴史、政治問題として取り上げるのは、自国内処理ができていないためだ」、「批判される理由はなく、亡くなった若い人を祀ることは、当たり前のことだ」と少し声を荒げられていたそうだが、せっかくの兄との再会に、そんな汚れた質問をしてあげなくても良いのに
と、少し思ってしまう。
とはいえ、
「家族とともに兄の慰霊に冥福を祈ることができた。一生忘れられない」
と、喜びを言葉にもされている。
とにかく良かった
「これまでの最高でした。日本の皆様の支持のたまものです」
と帰路につき、もう帰ったでしょう李さん
お体に気を付けて
長生きして下さい
そして、
またいつでも日本に来て下さい
追記:
李登輝氏の帰国直前の成田空港で、見送りの人達に紛れて氏の一行にペットボトルを投げつけた馬鹿者がいた模様。
時事通信によると、犯人は台湾独立反対思想をもつとみられる自称エンジニアのチャイナ(中国)籍の男で、現行犯逮捕された。「台湾を独立させようとする彼が嫌いだから投げた」と供述しているというが、国が馬鹿な事をしていると、こういう馬鹿も出て来る。
では、はっきり言っておくが
台湾はチャイナ(中国)の一部などではない
台湾は台湾で、それ以外の何ものでもない
それは、内モンゴルやウイグル(東トルキスタン)やチベットも同じだ
そんな帝国主義の亡霊の様な真似は、もうやめろ
李登輝氏の帰国直前の成田空港で、見送りの人達に紛れて氏の一行にペットボトルを投げつけた馬鹿者がいた模様。
時事通信によると、犯人は台湾独立反対思想をもつとみられる自称エンジニアのチャイナ(中国)籍の男で、現行犯逮捕された。「台湾を独立させようとする彼が嫌いだから投げた」と供述しているというが、国が馬鹿な事をしていると、こういう馬鹿も出て来る。
では、はっきり言っておくが
台湾はチャイナ(中国)の一部などではない
台湾は台湾で、それ以外の何ものでもない
それは、内モンゴルやウイグル(東トルキスタン)やチベットも同じだ
そんな帝国主義の亡霊の様な真似は、もうやめろ
メモ:台湾人の日本への観光短期査証・ビザは2005年3月から免除されている
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