本稿は前項目の流れを汲む続稿。/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<書き出しはこれの方が遅い。あと、追記追記で時間がかかった。07/11/下旬だが12月下旬から1月初旬まで追記改編にかかったはず。総じてしんどいものだったが、それなりに意義のあるものとなった気がする>
追記:
気になったので追記するが、人間社会の「ミクロ単位」で起こる、そういった過去の虐待経験が深く関連するかと思われる事例では、殺人、強姦、傷害などの極めて卑劣な重犯罪には必ず厳罰をもって処すべきであると考える。これは、国や民族という実に形のないものを、精神疾患と併せて考察したものとは相当に意味が違う。マクロにはそんな事は不可能であるし、もしそうするとしたら世界中が要刑罰となる。であるから、実体が無い、人の業、的に人類そのものが背負う罪には、大乗的に、冷静な歴史的アナライズ(分析)と現状に対処する治療法(負の連鎖を断ち切る事)こそが必要であると思うのである。それは本来ミクロ単位の人間においても同じ事ではあるが、やはりマクロとミクロでは違ってくる。
国以上の捉え方をするならば、今の世界はまだ未成熟でそこまでのシステムを構築し得ていない。少なくともこれだけは許されない、という最大公約数だけでも完全に行使出来る世界機関が必要なので、それがUN(国連)だ、とする方もいるかもしれぬが、残念ながら現在のUNにそこまでの力も公正さもない。国益や価値観、エゴ、それらがぶつかるのは当然だが、だとしても特定国の思惑に大きく左右されてしまう現在のシステムでは、出て来る結果は公正さに似せた異なるものでしかない。であるから、例えば数稿前でも触れた小沢一郎の考え方も、実に惜しいのだ。原理的に悪いものでない(と思うのだ)が、やや拙速で、そもそもの前提となる世界機関がまだ存在しない。リアルを飛び越えてしまっている。
だから私は、今、例えばEUが見せているものに次なるステップの光明を見ている。現実的に何とか成立させて、進めているそれはつまりリアリズムにも添っているのであり、そうやって人の最低限守るべきとする最大公約数を、社会から国、EUの様な幾らかの国の集まりへと、少しずつ、多分に平和的に広げてゆく事が、現状に対処する方法、負の連鎖を断ち切る為のシステムの構築として望ましいのだと。それは同時進行として、アジア、中東、北南米、アフリカでだって起こしていけてもいい。無論、何か間違えてその大きな単位が独善的なエゴを世界に押し付ける様になってしまうだとか、その単位で争ってしまっては元の木阿弥なのだが、そこまで大きな単位で戦争、という様な真似をすればそれこそこれは世界の破滅を意味するものであり、そこまで進め得た人々がそんな愚かな選択をする可能性も低くなるのでないだろうかとも思う。
ああ、そう、ミクロ単位の問題だが、
追記:
気になったので追記するが、人間社会の「ミクロ単位」で起こる、そういった過去の虐待経験が深く関連するかと思われる事例では、殺人、強姦、傷害などの極めて卑劣な重犯罪には必ず厳罰をもって処すべきであると考える。これは、国や民族という実に形のないものを、精神疾患と併せて考察したものとは相当に意味が違う。マクロにはそんな事は不可能であるし、もしそうするとしたら世界中が要刑罰となる。であるから、実体が無い、人の業、的に人類そのものが背負う罪には、大乗的に、冷静な歴史的アナライズ(分析)と現状に対処する治療法(負の連鎖を断ち切る事)こそが必要であると思うのである。それは本来ミクロ単位の人間においても同じ事ではあるが、やはりマクロとミクロでは違ってくる。
国以上の捉え方をするならば、今の世界はまだ未成熟でそこまでのシステムを構築し得ていない。少なくともこれだけは許されない、という最大公約数だけでも完全に行使出来る世界機関が必要なので、それがUN(国連)だ、とする方もいるかもしれぬが、残念ながら現在のUNにそこまでの力も公正さもない。国益や価値観、エゴ、それらがぶつかるのは当然だが、だとしても特定国の思惑に大きく左右されてしまう現在のシステムでは、出て来る結果は公正さに似せた異なるものでしかない。であるから、例えば数稿前でも触れた小沢一郎の考え方も、実に惜しいのだ。原理的に悪いものでない(と思うのだ)が、やや拙速で、そもそもの前提となる世界機関がまだ存在しない。リアルを飛び越えてしまっている。
だから私は、今、例えばEUが見せているものに次なるステップの光明を見ている。現実的に何とか成立させて、進めているそれはつまりリアリズムにも添っているのであり、そうやって人の最低限守るべきとする最大公約数を、社会から国、EUの様な幾らかの国の集まりへと、少しずつ、多分に平和的に広げてゆく事が、現状に対処する方法、負の連鎖を断ち切る為のシステムの構築として望ましいのだと。それは同時進行として、アジア、中東、北南米、アフリカでだって起こしていけてもいい。無論、何か間違えてその大きな単位が独善的なエゴを世界に押し付ける様になってしまうだとか、その単位で争ってしまっては元の木阿弥なのだが、そこまで大きな単位で戦争、という様な真似をすればそれこそこれは世界の破滅を意味するものであり、そこまで進め得た人々がそんな愚かな選択をする可能性も低くなるのでないだろうかとも思う。
ああ、そう、ミクロ単位の問題だが、
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本稿は前項目の流れを汲む続稿。/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<書き出しはこれの方が遅い。あと、追記追記で時間がかかった。07/11/下旬だが12月下旬から1月初旬まで追記改編にかかったはず。総じてしんどいものだったが、それなりに意義のあるものとなった気がする>
<精神的疾患へ。またその改善には?>
長く物語るこの点で次に何が言いたいかと言えば、そういった歴史の加害と被害というものは、確かに何がしの関係性、繋がりを持つのではないか、と(私は)思うのだという事。実を言うとこれは、人個体がもつものと同根であるとすら感じるのである。
つまり、そこが負の連鎖だ。
であるからこそ、そこで「恨みを持ち続け育てる」等といった考え方や行為そのものが、その最悪のスパイスになると言うのである。
現代において徐々に解明されつつある人の精神的病理。
その中で、統合失調症とまではいかないまでも、パニック障害、脅迫性障害、摂食障害、睡眠障害等や、やや重く解離性同一性障害、心的外傷後ストレス障害、そしてリストカット等に見られるような自傷行為などの様にストレス性障害と呼ばれる精神疾患がある。(リストカットの様な自傷行為は、現状前者達と並ぶストレス性障害と認められていない様であるが、私は個人的に、多分に含まれると感じている。ただし、人格障害に含まれるとされる考え方はある様で<例えば境界性人格障害>、その捉え方により認識も治療法も様々である模様。)何れも、心因性の要因、器質性の要因、が存在すると考えられているものである。前者が過度のストレスなどによる精神的原因。後者は、砕いて言えば身体的器官の原因。更に内因性と外因性に分けられ、内因は脳の器質的原因と思われ、外因は脳を始めとした各器官へ外的に加えられた原因とされる(感染や脳卒中、または大麻や覚せい剤などの薬物乱用もこれにあたる)。
また、これらは何れも、症状自体の苦痛に加え、周囲/社会の無理解から起こる葛藤・齟齬、自己嫌悪(フラッシュバック的に発生する場合もあるので、未診断による自覚の無い場合など特に不可解な症状に甚だ困惑する)、ストレスの加重、症状の悪化、生活に支障発生、といったダウンスパイラルが起こり得るもので、複数の症状を併発する事もまま見られ、もしそれらを放置すれば悪化の一途を辿り、重度の統合失調症や躁鬱病の様な状態に成り得、最悪の場合、自殺に至る事もある。
こうしてみると、私はこれらが「ストレスの多い現代社会特有の病理である」という認識は確実に違うと感じている。
単に医学の発達と社会的な意識の変化により徐々に認識され、解明されつつあるというだけだと思う。例えば過去の偉人、政治家や武将や数多の有名な歴史的人物、文筆、音楽など様々な作家、俳優、起業家、或いは犯罪者にでも、とにかく何れかに該当する人物は非常に多いのでないかと考えている。実際、近現代においては診察を受けたり、その症状の自覚があった方々も多く存在する。ともかく、そういったストレス性障害というのは、ストレス社会と呼ばれる現代においても極めて身近なものであると認識した方が良い。
本当に、いつ誰がなってもおかしくはない。
そこで、
以前、人は過去に強い精神的なショック、または継続的な精神的負担を受け続けると、精神に異常を来す、とある折に触れた事がある。例えば、戦争や災害、テロ、事件、事故、虐待、苛烈ないじめ、などの被害から起こるものでそれなりによく知られるPTSD(心的外傷後ストレス障害)なども典型。重ねて言うが、ストレス性障害の様な精神的病理というのは、いわゆる俗に言うところの精神病ではないが、これも断じて馬鹿にすべきものでも軽々しく扱うべきものでない。ともかく、
そういったものの中でみられる傾向というものがあり、以前にも触れた事があるのでまた重複するが、ストレス性障害などにおける、耐え難き現状を継続する事に対し危険信号を送る為に顕在化する症状や事象とは、内なる破壊か、外への破壊である。とした。その大半の場合が内的破壊へと向かう(最悪の場合、自殺)。先に挙げた、パニック障害、脅迫性障害、摂食障害、睡眠障害、自傷行為、解離性同一性障害等等がまさにそれであり、内なる破壊により現状の改善無き継続へ危険信号を発する。この辺りもほとんど個人的見解であるので恐れずに書くが、全くもって身体の機能と痛覚神経の相関と同じじゃないかと思えるのだ。
そしてまた、それが外へ向かってしまう場合が稀にある。これも筆者の見解だが、
例えば、DV(ドメスティック・バイオレンス)を起す人、患者というのは、過去に自分自身も類似の虐待を受けていたというケースが大変多いという。また、猟奇殺人などの異常な犯罪行為や、重犯罪においても同様で、そういった犯罪者の実に多くが何かしらの虐待の様な、成長過程で強い精神的ショックを受けていた過去を持つ場合がある、という研究がどこのチームだったか忘れたが発表されていたのを記憶している。
つまり、この場合、暴力的・精神的虐待というものが、世代を越えて連鎖する。
<精神的疾患へ。またその改善には?>
長く物語るこの点で次に何が言いたいかと言えば、そういった歴史の加害と被害というものは、確かに何がしの関係性、繋がりを持つのではないか、と(私は)思うのだという事。実を言うとこれは、人個体がもつものと同根であるとすら感じるのである。
つまり、そこが負の連鎖だ。
であるからこそ、そこで「恨みを持ち続け育てる」等といった考え方や行為そのものが、その最悪のスパイスになると言うのである。
現代において徐々に解明されつつある人の精神的病理。
その中で、統合失調症とまではいかないまでも、パニック障害、脅迫性障害、摂食障害、睡眠障害等や、やや重く解離性同一性障害、心的外傷後ストレス障害、そしてリストカット等に見られるような自傷行為などの様にストレス性障害と呼ばれる精神疾患がある。(リストカットの様な自傷行為は、現状前者達と並ぶストレス性障害と認められていない様であるが、私は個人的に、多分に含まれると感じている。ただし、人格障害に含まれるとされる考え方はある様で<例えば境界性人格障害>、その捉え方により認識も治療法も様々である模様。)何れも、心因性の要因、器質性の要因、が存在すると考えられているものである。前者が過度のストレスなどによる精神的原因。後者は、砕いて言えば身体的器官の原因。更に内因性と外因性に分けられ、内因は脳の器質的原因と思われ、外因は脳を始めとした各器官へ外的に加えられた原因とされる(感染や脳卒中、または大麻や覚せい剤などの薬物乱用もこれにあたる)。
また、これらは何れも、症状自体の苦痛に加え、周囲/社会の無理解から起こる葛藤・齟齬、自己嫌悪(フラッシュバック的に発生する場合もあるので、未診断による自覚の無い場合など特に不可解な症状に甚だ困惑する)、ストレスの加重、症状の悪化、生活に支障発生、といったダウンスパイラルが起こり得るもので、複数の症状を併発する事もまま見られ、もしそれらを放置すれば悪化の一途を辿り、重度の統合失調症や躁鬱病の様な状態に成り得、最悪の場合、自殺に至る事もある。
こうしてみると、私はこれらが「ストレスの多い現代社会特有の病理である」という認識は確実に違うと感じている。
単に医学の発達と社会的な意識の変化により徐々に認識され、解明されつつあるというだけだと思う。例えば過去の偉人、政治家や武将や数多の有名な歴史的人物、文筆、音楽など様々な作家、俳優、起業家、或いは犯罪者にでも、とにかく何れかに該当する人物は非常に多いのでないかと考えている。実際、近現代においては診察を受けたり、その症状の自覚があった方々も多く存在する。ともかく、そういったストレス性障害というのは、ストレス社会と呼ばれる現代においても極めて身近なものであると認識した方が良い。
本当に、いつ誰がなってもおかしくはない。
そこで、
以前、人は過去に強い精神的なショック、または継続的な精神的負担を受け続けると、精神に異常を来す、とある折に触れた事がある。例えば、戦争や災害、テロ、事件、事故、虐待、苛烈ないじめ、などの被害から起こるものでそれなりによく知られるPTSD(心的外傷後ストレス障害)なども典型。重ねて言うが、ストレス性障害の様な精神的病理というのは、いわゆる俗に言うところの精神病ではないが、これも断じて馬鹿にすべきものでも軽々しく扱うべきものでない。ともかく、
そういったものの中でみられる傾向というものがあり、以前にも触れた事があるのでまた重複するが、ストレス性障害などにおける、耐え難き現状を継続する事に対し危険信号を送る為に顕在化する症状や事象とは、内なる破壊か、外への破壊である。とした。その大半の場合が内的破壊へと向かう(最悪の場合、自殺)。先に挙げた、パニック障害、脅迫性障害、摂食障害、睡眠障害、自傷行為、解離性同一性障害等等がまさにそれであり、内なる破壊により現状の改善無き継続へ危険信号を発する。この辺りもほとんど個人的見解であるので恐れずに書くが、全くもって身体の機能と痛覚神経の相関と同じじゃないかと思えるのだ。
そしてまた、それが外へ向かってしまう場合が稀にある。これも筆者の見解だが、
例えば、DV(ドメスティック・バイオレンス)を起す人、患者というのは、過去に自分自身も類似の虐待を受けていたというケースが大変多いという。また、猟奇殺人などの異常な犯罪行為や、重犯罪においても同様で、そういった犯罪者の実に多くが何かしらの虐待の様な、成長過程で強い精神的ショックを受けていた過去を持つ場合がある、という研究がどこのチームだったか忘れたが発表されていたのを記憶している。
つまり、この場合、暴力的・精神的虐待というものが、世代を越えて連鎖する。
本稿は前項目の流れを汲む続稿。/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<書き出しはこれの方が遅い。あと、追記追記で時間がかかった。07/11/下旬だが12月下旬から1月初旬まで追記改編にかかったはず。総じてしんどいものだったが、それなりに意義のあるものとなった気がする>
<歴史へ>
(朝鮮半島に関して)彼等は日本についてよく、大変しばしば、日韓併合時代にまつわる何だかどころか、文禄・慶長の役だとか大昔の話まで持ち出し、コネ繰りまわしては恨む。文禄・慶長の役といえば、中世安土桃山時代の末期における、所謂、豊臣秀吉による朝鮮出兵の事。400年以上も昔の話だ。伽耶・任那、百済だと言うならもう1600年から昔の古代、考古学が研究対象とする様な話である。そこからロマンでなく恨みを見出すのだからかなわない。(任那、百済など古代朝鮮に対する倭<日本>の強い影響というものを認めたくない論調も大変多い様だが)
だが、もしそんな話をするなら、では文永・弘安の役はどうなるのだ聞いてみたくなる。文永・弘安の役とは、俗に言う元寇。当時大陸チャイナ(支那)域も支配した元(げん)とその冊封国(服属国)である高麗の軍による対日本出兵である。チャイナ的には、あれはモンゴルが侵略した結果、その支配下での出来事だと言うのかもしれないが、大陸のチャイナ域においては実に多民族により興亡が繰り返されたのであるから、だったら例えば満州族が隆盛し統治した清は無かった事になるのかな。そういう事なら、やはりチャイナとは歴史的に断裂しているという事になるが。ともかくまあ、この時は間違いなくモンゴル帝国下であるから主体がモンゴルであるというのは正しかろうが、自分達は全く関係ねーよ、とでも言うつもりなら随分御都合主義である。高麗(当時の朝鮮)に至っては、その王が功を上げ宗主国である元の寵を得、またその背景をもって領域の支配権を保全しようと企んだとみられる事もあり、執拗に日本への侵略をそそのかしている。そして、一体となって攻め込んで来ているのが事実の様なのである。日本としてみれば、これがまた半島や大陸への強い警戒感と、当時としては憎しみや、そして間違いなく軍事的な意識を向けた出来事であると思われる。
もっとも、更にその昔の任那や百済、新羅だとかそういった古代朝鮮における倭国(日本)の強い影響というものや、そもそもその辺りの勢力争いというものがあるのではあるが。だが、その辺りになると更に、もう現在の韓国だとか朝鮮といった国地域の感覚をそのまま当てはめるのは不可能なんじゃないか、とすら私などは思うのだ。現在の考古学によると、その頃の朝鮮半島南部は総体的に倭国の影響も強く受けており、例えば倭人、倭系の豪族なり人々が存在していたのだとみられるらしい。そうすると、高句麗(や渤海)が主に満州系の人々による国地域だと考えると、朝鮮半島というのは漢、随だとか唐だとかいった様な主なチャイナ勢力と、満州、モンゴルなどの様な北方系、そして倭といわれる日本方面の勢力が、これまた非常にしばしばぶつかり合っていた地域なのでないかと思うのである。
であるから例えば今、チャイナの東北工程問題における高句麗史を巡って、韓国とチャイナがナショナリズムをもって激烈に喧嘩し争っている様だが、これも傍から見れば妙ちくりんにもみえてしまう。そもそも高句麗(や渤海)というのが、満州の相当部分と確かに半島の北部辺りを支配していたのであるが、その主体とは満州だとかモンゴル系の民族であるとみられ、後の韓国朝鮮というのが多くその流れを汲むというのは当然だろうが、それは南部の系統だってチャイナ域系統だってそうである。新羅こそと言う韓国人達もいるのだろうし。だから、現在の朝鮮半島のルーツは何なのだと厳密に決定する事なんて不可能だと思うし、無理に決めつけたって意味がないと思うのである。ルーツたる祖先達の勢力が実にしのぎを削ったのが朝鮮半島なんじゃないかと、私などは思う。それは、それこそチャイナなんて更に苛烈な多民族による興亡史であるし、海で隔たれた環境が作用して比較的他国間抗争が少なかった日本だって色んな民族があり、また何かの折りに、本当に色々な国地域の民族が渡来し、融和していったのである。きっと。例えばその、任那、次いで百済などが滅亡した際にも、多数の亡命者が倭国日本に受け入れられているというのだから。
それでもって、ついでなのでその高句麗史の中韓争奪戦だが、それは「どっちのものでもあって、どっちかだけのものでもない」、或いは、満州民族の自立というものをもし考えるならそれらの程度も低下するのではないかと思う。どちらにせよ結局そんなものは、両国のナショナリズムによって都合良く解釈しているに過ぎず、だから最終的に何なのだと言えば、何だか領土欲が絡んできそうだ。実際、そのチャイナの東北工程にはそんな意図もあるのだろう。つまり、北朝鮮の吸収の地ならしである。
<歴史へ>
(朝鮮半島に関して)彼等は日本についてよく、大変しばしば、日韓併合時代にまつわる何だかどころか、文禄・慶長の役だとか大昔の話まで持ち出し、コネ繰りまわしては恨む。文禄・慶長の役といえば、中世安土桃山時代の末期における、所謂、豊臣秀吉による朝鮮出兵の事。400年以上も昔の話だ。伽耶・任那、百済だと言うならもう1600年から昔の古代、考古学が研究対象とする様な話である。そこからロマンでなく恨みを見出すのだからかなわない。(任那、百済など古代朝鮮に対する倭<日本>の強い影響というものを認めたくない論調も大変多い様だが)
だが、もしそんな話をするなら、では文永・弘安の役はどうなるのだ聞いてみたくなる。文永・弘安の役とは、俗に言う元寇。当時大陸チャイナ(支那)域も支配した元(げん)とその冊封国(服属国)である高麗の軍による対日本出兵である。チャイナ的には、あれはモンゴルが侵略した結果、その支配下での出来事だと言うのかもしれないが、大陸のチャイナ域においては実に多民族により興亡が繰り返されたのであるから、だったら例えば満州族が隆盛し統治した清は無かった事になるのかな。そういう事なら、やはりチャイナとは歴史的に断裂しているという事になるが。ともかくまあ、この時は間違いなくモンゴル帝国下であるから主体がモンゴルであるというのは正しかろうが、自分達は全く関係ねーよ、とでも言うつもりなら随分御都合主義である。高麗(当時の朝鮮)に至っては、その王が功を上げ宗主国である元の寵を得、またその背景をもって領域の支配権を保全しようと企んだとみられる事もあり、執拗に日本への侵略をそそのかしている。そして、一体となって攻め込んで来ているのが事実の様なのである。日本としてみれば、これがまた半島や大陸への強い警戒感と、当時としては憎しみや、そして間違いなく軍事的な意識を向けた出来事であると思われる。
もっとも、更にその昔の任那や百済、新羅だとかそういった古代朝鮮における倭国(日本)の強い影響というものや、そもそもその辺りの勢力争いというものがあるのではあるが。だが、その辺りになると更に、もう現在の韓国だとか朝鮮といった国地域の感覚をそのまま当てはめるのは不可能なんじゃないか、とすら私などは思うのだ。現在の考古学によると、その頃の朝鮮半島南部は総体的に倭国の影響も強く受けており、例えば倭人、倭系の豪族なり人々が存在していたのだとみられるらしい。そうすると、高句麗(や渤海)が主に満州系の人々による国地域だと考えると、朝鮮半島というのは漢、随だとか唐だとかいった様な主なチャイナ勢力と、満州、モンゴルなどの様な北方系、そして倭といわれる日本方面の勢力が、これまた非常にしばしばぶつかり合っていた地域なのでないかと思うのである。
であるから例えば今、チャイナの東北工程問題における高句麗史を巡って、韓国とチャイナがナショナリズムをもって激烈に喧嘩し争っている様だが、これも傍から見れば妙ちくりんにもみえてしまう。そもそも高句麗(や渤海)というのが、満州の相当部分と確かに半島の北部辺りを支配していたのであるが、その主体とは満州だとかモンゴル系の民族であるとみられ、後の韓国朝鮮というのが多くその流れを汲むというのは当然だろうが、それは南部の系統だってチャイナ域系統だってそうである。新羅こそと言う韓国人達もいるのだろうし。だから、現在の朝鮮半島のルーツは何なのだと厳密に決定する事なんて不可能だと思うし、無理に決めつけたって意味がないと思うのである。ルーツたる祖先達の勢力が実にしのぎを削ったのが朝鮮半島なんじゃないかと、私などは思う。それは、それこそチャイナなんて更に苛烈な多民族による興亡史であるし、海で隔たれた環境が作用して比較的他国間抗争が少なかった日本だって色んな民族があり、また何かの折りに、本当に色々な国地域の民族が渡来し、融和していったのである。きっと。例えばその、任那、次いで百済などが滅亡した際にも、多数の亡命者が倭国日本に受け入れられているというのだから。
それでもって、ついでなのでその高句麗史の中韓争奪戦だが、それは「どっちのものでもあって、どっちかだけのものでもない」、或いは、満州民族の自立というものをもし考えるならそれらの程度も低下するのではないかと思う。どちらにせよ結局そんなものは、両国のナショナリズムによって都合良く解釈しているに過ぎず、だから最終的に何なのだと言えば、何だか領土欲が絡んできそうだ。実際、そのチャイナの東北工程にはそんな意図もあるのだろう。つまり、北朝鮮の吸収の地ならしである。
本稿は前項目の流れを汲む続稿。/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<書き出しはこれの方が遅い。あと、追記追記で時間がかかった。07/11/下旬だが12月下旬から1月初旬まで追記改編にかかったはず。総じてしんどいものだったが、それなりに意義のあるものとなった気がする>
【民族問題 × 歴史 × 精神疾患】
<民族問題から>
実の所、日本だけでなく、そういった問題を米国や欧州も抱えている。その他にも多分少なからずあるのだろう。
以前から何度も触れている様に米国にもチャイナ系コリア系が絡む問題は多く、それは欧州も同じであるが、欧米についてはそれと同等か或いはそれ以上に中東アラブ系の問題が悩みの種である様だ。そして当然ユダヤ系の問題、アフリカ系の問題も依然消え得ない。もちろん、移民の国はそれだけでなくヒスパニック、イタリアン、ロシアン、ポーリッシュ、アイリッシュ、と「白人」と一括りに捉えがちな我々からすれば良く分からない様な確執も、実は山ほど問題を抱えている。また、特にフランス等では明らかに移民政策の失敗が見て取れ、日常的な確執、摩擦どころか本当に暴動まで起きている尋常じゃない状況だ。ここはアフリカ系移民が大変多いのであるが、中東アラブ系移民も多く、この場合通常の、職と失業率に関する確執問題、経済的格差、文化的相違、人種的相違、これらに加えて宗教・思想的摩擦がある。詰まる所、この場合もハナから敵対的な思想/宗教の持ち主である事が少なくない。
それでもって、実際アラブ系フランス人がテロリズムに積極参加する様な事例が頻繁に起きている。こんな目も当てられない様な状態であるから、前述の通りのあらゆる要素が悪く重なって、移民系は主に格差から不満を溜め、至る所でその不満を撒き散らす様な者が増え、非移民系はその度に嫌悪を増して、ともすれば強硬な移民系排斥論者が出現する事となり、そこに宗教・思想的な確執が油を注ぐ。特に9.11以降の欧米社会におけるイスラム社会に対する脅威感は大変なものであり、そこから更に、排斥感や差別感が産まれてくる。その排斥差別感が「無差別度」を増せば増してしまう程、条理不条理を問わずそれがまたイスラム社会の敵対的な結束を産み、通常の確執・衝突をも増やしながら、その中からテロリズムに走る者をも産んでしまう。これ以降はエンドレス。最悪のダウンスパイラルである。
私は参考にすべき良い点が多いと思うので、よくEUの成功というか、光、ポジティブな部分を紹介する事も多いが、何も全てが素晴らしく問題など全く無いという訳では決して無い。むしろ、これら移民・民族問題については日本より更に深刻であるのかも知れない。それは以前から「闇」を題材とした原稿辺りでも考察してきたつもりでもある。米国も同じでりその辺り箇々に異差はあろうが、やはり総じて、欧米キリスト教社会白人中心系国家群 対 中東イスラム教社会有色人種系国家群、という凄まじい規模で争ってしまっている現状は世界すら危険に晒している。と感じる。取り敢えず、成功例を研究するのは誰しもが考える事であるが、案外失敗から多くを学べる事も忘れてはいけない。そこから光明を見出すのも然り、少なくとも二の轍を踏まぬ為でもあり。EUでも特にフランス、そして米国。そういった辺りを、政治家や官僚の担当者はよくよく研究しておいた方が良いかと思う。
【民族問題 × 歴史 × 精神疾患】
<民族問題から>
実の所、日本だけでなく、そういった問題を米国や欧州も抱えている。その他にも多分少なからずあるのだろう。
以前から何度も触れている様に米国にもチャイナ系コリア系が絡む問題は多く、それは欧州も同じであるが、欧米についてはそれと同等か或いはそれ以上に中東アラブ系の問題が悩みの種である様だ。そして当然ユダヤ系の問題、アフリカ系の問題も依然消え得ない。もちろん、移民の国はそれだけでなくヒスパニック、イタリアン、ロシアン、ポーリッシュ、アイリッシュ、と「白人」と一括りに捉えがちな我々からすれば良く分からない様な確執も、実は山ほど問題を抱えている。また、特にフランス等では明らかに移民政策の失敗が見て取れ、日常的な確執、摩擦どころか本当に暴動まで起きている尋常じゃない状況だ。ここはアフリカ系移民が大変多いのであるが、中東アラブ系移民も多く、この場合通常の、職と失業率に関する確執問題、経済的格差、文化的相違、人種的相違、これらに加えて宗教・思想的摩擦がある。詰まる所、この場合もハナから敵対的な思想/宗教の持ち主である事が少なくない。
それでもって、実際アラブ系フランス人がテロリズムに積極参加する様な事例が頻繁に起きている。こんな目も当てられない様な状態であるから、前述の通りのあらゆる要素が悪く重なって、移民系は主に格差から不満を溜め、至る所でその不満を撒き散らす様な者が増え、非移民系はその度に嫌悪を増して、ともすれば強硬な移民系排斥論者が出現する事となり、そこに宗教・思想的な確執が油を注ぐ。特に9.11以降の欧米社会におけるイスラム社会に対する脅威感は大変なものであり、そこから更に、排斥感や差別感が産まれてくる。その排斥差別感が「無差別度」を増せば増してしまう程、条理不条理を問わずそれがまたイスラム社会の敵対的な結束を産み、通常の確執・衝突をも増やしながら、その中からテロリズムに走る者をも産んでしまう。これ以降はエンドレス。最悪のダウンスパイラルである。
私は参考にすべき良い点が多いと思うので、よくEUの成功というか、光、ポジティブな部分を紹介する事も多いが、何も全てが素晴らしく問題など全く無いという訳では決して無い。むしろ、これら移民・民族問題については日本より更に深刻であるのかも知れない。それは以前から「闇」を題材とした原稿辺りでも考察してきたつもりでもある。米国も同じでりその辺り箇々に異差はあろうが、やはり総じて、欧米キリスト教社会白人中心系国家群 対 中東イスラム教社会有色人種系国家群、という凄まじい規模で争ってしまっている現状は世界すら危険に晒している。と感じる。取り敢えず、成功例を研究するのは誰しもが考える事であるが、案外失敗から多くを学べる事も忘れてはいけない。そこから光明を見出すのも然り、少なくとも二の轍を踏まぬ為でもあり。EUでも特にフランス、そして米国。そういった辺りを、政治家や官僚の担当者はよくよく研究しておいた方が良いかと思う。
※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<書き出しはこれの方が遅い。あと、追記追記で時間がかかった。07/11/下旬だが12月下旬から1月初旬まで追記改編にかかったはず。総じてしんどいものだったが、それなりに意義のあるものとなった気がする>
であるのに、、、
問題が多いから、マジョリティーよりもマイノリティーの系統という要素がより優遇される?
そうやって変な話にばかりなってくる。割とまともに進んでもそうだ。
間違い倒せば現在の様な「逆差別」だらけの汚い世界が待っている。
差別が産んだ逆差別がまた反動的に逆逆差別、つまりはストレートな差別を再び産み
そう進行してゆけば、もう正直者も糞もない。
根本的やってはならない一線を越えた、そういった事をやろうが嘘をつこうが、何をしようがやったもん勝ちの醜い踏み倒し社会だ。
民族問題とは本当に、キナ臭く醜いものがゴロゴロ転がっている。
それは単に偏見によって行われる差別と、その差別という言葉をまるで盾と槍に使うかの様に悪用する逆差別と。
だからマジョリティーもマイノリティーも関係なく、その人がどうかという、それに尽きるのだと、ずっとそう言い続けている。
だが、
総体的な悪辣さというものが、もうイヤという程言い続けてきたが、韓国朝鮮やチャイナには酷い程度で存在する。
重ねるが、彼らがそうであるのは、国単位で教育にすら練り込んで、他国を恨む事で自国のアイデンティティー確立や政治的統制を謀らんとした醜い反日愛国主義にある。大部分がそうだろう。国がとんでもない馬鹿をやれば、国民の大部分も当然影響を受けておかしくなる。
チャイナタウン、コリアンタウンといった様に、何故彼らの国の移民街が世界各国に極めて多いのか。
それは、彼らの国が大変住み辛いからだろう。
そしてそういった、ともすれば彼らの民族文化のみで形成してしまったかの様に見えるそういったタウンが、一体何故多いのか。
それはまた、彼らのそういったお邪魔した地域にとけ込もうという意識の低い、排他的な性質が形骸化した結果なのだろう。
であるのに、、、
問題が多いから、マジョリティーよりもマイノリティーの系統という要素がより優遇される?
そうやって変な話にばかりなってくる。割とまともに進んでもそうだ。
間違い倒せば現在の様な「逆差別」だらけの汚い世界が待っている。
差別が産んだ逆差別がまた反動的に逆逆差別、つまりはストレートな差別を再び産み
そう進行してゆけば、もう正直者も糞もない。
根本的やってはならない一線を越えた、そういった事をやろうが嘘をつこうが、何をしようがやったもん勝ちの醜い踏み倒し社会だ。
民族問題とは本当に、キナ臭く醜いものがゴロゴロ転がっている。
それは単に偏見によって行われる差別と、その差別という言葉をまるで盾と槍に使うかの様に悪用する逆差別と。
だからマジョリティーもマイノリティーも関係なく、その人がどうかという、それに尽きるのだと、ずっとそう言い続けている。
だが、
総体的な悪辣さというものが、もうイヤという程言い続けてきたが、韓国朝鮮やチャイナには酷い程度で存在する。
重ねるが、彼らがそうであるのは、国単位で教育にすら練り込んで、他国を恨む事で自国のアイデンティティー確立や政治的統制を謀らんとした醜い反日愛国主義にある。大部分がそうだろう。国がとんでもない馬鹿をやれば、国民の大部分も当然影響を受けておかしくなる。
チャイナタウン、コリアンタウンといった様に、何故彼らの国の移民街が世界各国に極めて多いのか。
それは、彼らの国が大変住み辛いからだろう。
そしてそういった、ともすれば彼らの民族文化のみで形成してしまったかの様に見えるそういったタウンが、一体何故多いのか。
それはまた、彼らのそういったお邪魔した地域にとけ込もうという意識の低い、排他的な性質が形骸化した結果なのだろう。