先稿に続いて今回は憲法のお話を一つ。
憲法9条とは色々と物議を醸し、それにまつわる権化の様な思想団体もあったりしますが、実は先の統一地方選挙における東京都知事選で、石原慎太郎の(一応)対抗馬として浅野が出た訳だがその背後でもこういった勢力がうごめいていたのを、お忘れなきよう。
実はこれと前の項目はこの冒頭から分岐した。
この様な形があっても良いと思うので、そのまま併載する。
9条とは、筆者をして極左の極地とも感じさせる、結果として「国防、自衛すら認めない」「自衛隊は不要」「もし攻め込まれたら日本人は皆で死ねば良い」などという狂気の如き夢想的平和念仏を喚く反日左派の、今やその全てを凝縮した様なものとなっている。厳密に言えば左派=平和的というのも大きな誤解であり、というよりむしろそれらは彼らのプロパガンダのそれなりの成果とも言える。現実的にソ連社会主義や中共(チャイナ共産党)、カンボジアらを見て分かる様に、左派コミュニズムが平和的で安全であった試しが無い。右派というべきか微妙だがそれらに比べて資本、民主主義が極めて安全であるとはお世辞にも言えないが、やはり比較して「マシ」なのだ。結局、曲がりなりにも選挙で選ばれて来る代表達の行う政治と、選挙も行われず他思想の生存できない共産党一党独裁となるそれでは比較の対照とすらならないと感じる。更に細かい事を言えば、本来右派(右翼)とは現体制保守であり、左派(左翼)とは革新を意味したものであり、現代的な上記の捉え方とは必ずしも合致しないが、この際ではその様な原理的な意味では扱わない。
そして、
その上記9条2項
これは今や反日左派の全てを凝縮したかの様な思想の旗印になってしまっており、こうなった要因の一つとして恐らくあるのが自由民主党、その本来の最大の結党理由。それが、あくまでこれだけでは決してないが憲法改正(自主憲法制定)にある。党是なのだ。
世界平和、反戦。
これを笑うつもりなど決して、微塵も、毛頭ない。その精神は日本人の心、そして憲法にも深く刻むべき理想だ。
だが現実的に、世界に武力紛争が消えず、絶えずその危機が間近にも横たわる厳然たる事実。そしてそれに対して、現在も自衛隊という世界有数の(この歪な憲法の為、部分欠如した)能力を持った国防軍を日本は既に有し、日米同盟でそれを補完しているのが紛いなき現実だ。「9条があるから日本は平和だった」というのは全くの事実誤認、幻想である。
つまり、厳密に言えばこれは「おかしな憲法をまかり通す為に変な言い訳をして現実に対応している」憲法違反とも言える。
解釈、と言う名の「おかしな言い訳」で本来の意味を変えてゆく
この制限の極めて曖昧な、無限の拡大解釈を蔓延(はびこ)らせる方が余程も危険だ
本来の平和主義者はここにこそ力を注ぐべきだろう。
現実を踏まえて、どこまでが可能な事、どこまでが許されざるべき事なのか、
もう一度きっちりと憲法に明記し、それを監視するのが最も良いのでないか。
そして、くれぐれも断っておくが、
時に筆者が異常者とも揶揄してしまう(攻め込まれたら日本人は戦わずに死ねば良い、などと泣く)熱烈な平和信者はともかく、実に素直で人の良い、優しい平和論者が特定の左派思想を持った勢力に利用されている、という現実には必ず気付いて欲しい。その一見「絶対真理」の様に聞こえてしまう、「桃源郷」の様な甘い響きの源流に、アゲインスト・ジャパン、反日勢力の主たる目的「日本弱体化」がある事を。その先にはきっと、日本への侵略が待っている。
安易に脅かしている訳では決してない。
国際社会とは歴史を見ても常に、魑魅魍魎も跋扈する、欲望も渦巻く世界なのだという一面を忘れてはならないという事。
人を性善や性悪とどちらかに決めつけて推し量るのでなく、人間とはそのどちらも併せ持った存在であり、
万一に備えておくのが人の知性や知恵というものではないのか。
理想だけ掲げておけば人は絶対に悪事を働かない、と考えるのはあまりにも安易だろう。
端的に言えば、もっと小さな単位で考えて、法に理想を掲げて済むなら世界中のどの国にも警察など要らない。
しかし現実にそんな国は有り得ない。
それはやっぱり人の社会だからだ。
国防、世界安全保障も基本は同じ事だろう。
人が安全に、幸せに生きる為の方法論で人が殺し合うだとか、
その人の見えなくなった理想だけが宙に浮いている様な芸術は必要ない。
そこで必要なのはきっと、地味だが実直で冷静な、勤勉な努力。人の知性や知恵なのだろう。
そこで人の生に花を添えるのは、芸術に任せて欲しい。
それでなくても、幸せとは色んな所に実はあるものだと、人生の先輩達が言われてきた。
それは、
ただ望むだけで嘆くな
動きなさい。感じなさい
という事なのかも知れぬ。
また、
武は鍛え、備えるが使わないのが最上
体を鍛えると共に、心を鍛えるものである
古来から、そして武士道への昇華
その薫陶を受けた日本の武道も、そういった精神性があると筆者は理解しているがどうだろう。
憲法9条とは色々と物議を醸し、それにまつわる権化の様な思想団体もあったりしますが、実は先の統一地方選挙における東京都知事選で、石原慎太郎の(一応)対抗馬として浅野が出た訳だがその背後でもこういった勢力がうごめいていたのを、お忘れなきよう。
実はこれと前の項目はこの冒頭から分岐した。
この様な形があっても良いと思うので、そのまま併載する。
9条とは、筆者をして極左の極地とも感じさせる、結果として「国防、自衛すら認めない」「自衛隊は不要」「もし攻め込まれたら日本人は皆で死ねば良い」などという狂気の如き夢想的平和念仏を喚く反日左派の、今やその全てを凝縮した様なものとなっている。厳密に言えば左派=平和的というのも大きな誤解であり、というよりむしろそれらは彼らのプロパガンダのそれなりの成果とも言える。現実的にソ連社会主義や中共(チャイナ共産党)、カンボジアらを見て分かる様に、左派コミュニズムが平和的で安全であった試しが無い。右派というべきか微妙だがそれらに比べて資本、民主主義が極めて安全であるとはお世辞にも言えないが、やはり比較して「マシ」なのだ。結局、曲がりなりにも選挙で選ばれて来る代表達の行う政治と、選挙も行われず他思想の生存できない共産党一党独裁となるそれでは比較の対照とすらならないと感じる。更に細かい事を言えば、本来右派(右翼)とは現体制保守であり、左派(左翼)とは革新を意味したものであり、現代的な上記の捉え方とは必ずしも合致しないが、この際ではその様な原理的な意味では扱わない。
そして、
その上記9条2項
「(1項に続く)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
これは今や反日左派の全てを凝縮したかの様な思想の旗印になってしまっており、こうなった要因の一つとして恐らくあるのが自由民主党、その本来の最大の結党理由。それが、あくまでこれだけでは決してないが憲法改正(自主憲法制定)にある。党是なのだ。
世界平和、反戦。
これを笑うつもりなど決して、微塵も、毛頭ない。その精神は日本人の心、そして憲法にも深く刻むべき理想だ。
だが現実的に、世界に武力紛争が消えず、絶えずその危機が間近にも横たわる厳然たる事実。そしてそれに対して、現在も自衛隊という世界有数の(この歪な憲法の為、部分欠如した)能力を持った国防軍を日本は既に有し、日米同盟でそれを補完しているのが紛いなき現実だ。「9条があるから日本は平和だった」というのは全くの事実誤認、幻想である。
つまり、厳密に言えばこれは「おかしな憲法をまかり通す為に変な言い訳をして現実に対応している」憲法違反とも言える。
解釈、と言う名の「おかしな言い訳」で本来の意味を変えてゆく
この制限の極めて曖昧な、無限の拡大解釈を蔓延(はびこ)らせる方が余程も危険だ
本来の平和主義者はここにこそ力を注ぐべきだろう。
現実を踏まえて、どこまでが可能な事、どこまでが許されざるべき事なのか、
もう一度きっちりと憲法に明記し、それを監視するのが最も良いのでないか。
そして、くれぐれも断っておくが、
時に筆者が異常者とも揶揄してしまう(攻め込まれたら日本人は戦わずに死ねば良い、などと泣く)熱烈な平和信者はともかく、実に素直で人の良い、優しい平和論者が特定の左派思想を持った勢力に利用されている、という現実には必ず気付いて欲しい。その一見「絶対真理」の様に聞こえてしまう、「桃源郷」の様な甘い響きの源流に、アゲインスト・ジャパン、反日勢力の主たる目的「日本弱体化」がある事を。その先にはきっと、日本への侵略が待っている。
安易に脅かしている訳では決してない。
国際社会とは歴史を見ても常に、魑魅魍魎も跋扈する、欲望も渦巻く世界なのだという一面を忘れてはならないという事。
人を性善や性悪とどちらかに決めつけて推し量るのでなく、人間とはそのどちらも併せ持った存在であり、
万一に備えておくのが人の知性や知恵というものではないのか。
理想だけ掲げておけば人は絶対に悪事を働かない、と考えるのはあまりにも安易だろう。
端的に言えば、もっと小さな単位で考えて、法に理想を掲げて済むなら世界中のどの国にも警察など要らない。
しかし現実にそんな国は有り得ない。
それはやっぱり人の社会だからだ。
国防、世界安全保障も基本は同じ事だろう。
人が安全に、幸せに生きる為の方法論で人が殺し合うだとか、
その人の見えなくなった理想だけが宙に浮いている様な芸術は必要ない。
そこで必要なのはきっと、地味だが実直で冷静な、勤勉な努力。人の知性や知恵なのだろう。
そこで人の生に花を添えるのは、芸術に任せて欲しい。
それでなくても、幸せとは色んな所に実はあるものだと、人生の先輩達が言われてきた。
それは、
ただ望むだけで嘆くな
動きなさい。感じなさい
という事なのかも知れぬ。
また、
武は鍛え、備えるが使わないのが最上
体を鍛えると共に、心を鍛えるものである
古来から、そして武士道への昇華
その薫陶を受けた日本の武道も、そういった精神性があると筆者は理解しているがどうだろう。
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