前回取り上げた「EPA/FTA」に関して、筆者がここで原稿を書き上げ、アップする前に「米韓FTA合意」の情報が流れる様になった。まさに分析する事柄に深く関与する事象であり興味深い。韓国が欧米及び日本の資本、投資に興味があるのは先述した通りである。そこで、欧韓、日韓より先に米韓のFTAを合意させるに至る盧や韓国政府、及び米国の思惑とは何なのかと、分析するならばするべきだろう。
にもかかわらず、殊更「米韓合意!日本は置いてけぼり」などと嬉しげに言いたがる連中が何を言いたいのかとは押し並べて知るべきである。とは先稿に限らず拙著をご覧になられた方々には理解して頂ける事だろうと思う。それらが示すのは色眼鏡をかけているがゆえに事の本質に対する理解が進まず、そういった幼稚な言葉しか出てこないという事柄のみで、これは当の韓国世論もそうであるのは言うまでもなく、「米韓合意に日本ショック!」「日中が驚く」などとおおよそ何にでも日本を絡めないと物事を考えられない依存体質そのものだ。
だが、これに対してまたぞろ大規模なデモが発生(焼身を図る者まで出たという)するなど反対が根強い一方で、賛成派も多く出て来ているという混乱模様。中には「これにより米国は優れた韓国の技術や製品の恩恵を受ける事が出来、相互が経済的恩恵を受け、世界経済を牽引する!日本は置いてけぼりだ!(やった!)」といった様な反日愛国主義により正常な判断、及び自己分析が出来なくなった者の意見とはとてもじゃないが身の丈を知らないこれまた幼稚なもので聞くに堪えない。「『ライバルの日本』は日米FTAの交渉すらままならない」などと嬉しげに言ってしまう辺りに、剥き出しの敵意と自意識過剰、自己過信とおおまかにでも現状を把握出来ない様が露骨に浮き彫りになる。
もういわずもがなだが少し訂正するならば、先述した様におおまかな経済圏の軸とは欧州、米国と日本の3軸であり、これらは明らかなライバル関係であり、ゆえに述べたEPA/FTA戦略においても苛烈な競争に躍起になっている。かなりWTOそっちのけの様相だ。であるから、この状況で日米FTAなど有り得よう訳がない。そんな話し自体が非常に現実味の薄いものだ。有り得る可能性としては、EUが圧倒的に強大なものとなり、これに対抗する為に結ぶ必要が生じる鼎立の論理が発動する場合くらいだろう。
さて、その先の妄言を一々突つく必要も今更無かろうが、その「技術」に関して思い出す事があるので少々述べよう。その技術も盗み倒したものばかりなのだから恥ずかしい事を言うのは控えた方が良い。
エレクトロニクス、例えば液晶やプラズマ技術のまさに先端を切り開いて来たのは一体どこであったか。それが、シャープや松下(パナソニック/ナショナル)だ(いずれも世界初の商品化は前者がセイコーグループのエプソン、後者は富士通ゼネラル)。
当初、企業技術機密保持意識が不足であったがゆえに剽窃・盗用の盛んなあれらの国で技術をまんまと盗まれる憂き目を見たが、各製造業が国内及び例えば先述したチャイナや韓国における製造業技術の剽窃の危険さを察知し他を模索する様になったように、シャープや松下では現在その機密保持体制は徹底されているという。実に賢明な判断だ。
そしてかの企業らがその技術を盗用、流出から死守すると共にLGやサムソンなどは落ちて行く。実に分かり易い。
にもかかわらず、殊更「米韓合意!日本は置いてけぼり」などと嬉しげに言いたがる連中が何を言いたいのかとは押し並べて知るべきである。とは先稿に限らず拙著をご覧になられた方々には理解して頂ける事だろうと思う。それらが示すのは色眼鏡をかけているがゆえに事の本質に対する理解が進まず、そういった幼稚な言葉しか出てこないという事柄のみで、これは当の韓国世論もそうであるのは言うまでもなく、「米韓合意に日本ショック!」「日中が驚く」などとおおよそ何にでも日本を絡めないと物事を考えられない依存体質そのものだ。
だが、これに対してまたぞろ大規模なデモが発生(焼身を図る者まで出たという)するなど反対が根強い一方で、賛成派も多く出て来ているという混乱模様。中には「これにより米国は優れた韓国の技術や製品の恩恵を受ける事が出来、相互が経済的恩恵を受け、世界経済を牽引する!日本は置いてけぼりだ!(やった!)」といった様な反日愛国主義により正常な判断、及び自己分析が出来なくなった者の意見とはとてもじゃないが身の丈を知らないこれまた幼稚なもので聞くに堪えない。「『ライバルの日本』は日米FTAの交渉すらままならない」などと嬉しげに言ってしまう辺りに、剥き出しの敵意と自意識過剰、自己過信とおおまかにでも現状を把握出来ない様が露骨に浮き彫りになる。
もういわずもがなだが少し訂正するならば、先述した様におおまかな経済圏の軸とは欧州、米国と日本の3軸であり、これらは明らかなライバル関係であり、ゆえに述べたEPA/FTA戦略においても苛烈な競争に躍起になっている。かなりWTOそっちのけの様相だ。であるから、この状況で日米FTAなど有り得よう訳がない。そんな話し自体が非常に現実味の薄いものだ。有り得る可能性としては、EUが圧倒的に強大なものとなり、これに対抗する為に結ぶ必要が生じる鼎立の論理が発動する場合くらいだろう。
さて、その先の妄言を一々突つく必要も今更無かろうが、その「技術」に関して思い出す事があるので少々述べよう。その技術も盗み倒したものばかりなのだから恥ずかしい事を言うのは控えた方が良い。
エレクトロニクス、例えば液晶やプラズマ技術のまさに先端を切り開いて来たのは一体どこであったか。それが、シャープや松下(パナソニック/ナショナル)だ(いずれも世界初の商品化は前者がセイコーグループのエプソン、後者は富士通ゼネラル)。
当初、企業技術機密保持意識が不足であったがゆえに剽窃・盗用の盛んなあれらの国で技術をまんまと盗まれる憂き目を見たが、各製造業が国内及び例えば先述したチャイナや韓国における製造業技術の剽窃の危険さを察知し他を模索する様になったように、シャープや松下では現在その機密保持体制は徹底されているという。実に賢明な判断だ。
そしてかの企業らがその技術を盗用、流出から死守すると共にLGやサムソンなどは落ちて行く。実に分かり易い。
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裏がある
ともかくだ、これに対してどうにか扉を開かせる為に、「相互」を強調する為か、自信を付けてもらう為か、日本における韓国煽りを実践した訳である。その手順は先述した通りだ。それにしても、一連についてある程度は理解していたのだが、経済や政治を加味して考えると非常に理解し易く明快に見えてくる。
しかし、やはりその上でどう重ね考えてもやり過ぎだ。
あまり上等な手法でないし、第一あの歪んだ反日愛国主義の自慰的愉悦の炎に油を注いでいる様なものだ。
現実を鑑みて、例えばあれら偽装ムーブメントの物、スター(?)を素晴らしいだとか、美しい、カッコイイ等と言う人など筆者の周りに皆無であるが、皆さんの周りではどうなのだろう。筆者に関して言えば、幾分理解しているつもりであるから余計にかも知れぬが本気で興味など無いし、流石にそのテレビですらよく言われるように、特に若い世代では「ダサい」で一致している様に感じる。なのに、本気で「お前誰やねん…」といった偽装スター来日のくだりを(たまたま)付けているニュース等で見る度にもう苦笑いを禁じ得ない。「もうやめとけよ。無理あり過ぎるって」と、その異様な粘着ぶりが行き過ぎれば過ぎる程に気持ちが悪い。
反日を抱えながら「円」目当てにすり寄って来、国に帰ればその世話になっている国の事も人々の事もお構い無しに罵り、素知らぬ顔でまたやって来る。妙な思想に基づいた怪しげな活動、厚顔無恥な振る舞い、反日愛国主義に醸成された自己過信と自意識過剰と排他意識に拝金主義。それをただ「友好」だと、ネガティブイメージに繋がる情報は事実ですら蓋をし、明らかな歪曲捏造ポジティブキャンペーンを張ってまで、のべつまくなし受け入れよと迫り擁護するメディア。
なんと醜悪な友好、醜い偽装だろう。
そんな連中ばかりで、真に友好的な架け橋となる様な人物が遂に出てこない、出て来れないこの現状、現象の何と悲しい事か。そしてその反作用として、あまりの醜い偽装から強烈な反発が産まれ、日本ではそれまでに無かったタイプの、大きな大きな嫌韓という溝すら作ってしまった。
それでもまだやるのか。
ともかくだ、これに対してどうにか扉を開かせる為に、「相互」を強調する為か、自信を付けてもらう為か、日本における韓国煽りを実践した訳である。その手順は先述した通りだ。それにしても、一連についてある程度は理解していたのだが、経済や政治を加味して考えると非常に理解し易く明快に見えてくる。
しかし、やはりその上でどう重ね考えてもやり過ぎだ。
あまり上等な手法でないし、第一あの歪んだ反日愛国主義の自慰的愉悦の炎に油を注いでいる様なものだ。
現実を鑑みて、例えばあれら偽装ムーブメントの物、スター(?)を素晴らしいだとか、美しい、カッコイイ等と言う人など筆者の周りに皆無であるが、皆さんの周りではどうなのだろう。筆者に関して言えば、幾分理解しているつもりであるから余計にかも知れぬが本気で興味など無いし、流石にそのテレビですらよく言われるように、特に若い世代では「ダサい」で一致している様に感じる。なのに、本気で「お前誰やねん…」といった偽装スター来日のくだりを(たまたま)付けているニュース等で見る度にもう苦笑いを禁じ得ない。「もうやめとけよ。無理あり過ぎるって」と、その異様な粘着ぶりが行き過ぎれば過ぎる程に気持ちが悪い。
反日を抱えながら「円」目当てにすり寄って来、国に帰ればその世話になっている国の事も人々の事もお構い無しに罵り、素知らぬ顔でまたやって来る。妙な思想に基づいた怪しげな活動、厚顔無恥な振る舞い、反日愛国主義に醸成された自己過信と自意識過剰と排他意識に拝金主義。それをただ「友好」だと、ネガティブイメージに繋がる情報は事実ですら蓋をし、明らかな歪曲捏造ポジティブキャンペーンを張ってまで、のべつまくなし受け入れよと迫り擁護するメディア。
なんと醜悪な友好、醜い偽装だろう。
そんな連中ばかりで、真に友好的な架け橋となる様な人物が遂に出てこない、出て来れないこの現状、現象の何と悲しい事か。そしてその反作用として、あまりの醜い偽装から強烈な反発が産まれ、日本ではそれまでに無かったタイプの、大きな大きな嫌韓という溝すら作ってしまった。
それでもまだやるのか。
「はぁ!?」という出来事にはほぼ
さて、戻る。
つまり、先に述べた明らかに異様さを見せる一連の韓国煽りとはズバリと踏み込めば、
『日韓EPA/FTA(経済連携協定/自由貿易協定)の一環』それによる『副作用』だと言えるのだ。
以前にも少し触れたが、現在の世界経済ではWTO(世界貿易機構)のそれより更に踏み込んだ、上記の協定に主要国はみな躍起である。経済の軸として、やはり主流なのが、北米、欧州、そして日本のこの3つ。それにチャイナ(中国)とインドの2大人的大国が、まだまだとは言え追い上げ馬として注目もされている。私の感覚としては、日-米、米-欧は明らかに経済的ライバルであり、特に米国はその手に露骨だ。詰まる所、それが『実はアメリカンスタンダードであるグローバルスタンダードの押し付け』や『(BSE感染疑惑)牛肉買え!』等の様に表れてくる。そこで、戦争する位に皆が欲しがる油がウリのアラブ諸国や、目下注目のアジアがその対象として主要国には見られている。日本としても、アジアをそう易々とアメリカ、欧州に持って行かれる訳にはいかない。現在ASEAN(東南アジア諸国連合)加盟国などとはかなり順調で、フィリピン、マレーシア、シンガポール、メキシコ等とは既に締結。タイ(政情により随分遅れたが)、インドネシア、ブルネイ等とも大筋で合意、近く批准と聞く。もちろん、他の国々、例えばオーストラリアやスイス、インド等とも交渉中の様だ。
そこでだ、先にアジアと言った。
アジアと言えば当然特定アジアだけを指すものではないが、その様に日本は相手国として韓国もよそに取られたくない。しかし韓国とは反日愛国主義に溺れるゆえ、反日で愛国で反米で、、と行くうちに中毒化が進み見境が付かなくなって何処にでもそれを撒き散らす様になり、国内産業は政官にベッタリ甘え、自分はいいけど他所から来るのは嫌だ、「国内産業保護!愛国、愛国!」と言い出す如何ともし難い状況に陥り、他国からは「アホな事言いいなはんな。商売はお互いに利益が無かったら成り立ちまへん」と迫られる。返せばつまり、実は割と手付かずな市場だという事だ。そして、これまた実は経済もガタついている韓国にとって、欧米や日本の巨大な資本・投資が入るのは大きな魅力なのだ。ゆえに揺れている。
その中で、米国も少なからずある様だが特に日本にとって猛烈に大きいのが知的財産権問題。
どういう事か説明すると、
さて、戻る。
つまり、先に述べた明らかに異様さを見せる一連の韓国煽りとはズバリと踏み込めば、
『日韓EPA/FTA(経済連携協定/自由貿易協定)の一環』それによる『副作用』だと言えるのだ。
以前にも少し触れたが、現在の世界経済ではWTO(世界貿易機構)のそれより更に踏み込んだ、上記の協定に主要国はみな躍起である。経済の軸として、やはり主流なのが、北米、欧州、そして日本のこの3つ。それにチャイナ(中国)とインドの2大人的大国が、まだまだとは言え追い上げ馬として注目もされている。私の感覚としては、日-米、米-欧は明らかに経済的ライバルであり、特に米国はその手に露骨だ。詰まる所、それが『実はアメリカンスタンダードであるグローバルスタンダードの押し付け』や『(BSE感染疑惑)牛肉買え!』等の様に表れてくる。そこで、戦争する位に皆が欲しがる油がウリのアラブ諸国や、目下注目のアジアがその対象として主要国には見られている。日本としても、アジアをそう易々とアメリカ、欧州に持って行かれる訳にはいかない。現在ASEAN(東南アジア諸国連合)加盟国などとはかなり順調で、フィリピン、マレーシア、シンガポール、メキシコ等とは既に締結。タイ(政情により随分遅れたが)、インドネシア、ブルネイ等とも大筋で合意、近く批准と聞く。もちろん、他の国々、例えばオーストラリアやスイス、インド等とも交渉中の様だ。
そこでだ、先にアジアと言った。
アジアと言えば当然特定アジアだけを指すものではないが、その様に日本は相手国として韓国もよそに取られたくない。しかし韓国とは反日愛国主義に溺れるゆえ、反日で愛国で反米で、、と行くうちに中毒化が進み見境が付かなくなって何処にでもそれを撒き散らす様になり、国内産業は政官にベッタリ甘え、自分はいいけど他所から来るのは嫌だ、「国内産業保護!愛国、愛国!」と言い出す如何ともし難い状況に陥り、他国からは「アホな事言いいなはんな。商売はお互いに利益が無かったら成り立ちまへん」と迫られる。返せばつまり、実は割と手付かずな市場だという事だ。そして、これまた実は経済もガタついている韓国にとって、欧米や日本の巨大な資本・投資が入るのは大きな魅力なのだ。ゆえに揺れている。
その中で、米国も少なからずある様だが特に日本にとって猛烈に大きいのが知的財産権問題。
どういう事か説明すると、
「ん…?」という事にはかなり
並列させたくなかったので分けたが、先稿に続いてもう一つ、震災にまつわる諸々の事柄を述べる。論旨は別にそれだけにこだわる訳でも無いので、あれやこれやと散漫に長くなると思うが、まあお付き合い下さい。あの時を機に気付いた、気付き出した事がもう少しあるのだ。それは筆者が論ずるに、度々(たびたび)名がでてくるある国、韓国(朝鮮半島)にまつわる話。
私や周りの人々がそうであった様に、恐らく多くの方々がそうだろうと思うのが、つい最近になるまで(あの強烈な反日愛国主義を含めて)この韓国についての事などほとんど知らなかっただろうという事。筆者にしても本当に、ここで言う「気付き出した」頃以前については正直、韓国のかの字のほどの記憶も見当たらない。別に厭味でも何でもなく。
掘り起こして何とか出て来るのが、教科書だ何だと問題になる強制連行だとか従軍慰安婦だとかのキナ臭い話(これらは須らく歪曲と捏造の所産だった)や、道徳だったと思われる学校授業の一環で見せられた「差別問題」のビデオだろうか。確か、着物に似たを服を着た女性が出ていた様な気がし、今思えばあれがチマチョゴリだったんだと分かる訳で、つまりは「同和・在日・外国人差別」にまつわる「教育」だったのだと。これに限らず学校の教材ビデオなんぞに興味を引くものなどほとんど無いので、私に限らず大半の者がロクに観てもいなかった様にも思う。
以前にも触れたが、この手の「差別」問題に言及するのは正直今でも気が重い。その時にも指摘した通り、「差別」なる言葉に妙な、オドロオドロしい、キナ臭い臭いが付き過ぎているためだ。だがまあ、色々な問題を内包しているし、民主主義社会における風通しの良い言論空間を作る為にはいちいちタブーをこしらえて見過ごしていてもいけない。腹を割って話してみようと思う。
当時の私の感覚と言えば、
「差別差別言わん方がええんちゃうの。大体そんなん知らんし、(差別)する気も無いし。好きな人は好き、嫌いな人は嫌い。そんだけやん」
といったものだった。と思う。
それでも親しい人に大人でも「ほんでもワイ(わし、私)はキレー(きらい)や。悪い事するやつ、ようけ(沢山)おるし」と言っていた人がいたのも覚えている。そんな会話も「ふ〜ん」くらいで終わった様な気がする。
家庭で思想や宗教教育をされた覚えもほとんどないのだが、この辺の感覚は家庭環境や個人的経験則に大きく影響されるとも思うがどうだろう。とにかくこれについての私の考え方は今でも大した変わりは無い。変わった点といえば、「知らなかった」のが「知った上で」に変化したという事くらいだろう。
だからという訳ではないが、私は進歩的知識人などと気取る左巻きのインテリの様に、「差別はいけない!」「友好友好!」と必要以上に無理矢理ベタついて『どうですか?私は良識的な人間でしょう?』といった顔を振りまく様な真似は死んでもしたくない。
総じてあの手合いは、『そんな自分が好き』なのだ。そうして実は、そうでない人を馬鹿にし、被差別対象の人を哀れみ、自分だけを『一つ高み』に置き差別している。本当に気持ちの悪い連中だと感じる。まあそれも、エセ人権をダシに一緒になって利益や利権を追い回しているうちに本人ももう何が何だか分からなくなっているのかも知れないが。
そういえば、私は偽善的なもの、嘘臭い誤摩化しや歪曲は昔からひどく嫌いだったか。
そりゃあ生きていれば色々目にする訳で、例えば『パチンコは賭博』で『風俗・援助交際は売春』、『消費者金融は高利貸し』で『自衛隊は軍隊』で。『九条って何?』(まあ、本気ですかと)。靖国神社参拝でギャーギャーギャーギャー『私的参拝ですか?公的参拝ですか?』って『あなたは2重人格ですか?』って聞いてるんですかと。それをさも「高尚な問題」を扱ってるかの様なシタリ顔の記者が、若造の目にすら鬱陶しく映ってね。どこからどう見ても『公明党は創価学会で宗教団体』で。『大学に行けば遊べる』って何ですか。『記憶にゴザイマセン』ってあんたナメてます?『社会党or共産党は平和の党です』ってもう、、、(笑
まあこういった事も、考え方が変わっていった要因の一つ、、多くである。
で、本筋に戻してゆくが、
(韓国について)少なからず認知度が上がったと思われるのが、ゴリ押し、無理矢理の2002年日韓共催サッカー・ワールドカップ、この辺りからではないかと思う。そして同期するかの様に無理矢理でっち上げられる偽装韓流ブーム。結果、見せかけ偽りの偽善的友好を見せ付けるこの誘導は少なからず「政府の意向方針」であったろうと私は思う。
この部分について別にまとめるつもりだったが先に少し書いてしまうが、それを受ける自己保身と利益にしか目がない無節操な組織・企業のNHK、そして電通。この両者ともが、減収から脱却する為にアジア、韓国でのビジネスをも模索している。追随するメディア。驚喜して飛びつき、無茶をしてまわる半島(韓国/北朝鮮)系の組織(主に民族団体や宗教団体)や企業。概ねこれが、ここ最近の、例えば偽装韓流ブームに代表される総体的日本文化圏の感覚、センスからは疑問符ばかりが付くムーブメントそのものや礼賛に対する「どこがイイの?」と言われる『何で韓国?』という流れの実体だろう。
(※まさに先陣を切ったNHK。暗躍する電通は、例えばヤラセで問題になった内閣府主催のタウンミーティング等をも請け負っている。バウネット・ジャパン〈戦争と女性への暴力・日本ネットワーク〉なる強烈異様な団体に関する番組制作に端を発した、朝日の恣意的歪曲報道「安倍・中川両氏の政治的圧力」なるとばっちりから、朝日vsNHKの泥仕合への本質的問題、根源たる影の忍び寄りが大問題であるにもかかわらず、焦点をずらすその対処法など諸々に見られる様、彼らの体質的問題点とは自己保身と利益、無節操さにこそあると筆者は見ている。ゆえに世間一部に言われる様な「思想的売国」ではなく、ケースバイケースよる『御用・売国の両輪ござれ』なのだ。偽装韓流ムーブメントに関して、追随するメディアについては最早いわずもがなだが、逸早くフジがスマップであぶれる某タレントを起用し、全編ハングルによる妙な番組を始めていたのも頷ける。ちなみに筆者が先稿にて指摘した「デスノート」の意味不明な韓国絡みも、該当局日テレをプレスリリース等少し調べれば即座に理解できる。「相互」を強調しながらの韓国市場への参入は、以降展開する諸々の分析と符合する。無論、これらはアジア、世界をも視野に入れた戦略の一つである。結果、例えばその電通の売上とは丁度その辺りから回復傾向にあり、新市場の開拓と共に顕著な伸び率を示すのがそう、「アジア市場」だ。)
並列させたくなかったので分けたが、先稿に続いてもう一つ、震災にまつわる諸々の事柄を述べる。論旨は別にそれだけにこだわる訳でも無いので、あれやこれやと散漫に長くなると思うが、まあお付き合い下さい。あの時を機に気付いた、気付き出した事がもう少しあるのだ。それは筆者が論ずるに、度々(たびたび)名がでてくるある国、韓国(朝鮮半島)にまつわる話。
私や周りの人々がそうであった様に、恐らく多くの方々がそうだろうと思うのが、つい最近になるまで(あの強烈な反日愛国主義を含めて)この韓国についての事などほとんど知らなかっただろうという事。筆者にしても本当に、ここで言う「気付き出した」頃以前については正直、韓国のかの字のほどの記憶も見当たらない。別に厭味でも何でもなく。
掘り起こして何とか出て来るのが、教科書だ何だと問題になる強制連行だとか従軍慰安婦だとかのキナ臭い話(これらは須らく歪曲と捏造の所産だった)や、道徳だったと思われる学校授業の一環で見せられた「差別問題」のビデオだろうか。確か、着物に似たを服を着た女性が出ていた様な気がし、今思えばあれがチマチョゴリだったんだと分かる訳で、つまりは「同和・在日・外国人差別」にまつわる「教育」だったのだと。これに限らず学校の教材ビデオなんぞに興味を引くものなどほとんど無いので、私に限らず大半の者がロクに観てもいなかった様にも思う。
以前にも触れたが、この手の「差別」問題に言及するのは正直今でも気が重い。その時にも指摘した通り、「差別」なる言葉に妙な、オドロオドロしい、キナ臭い臭いが付き過ぎているためだ。だがまあ、色々な問題を内包しているし、民主主義社会における風通しの良い言論空間を作る為にはいちいちタブーをこしらえて見過ごしていてもいけない。腹を割って話してみようと思う。
当時の私の感覚と言えば、
「差別差別言わん方がええんちゃうの。大体そんなん知らんし、(差別)する気も無いし。好きな人は好き、嫌いな人は嫌い。そんだけやん」
といったものだった。と思う。
それでも親しい人に大人でも「ほんでもワイ(わし、私)はキレー(きらい)や。悪い事するやつ、ようけ(沢山)おるし」と言っていた人がいたのも覚えている。そんな会話も「ふ〜ん」くらいで終わった様な気がする。
家庭で思想や宗教教育をされた覚えもほとんどないのだが、この辺の感覚は家庭環境や個人的経験則に大きく影響されるとも思うがどうだろう。とにかくこれについての私の考え方は今でも大した変わりは無い。変わった点といえば、「知らなかった」のが「知った上で」に変化したという事くらいだろう。
だからという訳ではないが、私は進歩的知識人などと気取る左巻きのインテリの様に、「差別はいけない!」「友好友好!」と必要以上に無理矢理ベタついて『どうですか?私は良識的な人間でしょう?』といった顔を振りまく様な真似は死んでもしたくない。
総じてあの手合いは、『そんな自分が好き』なのだ。そうして実は、そうでない人を馬鹿にし、被差別対象の人を哀れみ、自分だけを『一つ高み』に置き差別している。本当に気持ちの悪い連中だと感じる。まあそれも、エセ人権をダシに一緒になって利益や利権を追い回しているうちに本人ももう何が何だか分からなくなっているのかも知れないが。
そういえば、私は偽善的なもの、嘘臭い誤摩化しや歪曲は昔からひどく嫌いだったか。
そりゃあ生きていれば色々目にする訳で、例えば『パチンコは賭博』で『風俗・援助交際は売春』、『消費者金融は高利貸し』で『自衛隊は軍隊』で。『九条って何?』(まあ、本気ですかと)。靖国神社参拝でギャーギャーギャーギャー『私的参拝ですか?公的参拝ですか?』って『あなたは2重人格ですか?』って聞いてるんですかと。それをさも「高尚な問題」を扱ってるかの様なシタリ顔の記者が、若造の目にすら鬱陶しく映ってね。どこからどう見ても『公明党は創価学会で宗教団体』で。『大学に行けば遊べる』って何ですか。『記憶にゴザイマセン』ってあんたナメてます?『社会党or共産党は平和の党です』ってもう、、、(笑
まあこういった事も、考え方が変わっていった要因の一つ、、多くである。
で、本筋に戻してゆくが、
(韓国について)少なからず認知度が上がったと思われるのが、ゴリ押し、無理矢理の2002年日韓共催サッカー・ワールドカップ、この辺りからではないかと思う。そして同期するかの様に無理矢理でっち上げられる偽装韓流ブーム。結果、見せかけ偽りの偽善的友好を見せ付けるこの誘導は少なからず「政府の意向方針」であったろうと私は思う。
この部分について別にまとめるつもりだったが先に少し書いてしまうが、それを受ける自己保身と利益にしか目がない無節操な組織・企業のNHK、そして電通。この両者ともが、減収から脱却する為にアジア、韓国でのビジネスをも模索している。追随するメディア。驚喜して飛びつき、無茶をしてまわる半島(韓国/北朝鮮)系の組織(主に民族団体や宗教団体)や企業。概ねこれが、ここ最近の、例えば偽装韓流ブームに代表される総体的日本文化圏の感覚、センスからは疑問符ばかりが付くムーブメントそのものや礼賛に対する「どこがイイの?」と言われる『何で韓国?』という流れの実体だろう。
(※まさに先陣を切ったNHK。暗躍する電通は、例えばヤラセで問題になった内閣府主催のタウンミーティング等をも請け負っている。バウネット・ジャパン〈戦争と女性への暴力・日本ネットワーク〉なる強烈異様な団体に関する番組制作に端を発した、朝日の恣意的歪曲報道「安倍・中川両氏の政治的圧力」なるとばっちりから、朝日vsNHKの泥仕合への本質的問題、根源たる影の忍び寄りが大問題であるにもかかわらず、焦点をずらすその対処法など諸々に見られる様、彼らの体質的問題点とは自己保身と利益、無節操さにこそあると筆者は見ている。ゆえに世間一部に言われる様な「思想的売国」ではなく、ケースバイケースよる『御用・売国の両輪ござれ』なのだ。偽装韓流ムーブメントに関して、追随するメディアについては最早いわずもがなだが、逸早くフジがスマップであぶれる某タレントを起用し、全編ハングルによる妙な番組を始めていたのも頷ける。ちなみに筆者が先稿にて指摘した「デスノート」の意味不明な韓国絡みも、該当局日テレをプレスリリース等少し調べれば即座に理解できる。「相互」を強調しながらの韓国市場への参入は、以降展開する諸々の分析と符合する。無論、これらはアジア、世界をも視野に入れた戦略の一つである。結果、例えばその電通の売上とは丁度その辺りから回復傾向にあり、新市場の開拓と共に顕著な伸び率を示すのがそう、「アジア市場」だ。)
私は中高生の頃、受験や試験用に詰め込めたかどうかはともかくそのくらいで、まるで歴史や政治になど興味は無かった。だがいつしかこれらにも興味を持つ様になった。きっかけは何だったか、それは色々な要素があるゆえこれだとは断言できないが、環境や出来事により徐々に醸成されていった様にも感じる。実を言うと現在の様な考え方に至るまでは色々と変遷もあった。
私は右だの左だのそんな事はどうでも良く、大事なのは我が国日本を大切に思っているという事であり、文化や歴史を含め愛している。ゆえに妙な思想や宗教で郷土が汚されるのはしのびなく、ただそれを守りたいだけだ。総じて見る怪しげな動きは我々の国にも世界にも決して良い影響は与えないと確信している。まことの平和や多民族の共生、幸せは、決して薄汚い志の上には成り立たない。そう思う。
それを、というのは違うかも知れないが、例えばだが所謂ところの二元論的観点で言えば中道か中道保守、分かり易く言えば「真ん中か、真ん中やや右」に近いのかと思うが、少年の頃と言えば、まあこまっしゃくれた左よりな小僧だった様に思う。興味も左程なく、野球やロックバンドの方が遥かな関心事だった上、子供だから程度こそ知れているが、それこそ日教組が内心「(してやったり)」と喜びそうなものだったろう。
昨今に「お花畑」と形容される平和念仏的左翼思想とは、まさにこれがそのまま膨らんで大人になってしまったのでは、と思わざるを得ないほどに人の現実感が無く、概念だけがフワフワ宙に浮いている。若輩が言うのも何だが、自分に関して言えばそれも年輪を重ねるに変わってゆき、ポイント、ポイントで考えさせられる出来事が幾つかあったのも割と鮮明に覚えているものだ。
例えば一つ、歴史に関して言えば、司馬遼太郎先生の作品だった様な気がする。旧来の捉え方とはかなり離れた、こんな見方をする方もいるんだ、と感銘を受けた。氏は時に自分を分析して
さて、何の話だったか
その辺の変化をもたらした出来事などに関しては、随分前に書いたものがあるのでその稿に譲るとして、今稿の核心、先項で触れた地震にまつわる事象について少し書いておきたい。
私は関西出身である。
そう、つまり阪神淡路大震災は遠い他人事でない。
大好きな街、神戸をも襲ったあの震災のそれは悲惨なものだった。
一面に家屋が倒壊し、ガタガタの線、視点を引けば一帯にブルーシートが掛けられている風景を茫然と眺めた記憶は今も残っている。そのどこまでも続きそうな瓦礫の山々の下で、大切な命を無念にも落とされた方々が沢山おれらる事も忘れない。その当時、ある人はそのあまりの事態、そして平衡感覚をも狂わせそうな風景に訳が分からなくなって嘔吐したと言う程だったのだ。
それでも人々は立ち上がり、悲しみを乗り越えて街は復興した。
そんな非常事態で、本当に多くのボランティアや自衛隊の方々、被災者の方々が助け合い大切なものも得たという。大事なのは心だと。
そして、もう一方に忘れ得ない事がある。
当時、我が国は自社さ連立による社会党は村山内閣の時代だった。それが悲劇に輪をかけたという事実。
社会主義思想だか何だか知らぬが、彼らは己の思想が為にその存在を認めたくない、現存し、災害時の手だてや救助の力を持つ自衛隊を出し渋り、在日米軍の支援申請も拒否し、一般車両の通行など交通規制すら出来ず、何もかもが後手後手に回り、結果失う必要の無かった多くの人命を失い、被害を拡大させた。
この時私もはっきり知る事となる。
得体の知れぬ妙な思想や、口先ばかりの平和、観念に支配された絵に描いた餅の様な空理空論など何の役にも立たない。むしろ害を為すと。
多くの人々もそう思った様であり、この後社会党は瓦解し衰退の一途をたどる。
最近では、その名を変えてみた『社民党』は票を得たいがあまりに自らを指して「絶滅危惧種には保護を!」などと愚にもつかない馬鹿丸出しの呼びかけを辻元清美や福島瑞穂あたりがやっていたか。
愚かなものだ。
当時の内閣、村山、河野、加藤や、土井、野中や金丸が牛耳る体制、前後を宮沢、橋本とはさみ移行してもこの辺りが中心に位置する大して変わらないその体制とは今思ってもまさに混迷の極み、ほとんど自国日本や日本国民などどうでも良いという売国体制以外の何ものでもなかった。
震災のみならず、地下鉄サリン事件や警察庁長官狙撃事件、坂本弁護士一家殺害事件など数々の凶悪な破滅的テロをおこしたオーム真理教をもってしてなお、破防法(破壊活動防止法)の適用どころかカルト規制法すら制定させず握りつぶし、公平でない卑怯な仕業による圧力に折れ、有りもしない虐殺や軍による強制的官製売春を認める河野談話、村山談話を声明として出し、やれ謝罪だ賠償だと、感謝しないどころかその金が武器・ミサイル、他国へのODA(発展途上国に対する政府開発援助)に替わる様な特定国に(ODAを含め)国民の血税を撒き散らすなど、もう気違いじみている。外交は外交であり、先進国として発展途上国に対して援助するのもそれなりの義務であり、必要な事だ。だが、それが何に使われるのか、「感謝して」とは言わないまでも、その善意が伝わり、結果それが世界や地域の安定にもつながり我々にも還ってくるものなのか。そういった思慮などまるで無い結果的にむしろ害を為すものならば、、その巨額の資金があれば例えば一体どのくらいの被災者が助かるか。とそうも思わずにはいられない。
「Japan as NO.1」とすら言われた時代から、バブル崩壊も相まって「失われた10年」へ
私から言わせれば、こんなイカレた体制、路線では10年でも20年でも失われる。
「どうせ誰がなっても同じ」
それは違う。そんな事は絶対にない。
総理大臣でも議員でも、知事でも市長でも、校長でも社長でも、優れた人物がリーダーになれば必ず変わる事がある。それは歴史を見ても明かであり、確かに現状の民主主義とは至極面倒臭いモノに違いないが、それは皆がその義務と権利を負っている『変えられる』ものなのだ。以前にも述べたが、
結局世を変えるのは、たった一人の優秀な人間でなく、一人一人の、皆の心(志)だと私は信じている。
余計な話かも知れぬが、私はある地方自治体の長を少しばかり知っている。氏は阪神淡路大震災の当時、市民や街を案じ、自身は着の身着のままで飛び出して被害状況確認や対策に走り回っていた。政治家たるもの、必要なのは各能力もさることながら、他を案ずる無私な志なのだと、今思い出してもまた教えられる気がするのだ。
私は右だの左だのそんな事はどうでも良く、大事なのは我が国日本を大切に思っているという事であり、文化や歴史を含め愛している。ゆえに妙な思想や宗教で郷土が汚されるのはしのびなく、ただそれを守りたいだけだ。総じて見る怪しげな動きは我々の国にも世界にも決して良い影響は与えないと確信している。まことの平和や多民族の共生、幸せは、決して薄汚い志の上には成り立たない。そう思う。
それを、というのは違うかも知れないが、例えばだが所謂ところの二元論的観点で言えば中道か中道保守、分かり易く言えば「真ん中か、真ん中やや右」に近いのかと思うが、少年の頃と言えば、まあこまっしゃくれた左よりな小僧だった様に思う。興味も左程なく、野球やロックバンドの方が遥かな関心事だった上、子供だから程度こそ知れているが、それこそ日教組が内心「(してやったり)」と喜びそうなものだったろう。
昨今に「お花畑」と形容される平和念仏的左翼思想とは、まさにこれがそのまま膨らんで大人になってしまったのでは、と思わざるを得ないほどに人の現実感が無く、概念だけがフワフワ宙に浮いている。若輩が言うのも何だが、自分に関して言えばそれも年輪を重ねるに変わってゆき、ポイント、ポイントで考えさせられる出来事が幾つかあったのも割と鮮明に覚えているものだ。
例えば一つ、歴史に関して言えば、司馬遼太郎先生の作品だった様な気がする。旧来の捉え方とはかなり離れた、こんな見方をする方もいるんだ、と感銘を受けた。氏は時に自分を分析して
「私が歴史を見るのは、医者が患者を診察する様なもの。分析によるもので、いわゆる時代小説でもなく歴史書でもなく、あまり面白いものでは無いかも知れない」と言われていた様に記憶している。それは謙遜されているのか、他との差別化をはかり自分を高みに置こうとされているのか、などとの諸説あるのか知らぬが、それも私にとってはどうでも良い。既存の固定概念ばかりにとらわれるな、と教わった気がするし、有益であり単純に面白かったものだ。ただその先生の分析について一つ言うのならば、いわゆる時代小説とは趣きが違うと感じたのは確かだ。だが、それは別に感情の無い分析論とも明らかに違い、時に声を出して笑い、時に涙も流れた文には確かに魂がこもっているはずである。ものによって私は先生と捉え方が違う所も少なからずあるが、多くを教わったと思う。それが大事なのだと感じている。
さて、何の話だったか
その辺の変化をもたらした出来事などに関しては、随分前に書いたものがあるのでその稿に譲るとして、今稿の核心、先項で触れた地震にまつわる事象について少し書いておきたい。
私は関西出身である。
そう、つまり阪神淡路大震災は遠い他人事でない。
大好きな街、神戸をも襲ったあの震災のそれは悲惨なものだった。
一面に家屋が倒壊し、ガタガタの線、視点を引けば一帯にブルーシートが掛けられている風景を茫然と眺めた記憶は今も残っている。そのどこまでも続きそうな瓦礫の山々の下で、大切な命を無念にも落とされた方々が沢山おれらる事も忘れない。その当時、ある人はそのあまりの事態、そして平衡感覚をも狂わせそうな風景に訳が分からなくなって嘔吐したと言う程だったのだ。
それでも人々は立ち上がり、悲しみを乗り越えて街は復興した。
そんな非常事態で、本当に多くのボランティアや自衛隊の方々、被災者の方々が助け合い大切なものも得たという。大事なのは心だと。
そして、もう一方に忘れ得ない事がある。
当時、我が国は自社さ連立による社会党は村山内閣の時代だった。それが悲劇に輪をかけたという事実。
社会主義思想だか何だか知らぬが、彼らは己の思想が為にその存在を認めたくない、現存し、災害時の手だてや救助の力を持つ自衛隊を出し渋り、在日米軍の支援申請も拒否し、一般車両の通行など交通規制すら出来ず、何もかもが後手後手に回り、結果失う必要の無かった多くの人命を失い、被害を拡大させた。
この時私もはっきり知る事となる。
得体の知れぬ妙な思想や、口先ばかりの平和、観念に支配された絵に描いた餅の様な空理空論など何の役にも立たない。むしろ害を為すと。
多くの人々もそう思った様であり、この後社会党は瓦解し衰退の一途をたどる。
最近では、その名を変えてみた『社民党』は票を得たいがあまりに自らを指して「絶滅危惧種には保護を!」などと愚にもつかない馬鹿丸出しの呼びかけを辻元清美や福島瑞穂あたりがやっていたか。
愚かなものだ。
当時の内閣、村山、河野、加藤や、土井、野中や金丸が牛耳る体制、前後を宮沢、橋本とはさみ移行してもこの辺りが中心に位置する大して変わらないその体制とは今思ってもまさに混迷の極み、ほとんど自国日本や日本国民などどうでも良いという売国体制以外の何ものでもなかった。
震災のみならず、地下鉄サリン事件や警察庁長官狙撃事件、坂本弁護士一家殺害事件など数々の凶悪な破滅的テロをおこしたオーム真理教をもってしてなお、破防法(破壊活動防止法)の適用どころかカルト規制法すら制定させず握りつぶし、公平でない卑怯な仕業による圧力に折れ、有りもしない虐殺や軍による強制的官製売春を認める河野談話、村山談話を声明として出し、やれ謝罪だ賠償だと、感謝しないどころかその金が武器・ミサイル、他国へのODA(発展途上国に対する政府開発援助)に替わる様な特定国に(ODAを含め)国民の血税を撒き散らすなど、もう気違いじみている。外交は外交であり、先進国として発展途上国に対して援助するのもそれなりの義務であり、必要な事だ。だが、それが何に使われるのか、「感謝して」とは言わないまでも、その善意が伝わり、結果それが世界や地域の安定にもつながり我々にも還ってくるものなのか。そういった思慮などまるで無い結果的にむしろ害を為すものならば、、その巨額の資金があれば例えば一体どのくらいの被災者が助かるか。とそうも思わずにはいられない。
「Japan as NO.1」とすら言われた時代から、バブル崩壊も相まって「失われた10年」へ
私から言わせれば、こんなイカレた体制、路線では10年でも20年でも失われる。
「どうせ誰がなっても同じ」
それは違う。そんな事は絶対にない。
総理大臣でも議員でも、知事でも市長でも、校長でも社長でも、優れた人物がリーダーになれば必ず変わる事がある。それは歴史を見ても明かであり、確かに現状の民主主義とは至極面倒臭いモノに違いないが、それは皆がその義務と権利を負っている『変えられる』ものなのだ。以前にも述べたが、
結局世を変えるのは、たった一人の優秀な人間でなく、一人一人の、皆の心(志)だと私は信じている。
余計な話かも知れぬが、私はある地方自治体の長を少しばかり知っている。氏は阪神淡路大震災の当時、市民や街を案じ、自身は着の身着のままで飛び出して被害状況確認や対策に走り回っていた。政治家たるもの、必要なのは各能力もさることながら、他を案ずる無私な志なのだと、今思い出してもまた教えられる気がするのだ。