※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<書き出しはこれの方が遅い。あと、追記追記で時間がかかった。07/11/下旬だが12月下旬から1月初旬まで追記改編にかかったはず。総じてしんどいものだったが、それなりに意義のあるものとなった気がする>
取り敢えず、総じて、総体的にポジティブ(積極的)な意味で、
この現状をもってなお今、「韓国韓国」言って回っている人、そういった番組を制作しようだとか、CMを作ろうだとか、
そういった事ばかりしようとしている人は、政治家だろうが業界人だろうが、一般人だろうが、
相当感覚の鈍い人なのだと思う。
若しくは、シガラミがあると言っている様なものなのだ。
もうあの辺の半島エゴが絡み出すと、宗教だとか民族団体だとか、そっち系企業だとか、何かと言えばワーッと集まって、そこまでいかなかったとしても結局のところ何でもロクな事にならない。正直ここまでくると諸々鑑みてニアリーイコールで、韓国(韓国朝鮮)が絡むとロクな事がない、とすら言えるものだと思う。そしてこれは彼らだけに言えるものでないが、残念ながらやはり彼らの国というか国民・民族全体的に言える強い傾向というものがある。
彼らはいつも彼らばかりで寄り集まって、そういった排他感の漂うコミュニティーを作る。
ともすれば、敵対的である。そして、彼らのエゴを増殖させる。
そういった事を、他所の国でやる。どこででもやる。
これは、今私が端的に表現したものだが、割と昔、まだあまりそういった諸問題に詳しくもなかった頃、北米のある街で、カナダ人やアメリカ人達が同じ様な事を言っていたのをいつも思い出すのだ。後に、イタリアなどでも本当に同じ様な意見をよく耳にしたのが今にしてみれば驚きでもある。イタリアではコリア(韓国朝鮮)についての認識自体が希薄だった様に思うのであるが、これはコリアンやチャイニーズについての彼らの心象だ。まあ、欧米とは基本的に良きにつけ悪きにつけはっきりモノを言う、不満があれば口にする傾向の強い文化だとも思うが、これについては私も同様の見解や心象を持っている。
これは、幾ら良識的な顔をして反証を試みても、もう無駄だと思うし、そもそも全部などとは誰も言っていない。総体的な悪しき特徴というのが本当に目立つのだ。国が教育に至るまで、何から何までを反日愛国民族主義で汚く染め上げてしまった結果である。
それは、コリアンやチャイニーズにとっては非常に不名誉な事だろう。気に入らないだろう。
だったら直せば良いだけの話だ。
嫌われる様な事をしながら、嫌われる事をいつまでも人のせいにばかりに転嫁して、
結局自分達が何もしないのでは何も変わらない。というか、そういった何でも人のせいにしている態度が全てを物語る。
以前、差別だなんだと言われる事象に、例えば、
嫌われる方にさして非の無い、主観者に問題のある偏見が存在する場合と、
嫌われるべくして、嫌われる様な事ばかりしている連中がいる場合がある、とそう言った。
彼らは実に後者の色合いが濃い。
当たり前だが、彼らの中にも全くそうでない人達もいる。日本でもそうであるし、北米や欧州だってアジアだってどこだって多分同じだ。そういう融和的、友好的な人達というのは、とうにその国や地域に馴染んで溶け込み、融和して仲良く、というか普通にやっている。だから目立たないだけの話だ。
融和。
打ち解けて仲良くする事
取り敢えず、総じて、総体的にポジティブ(積極的)な意味で、
この現状をもってなお今、「韓国韓国」言って回っている人、そういった番組を制作しようだとか、CMを作ろうだとか、
そういった事ばかりしようとしている人は、政治家だろうが業界人だろうが、一般人だろうが、
相当感覚の鈍い人なのだと思う。
若しくは、シガラミがあると言っている様なものなのだ。
もうあの辺の半島エゴが絡み出すと、宗教だとか民族団体だとか、そっち系企業だとか、何かと言えばワーッと集まって、そこまでいかなかったとしても結局のところ何でもロクな事にならない。正直ここまでくると諸々鑑みてニアリーイコールで、韓国(韓国朝鮮)が絡むとロクな事がない、とすら言えるものだと思う。そしてこれは彼らだけに言えるものでないが、残念ながらやはり彼らの国というか国民・民族全体的に言える強い傾向というものがある。
彼らはいつも彼らばかりで寄り集まって、そういった排他感の漂うコミュニティーを作る。
ともすれば、敵対的である。そして、彼らのエゴを増殖させる。
そういった事を、他所の国でやる。どこででもやる。
これは、今私が端的に表現したものだが、割と昔、まだあまりそういった諸問題に詳しくもなかった頃、北米のある街で、カナダ人やアメリカ人達が同じ様な事を言っていたのをいつも思い出すのだ。後に、イタリアなどでも本当に同じ様な意見をよく耳にしたのが今にしてみれば驚きでもある。イタリアではコリア(韓国朝鮮)についての認識自体が希薄だった様に思うのであるが、これはコリアンやチャイニーズについての彼らの心象だ。まあ、欧米とは基本的に良きにつけ悪きにつけはっきりモノを言う、不満があれば口にする傾向の強い文化だとも思うが、これについては私も同様の見解や心象を持っている。
これは、幾ら良識的な顔をして反証を試みても、もう無駄だと思うし、そもそも全部などとは誰も言っていない。総体的な悪しき特徴というのが本当に目立つのだ。国が教育に至るまで、何から何までを反日愛国民族主義で汚く染め上げてしまった結果である。
それは、コリアンやチャイニーズにとっては非常に不名誉な事だろう。気に入らないだろう。
だったら直せば良いだけの話だ。
嫌われる様な事をしながら、嫌われる事をいつまでも人のせいにばかりに転嫁して、
結局自分達が何もしないのでは何も変わらない。というか、そういった何でも人のせいにしている態度が全てを物語る。
以前、差別だなんだと言われる事象に、例えば、
嫌われる方にさして非の無い、主観者に問題のある偏見が存在する場合と、
嫌われるべくして、嫌われる様な事ばかりしている連中がいる場合がある、とそう言った。
彼らは実に後者の色合いが濃い。
当たり前だが、彼らの中にも全くそうでない人達もいる。日本でもそうであるし、北米や欧州だってアジアだってどこだって多分同じだ。そういう融和的、友好的な人達というのは、とうにその国や地域に馴染んで溶け込み、融和して仲良く、というか普通にやっている。だから目立たないだけの話だ。
<また少し思い出した手前事を振り返りながら。。>
随分前に北米の方を一人でブラブラしていた時、たまたまある知り合いのツテがツテを呼んで、ある韓国人達とご飯を食べたり飲んだりした事を思い出した。まあ、その知り合いによると、せっかく語学留学しているのにもかかわらず、いつも韓国人ばかりで集まってるのはどうか、、とは言っていたが、彼等はこの原稿で問題視している敵対的移住(移民)者ではなかったと思う。少なくとも一緒に出かけたり飲んだりしている時にまた、反日まがいの妙な話を振って来たりだとか、そんな悪意を感じた記憶は無い。全然普通だった。うちに来て飲まないかと誘われて、山盛りのキムチをつまみに(笑)飲めもしない酒を結構飲みながら、一晩中、彼彼女らと話した記憶は単に楽しかったというだけだ。
そういえばまたその空港帰りの駅で、韓国人留学生から道を聞かれた時の事も思い出した。何だか、白人系外国人ビジネスマンを数人連れたおっさんに、大音声ではないが怒鳴られていたものだから、何だろう、と横目で捉えながらいると、私の所に来た。大変動揺しながら、「ワタシ、ナニもしてないです」と訴えていたので、どうしたのかと聞くと、単に道を聞きたかっただけなのだ。「シンオオクボ、どうやったらいけますか?」と。日本語が勉強中であるのとの事なので中々通じなかったから、英語は分かるかと聞くとこれは全然だというので、確かに伝えるのに苦労はした。だがそんな事もたかだか知れている。なのに何であのおっさんは教えないまでもあんな態度をとったのだろう、と腹が立った。だから覚えている。その留学生は、丁寧に何度もお礼を言って立ち去った。後半の出来事は、ポイントとしてここに書くべきでもないのだが、余勢で書き留めて置きたかったので記すもの。こちらのポイントは2段落とちょっと程前の前者だろう。
ローマにおいて、とある、イタリア人達と大変仲良くしていたチャイニーズの家族は、みなイタリア語をよく話し、イタリア人など他人種の友達も多いものだから本当によく打ちとけて仲良くしている様だった。24時間働いているのは働き過ぎだが、それも頑張っているのだから偉いのだ、と笑っていた辺りによく象徴されていた様に思う。本当に友好的であれば、融和すれば、捉え方も変わるのだ。
思い出せば、そういえば私もイタリア人数人とそのチャイニーズの家族の長男と何故か日本料理を食べに行った記憶がある。別に私が日本料理がいいと言った訳でもなく、何か彼らが行きたいのだと連れて行かれた様に思う。味付けなど、全体的に惜しい店だったが(醤油で煮染めた様な蕎麦のツユ。笑)。そこで目にしている風景も今思えば、本当に現地の人が沢山いたと思う。むしろ日本人は私しかいないんじゃないかと思った程だ。
比べて、ローマのチャイナタウンの中華料理店へ、当時たまたま居合わせた満州産まれの爺さま(日本人。チャイニーズも堪能、北京か広東か分からないが)の提案でディナーに行った時も、そういえばイタリアやスペイン、ドイツ人達は誰も付いて来なかった。私は不可解に思ったので、同行した現地に住んでいる日本人の方に聞いてみると、やっぱりそういう確執があるのだと言っていた。下手をすれば、「何を食わされるか分かったもんじゃない」といった考えを持つ欧州人も少なくないという。コリア(韓国朝鮮)に関しても同様、あまりの素行の悪さにコリアン決め打ちで拒否する店やホテルまでヨーロッパにはあったという(今も存在するのかどうかは知らないが)。コミュニティー、民族単位での確執というのは何処でも多い。そういった感覚があるのは、その欧州人達と話してみてもあったものだし間違いないだろうが、そういった現実が現地の日本人達に、正直な所、日本人であって良かった、とまた思わせるそうである。そして国に感謝する事もあるそうだ。やはり印象が全然違うと。
結局その国やその国の人々の印象、心象というのは、大きなナショナルイメージと、その身近な事象の頻度と程度によって定着していくものなのだ。
その対策については、国の世界における行いを正し、民度を上げてゆくなど大に小に地道な努力をするしかない、というかそれが本筋である。怪しげなキャンペーンを張ってみたり、妙な工作をやってみたりと、何でもかんでもそんなインチキがまかり通るものでない。
なのにどうした事だろう。
最近の日本の体たらくと言えば。
日本においてはやはり何と言っても半島エゴ。
やれ素晴らしい、ああイケメンだ何だと、何かと言えば韓国韓国、醜く実際以上に持ち上げ、何かと利益供与に走るそういった連中と言えば、
友好的、融和的、といったそれとは真反対のロクでもないのばかりである。
だからあらゆる箇所に偽装の綻(ほころ)び、無理が見えて、それに走れば走る程醜い事汚い事ばかりになる。
そうやってまたここにも、正直者が馬鹿を見る構図が見える。
本当に友好的融和的なコリアンより、反日抱えて欲ばかり見せている様なタチの悪いのが優遇され。
そういったのに供与する事でまた何かの利益を得ようとする汚い日本人がおり。
結局、「差別」「逆差別」。つまるところ差別利権だ。
そもそも観光やビジネスでも当然だが、移住や移民についても、
移民なら当然であるし、移住段階でも他国に来るならそういった融和的な態度を持ってあるのが当然であり、よその国にお邪魔するのに自分達の国だ民族だののエゴや我ばかり張っていて良いはずがない。というどころか、ネチネチと敵意を持っているなどというのは本当に有り得ない。そんな事は世界中のどこの国に行っても、どう考えても当然だろう。それが当たり前であるから、本来融和的である事だって特段美化するような話だって持ち上げるものだってないのだ。それは例えば、日本人が海外に行ったとしても同じ事である。お邪魔しているから、例えどんな扱いや仕打ちを受けようと我慢すべきだ、といった様な考え方はどう考えても間違っているが、遠慮やわきまえがあってしかるべき立場において我が侭放題で、やれあれが気に入らない、これをよこせ、権利権利などとホザく様なのは単なる下衆である。そんな迷惑な連中にはお帰り願えば良い。また自分が行った国がそんな変な所なら、行かねば良い。
であるのに、、、
随分前に北米の方を一人でブラブラしていた時、たまたまある知り合いのツテがツテを呼んで、ある韓国人達とご飯を食べたり飲んだりした事を思い出した。まあ、その知り合いによると、せっかく語学留学しているのにもかかわらず、いつも韓国人ばかりで集まってるのはどうか、、とは言っていたが、彼等はこの原稿で問題視している敵対的移住(移民)者ではなかったと思う。少なくとも一緒に出かけたり飲んだりしている時にまた、反日まがいの妙な話を振って来たりだとか、そんな悪意を感じた記憶は無い。全然普通だった。うちに来て飲まないかと誘われて、山盛りのキムチをつまみに(笑)飲めもしない酒を結構飲みながら、一晩中、彼彼女らと話した記憶は単に楽しかったというだけだ。
そういえばまたその空港帰りの駅で、韓国人留学生から道を聞かれた時の事も思い出した。何だか、白人系外国人ビジネスマンを数人連れたおっさんに、大音声ではないが怒鳴られていたものだから、何だろう、と横目で捉えながらいると、私の所に来た。大変動揺しながら、「ワタシ、ナニもしてないです」と訴えていたので、どうしたのかと聞くと、単に道を聞きたかっただけなのだ。「シンオオクボ、どうやったらいけますか?」と。日本語が勉強中であるのとの事なので中々通じなかったから、英語は分かるかと聞くとこれは全然だというので、確かに伝えるのに苦労はした。だがそんな事もたかだか知れている。なのに何であのおっさんは教えないまでもあんな態度をとったのだろう、と腹が立った。だから覚えている。その留学生は、丁寧に何度もお礼を言って立ち去った。後半の出来事は、ポイントとしてここに書くべきでもないのだが、余勢で書き留めて置きたかったので記すもの。こちらのポイントは2段落とちょっと程前の前者だろう。
ローマにおいて、とある、イタリア人達と大変仲良くしていたチャイニーズの家族は、みなイタリア語をよく話し、イタリア人など他人種の友達も多いものだから本当によく打ちとけて仲良くしている様だった。24時間働いているのは働き過ぎだが、それも頑張っているのだから偉いのだ、と笑っていた辺りによく象徴されていた様に思う。本当に友好的であれば、融和すれば、捉え方も変わるのだ。
思い出せば、そういえば私もイタリア人数人とそのチャイニーズの家族の長男と何故か日本料理を食べに行った記憶がある。別に私が日本料理がいいと言った訳でもなく、何か彼らが行きたいのだと連れて行かれた様に思う。味付けなど、全体的に惜しい店だったが(醤油で煮染めた様な蕎麦のツユ。笑)。そこで目にしている風景も今思えば、本当に現地の人が沢山いたと思う。むしろ日本人は私しかいないんじゃないかと思った程だ。
比べて、ローマのチャイナタウンの中華料理店へ、当時たまたま居合わせた満州産まれの爺さま(日本人。チャイニーズも堪能、北京か広東か分からないが)の提案でディナーに行った時も、そういえばイタリアやスペイン、ドイツ人達は誰も付いて来なかった。私は不可解に思ったので、同行した現地に住んでいる日本人の方に聞いてみると、やっぱりそういう確執があるのだと言っていた。下手をすれば、「何を食わされるか分かったもんじゃない」といった考えを持つ欧州人も少なくないという。コリア(韓国朝鮮)に関しても同様、あまりの素行の悪さにコリアン決め打ちで拒否する店やホテルまでヨーロッパにはあったという(今も存在するのかどうかは知らないが)。コミュニティー、民族単位での確執というのは何処でも多い。そういった感覚があるのは、その欧州人達と話してみてもあったものだし間違いないだろうが、そういった現実が現地の日本人達に、正直な所、日本人であって良かった、とまた思わせるそうである。そして国に感謝する事もあるそうだ。やはり印象が全然違うと。
結局その国やその国の人々の印象、心象というのは、大きなナショナルイメージと、その身近な事象の頻度と程度によって定着していくものなのだ。
その対策については、国の世界における行いを正し、民度を上げてゆくなど大に小に地道な努力をするしかない、というかそれが本筋である。怪しげなキャンペーンを張ってみたり、妙な工作をやってみたりと、何でもかんでもそんなインチキがまかり通るものでない。
なのにどうした事だろう。
最近の日本の体たらくと言えば。
日本においてはやはり何と言っても半島エゴ。
やれ素晴らしい、ああイケメンだ何だと、何かと言えば韓国韓国、醜く実際以上に持ち上げ、何かと利益供与に走るそういった連中と言えば、
友好的、融和的、といったそれとは真反対のロクでもないのばかりである。
だからあらゆる箇所に偽装の綻(ほころ)び、無理が見えて、それに走れば走る程醜い事汚い事ばかりになる。
そうやってまたここにも、正直者が馬鹿を見る構図が見える。
本当に友好的融和的なコリアンより、反日抱えて欲ばかり見せている様なタチの悪いのが優遇され。
そういったのに供与する事でまた何かの利益を得ようとする汚い日本人がおり。
結局、「差別」「逆差別」。つまるところ差別利権だ。
そもそも観光やビジネスでも当然だが、移住や移民についても、
移民なら当然であるし、移住段階でも他国に来るならそういった融和的な態度を持ってあるのが当然であり、よその国にお邪魔するのに自分達の国だ民族だののエゴや我ばかり張っていて良いはずがない。というどころか、ネチネチと敵意を持っているなどというのは本当に有り得ない。そんな事は世界中のどこの国に行っても、どう考えても当然だろう。それが当たり前であるから、本来融和的である事だって特段美化するような話だって持ち上げるものだってないのだ。それは例えば、日本人が海外に行ったとしても同じ事である。お邪魔しているから、例えどんな扱いや仕打ちを受けようと我慢すべきだ、といった様な考え方はどう考えても間違っているが、遠慮やわきまえがあってしかるべき立場において我が侭放題で、やれあれが気に入らない、これをよこせ、権利権利などとホザく様なのは単なる下衆である。そんな迷惑な連中にはお帰り願えば良い。また自分が行った国がそんな変な所なら、行かねば良い。
であるのに、、、
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