「消えた5000万件」で現在ボロ雑巾状態の社保庁。それにしても知れば知る程に社保庁の悪辣さはその想像を上回る。
ところで、
その年金事業だが、本来先の問題にかき消されている本質的な問題があるハズだ。それが、そもそも現在の方式で「100年安心」が本当に担保されているのか、という事でもあり、それがあいまって4割の未納問題がある。現在の年金事業の姿というのは、
「水を集めなければならないんです」と大バケツ抱えながら歩き回っているのだが、その当の大バケツにはアチコチに穴が開いており水はジャージャー漏れている。入れてくれない人が多いから水が貯まらない、と一緒に回収する人を増やしてはみるが、効果は上がらんばかりか、集める人間が寄ってたかってバケツの水を汲んでは勝手にガブガブ飲んでいる。という様な、もう何をやっているのか分からない状態だ。
後半の部分は、未納滞納者への納入催促、またはお願いの為に新たな人員を雇って(つまりは人件費がかかる)回収にあたっている、と言う現実をこう表現してみた。ましてや驚愕の5000万件で、もう、一体誰が信用すると言うのか。喜んで払うと言うのか。
そこで、
以前少々触れた「税方式」についてもう一度提言してみたい。そもそもの与党案、民主党案の両方ともが庁の形態にメスを入れる程度のものに見え、それはそれで結構な事なのだが、肝心の年金事業の見直しにまで至ってはいないと思えたからである。(与党案→独法化。民主党案→国税庁と合併した歳入庁化。共に現在のまま保険料徴収方式)
まず、前置きとして、
私は、頑張ってそれなりの成果を上げれば報われる、それなりの切磋琢磨や競争がある民主主義、自由社会が基本は良いと思っている。無論それはbetter、という観点からだ。完全無欠の至上である等とは決して思ってはいない。返して、共産、社会主義なんてものは、もう言うまでもないが大嫌いである。
だが、それぞれの考え方から、良いものはこだわらずに抽出して採用すれば良いとも考える。
例えば、この年金など、いわゆる社会保障というもの自体が少なからずそれらに近い考え方から来る部分もあろうものだが、それはそれで全然構わないじゃないかと思うのだ。老後や、医療、本当に必要なその時における弱者保護というものは、誰もが人として人らしく生きてゆける上で必要だ。それが、格差社会と言われる一面にも現れて来るのであり、幾ら自由主義とは言え、アメリカ型の弱肉強食スタイルに日本が進んで行くのはあまり良いとは思えない。救急医療のまさに現場で、「保険が無いから」と診療拒否される様な社会はちょっと御免こうむりたいのだ。
このように、そういった社会保障の面では、社会主義的な要素を盛り込んでも良いのではないかと、その様に思う。
そこで、国民健康保険なども併せてやってしまえれば良いが、とりあえず出来るのかどうかを鑑みてまず、年金だ。それはタイムリーでもあるし、元々そう考えていたのもあるし、後述するが経済との兼ね合いもある(無論、国保もだが)。
そこで年金事業そもものの在り方、その財源の抜本的改革となる。
それが、『徴収方式から税方式』への転換だ。
既に幾つも並べた様に、現在の徴収方式故に4割未納問題が横たわり、それを回収しようとまた焼け太りの様な策を施してしまい、表面上の数字を操作しようと画策する偽装を産み、挙げ句は「納めてくれたっけな?」とも言うべきずさんな5000万件問題がブチ上がって来る。幾らか資料を見てみても、社保庁自体、確かにその腐り方ももう半端じゃなさそうだ。
であるから、組織腐敗と共にここまでの事業的な方式破綻を迎えれば、それももう絶対に見直すべきだと思うのだ。
故に、「皆で支え合う」という精神からも全く逸脱しない、かつ上記の技術的な(壮大な)非効率を取り払う、『税方式』で良いのでないか、と言いたい。
そこで更に、
税方式とするならその税源として『消費税の大幅アップ』とした。
何故、消費税なのかと言えば、それが経済へと繋がる。
「何を言う。消費税を大幅アップすれば景気は一気に後退するだろう」と言われるかも知れない。
確かに一見すればそう感じられるかも知れないが、忘れてはいけない。その消費税は、間違いなく貴方の、皆の年金(など社会保障)に使われるのだ。そう考えればどうだろう?
景気は回復傾向、とは言えども良く言われる様に、確かに大してそうも感じられないのは格差社会と言われる様な問題や、明らかな『将来不安』が根底にある(と思う)。結局、それが『消費』に繋がって行かないのだ。しかしそれが、それら社会保障が確実に担保されるなら、安心してお金も使える。老後が不安故に云百云千万単位でシコタマ貯め込んでいる人も、それならいいか、と財布の紐も緩むというものだ。せっかくの老後、引退した余生や第二の人生に、ゆるりと何処かへ旅行してみようか、何か美味しいものでも食べに行こうか、孫を何処かに連れて行ってやろうか、などといった余裕が出て来得るのではないか。あるいは、何か商売でもしてみようか、だとか、何か世の中の役に立つ事の為に使おう、とされるエネルギッシュな方も出て来るかも知れない。
これからは、俗に言う「団塊の世代」の方々が続々と引退されて行く。
その退職金や年金を当て込んだ、団塊ビジネスというものまで言われるが、それらのお金を、今まで頑張って来た方々が物理的にも心理的にも「余裕」をもって使える様な状態にもって行くのが、良い社会なのではないか。ましてや消費も伸び、堅い紐で括られて眠っていた金も世の中を回る事になる。つまりは、経済が活性化する。
お金は貯めて貯めて貯めて貯めても、お墓の中や、あの世までは持って行けません。
先の真田幸村ではないが、三途の川の渡し賃は僅かに六文。持って行くにしても、
六文銭で充分なんです。
ところで、
その年金事業だが、本来先の問題にかき消されている本質的な問題があるハズだ。それが、そもそも現在の方式で「100年安心」が本当に担保されているのか、という事でもあり、それがあいまって4割の未納問題がある。現在の年金事業の姿というのは、
「水を集めなければならないんです」と大バケツ抱えながら歩き回っているのだが、その当の大バケツにはアチコチに穴が開いており水はジャージャー漏れている。入れてくれない人が多いから水が貯まらない、と一緒に回収する人を増やしてはみるが、効果は上がらんばかりか、集める人間が寄ってたかってバケツの水を汲んでは勝手にガブガブ飲んでいる。という様な、もう何をやっているのか分からない状態だ。
後半の部分は、未納滞納者への納入催促、またはお願いの為に新たな人員を雇って(つまりは人件費がかかる)回収にあたっている、と言う現実をこう表現してみた。ましてや驚愕の5000万件で、もう、一体誰が信用すると言うのか。喜んで払うと言うのか。
そこで、
以前少々触れた「税方式」についてもう一度提言してみたい。そもそもの与党案、民主党案の両方ともが庁の形態にメスを入れる程度のものに見え、それはそれで結構な事なのだが、肝心の年金事業の見直しにまで至ってはいないと思えたからである。(与党案→独法化。民主党案→国税庁と合併した歳入庁化。共に現在のまま保険料徴収方式)
まず、前置きとして、
私は、頑張ってそれなりの成果を上げれば報われる、それなりの切磋琢磨や競争がある民主主義、自由社会が基本は良いと思っている。無論それはbetter、という観点からだ。完全無欠の至上である等とは決して思ってはいない。返して、共産、社会主義なんてものは、もう言うまでもないが大嫌いである。
だが、それぞれの考え方から、良いものはこだわらずに抽出して採用すれば良いとも考える。
例えば、この年金など、いわゆる社会保障というもの自体が少なからずそれらに近い考え方から来る部分もあろうものだが、それはそれで全然構わないじゃないかと思うのだ。老後や、医療、本当に必要なその時における弱者保護というものは、誰もが人として人らしく生きてゆける上で必要だ。それが、格差社会と言われる一面にも現れて来るのであり、幾ら自由主義とは言え、アメリカ型の弱肉強食スタイルに日本が進んで行くのはあまり良いとは思えない。救急医療のまさに現場で、「保険が無いから」と診療拒否される様な社会はちょっと御免こうむりたいのだ。
このように、そういった社会保障の面では、社会主義的な要素を盛り込んでも良いのではないかと、その様に思う。
そこで、国民健康保険なども併せてやってしまえれば良いが、とりあえず出来るのかどうかを鑑みてまず、年金だ。それはタイムリーでもあるし、元々そう考えていたのもあるし、後述するが経済との兼ね合いもある(無論、国保もだが)。
そこで年金事業そもものの在り方、その財源の抜本的改革となる。
それが、『徴収方式から税方式』への転換だ。
既に幾つも並べた様に、現在の徴収方式故に4割未納問題が横たわり、それを回収しようとまた焼け太りの様な策を施してしまい、表面上の数字を操作しようと画策する偽装を産み、挙げ句は「納めてくれたっけな?」とも言うべきずさんな5000万件問題がブチ上がって来る。幾らか資料を見てみても、社保庁自体、確かにその腐り方ももう半端じゃなさそうだ。
であるから、組織腐敗と共にここまでの事業的な方式破綻を迎えれば、それももう絶対に見直すべきだと思うのだ。
故に、「皆で支え合う」という精神からも全く逸脱しない、かつ上記の技術的な(壮大な)非効率を取り払う、『税方式』で良いのでないか、と言いたい。
そこで更に、
税方式とするならその税源として『消費税の大幅アップ』とした。
何故、消費税なのかと言えば、それが経済へと繋がる。
「何を言う。消費税を大幅アップすれば景気は一気に後退するだろう」と言われるかも知れない。
確かに一見すればそう感じられるかも知れないが、忘れてはいけない。その消費税は、間違いなく貴方の、皆の年金(など社会保障)に使われるのだ。そう考えればどうだろう?
景気は回復傾向、とは言えども良く言われる様に、確かに大してそうも感じられないのは格差社会と言われる様な問題や、明らかな『将来不安』が根底にある(と思う)。結局、それが『消費』に繋がって行かないのだ。しかしそれが、それら社会保障が確実に担保されるなら、安心してお金も使える。老後が不安故に云百云千万単位でシコタマ貯め込んでいる人も、それならいいか、と財布の紐も緩むというものだ。せっかくの老後、引退した余生や第二の人生に、ゆるりと何処かへ旅行してみようか、何か美味しいものでも食べに行こうか、孫を何処かに連れて行ってやろうか、などといった余裕が出て来得るのではないか。あるいは、何か商売でもしてみようか、だとか、何か世の中の役に立つ事の為に使おう、とされるエネルギッシュな方も出て来るかも知れない。
これからは、俗に言う「団塊の世代」の方々が続々と引退されて行く。
その退職金や年金を当て込んだ、団塊ビジネスというものまで言われるが、それらのお金を、今まで頑張って来た方々が物理的にも心理的にも「余裕」をもって使える様な状態にもって行くのが、良い社会なのではないか。ましてや消費も伸び、堅い紐で括られて眠っていた金も世の中を回る事になる。つまりは、経済が活性化する。
お金は貯めて貯めて貯めて貯めても、お墓の中や、あの世までは持って行けません。
先の真田幸村ではないが、三途の川の渡し賃は僅かに六文。持って行くにしても、
六文銭で充分なんです。
後は、その消費税の上げ幅を幾らにするか、とかそういった技術的な問題というもので、個人的には15%とか言いたいが、国保も含めて20%とか言ってみたいが、その辺りは実際の数字を試算し照らし合わせてみないと何とも言えない上、まあ反発もあるだろうから現実的な折り合いはつけていかねばなるまい。だが、そういった事の為に、本来優秀である官僚や役人がいるんでしょうよ。やってもらうんです。
そしてそういった様に、政治家とは細々した詳細よりも大略を練るべきであろうとも思う。
最後に付け加えるなら、目的税というものは利権や縄張り意識の温床ともなり易いのであるから、随時見直して行く事も必要であると考えるので、「少なくとも何年おき」にでも見直す事を法案自体に盛り込んでしまっても良い。
あと、既に納めている方々に対するインセンティブは何かしら考えないといけないだろうという点もあり、それは返還という様な膨大かつ不可能な作業をもってしてでなく、一定期間の住民税免除や、何かしらの優遇措置を講じる事で対応する。こうして行くともうあまり生産的な作業ではなくなっては来るが、5000万件の照合は優遇措置・インセンティブの為や誠意としてでも責任をもって行う、ともするべきだろう。
それにしても、やはり省庁改革に付きものである抵抗を鑑みても今は改革への絶好の機会でもあると言える。というより、この様な時期を逃せばもうおいそれとはやって来ないに違いない。税方式に転換する事で、社保庁はどこかの一部署にでも組み込むなり、年金などの出口機関程度に規模縮小し、責任あるものには責任を取らせ、天下りと無駄遣いの温床である不必要な関連法人は一切を廃止し、後の優秀な人材には他へ回って貰えば良い。何千字以上打ってはイケナイ、だのまるで「働くな、サボれ」と言わんばかりの馬鹿げた規定を勝手に作って遊ばせておく程の余裕も無かろうし(自治労、労働組合とは一体何を考えているのか。こんな事ばかりやっているから本来は必要であろう労組の存在自体を否定される事になるのだ)、そもそもが勿体無い。
どうだろう。
機能不全に陥って、確実に担保されるかどうかも分からない上に、その受給額は痩せ細って行く事が確実な現在方式で納入をお願いして回るよりよっぽどいい。
禍い転じて福と為す
安倍首相。
もう一度どっしり腰を据えてやってみませんか。とそう提言したいものだ。もし本当にやるなら物凄い大規模な大改革となるが。無論、首相でなくてもどなたでも、これらの策を使えると思ったなら建策の叩き台としてでも、献策でも何なりと使って頂いて一向に構いません(建設的な政策案としてよりも結局、存在主張や政権批判に使いそうなので、正直、社民共産や公明辺りは遠慮して欲しいが)。誰が言ったかという手柄など、多分どうでもいい(笑)
日本が少しでも良くなれば。
それでいい
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