<総体認識>
「対位法」より続く。
まず株価等について、日本は、
国内・海外投資家、そしてここで何度も述べている一般個人投資の対象としてもこれらが魅力的というか、やってみようかなあ、と思える状態をにもっていけば良いだけの話だ。経済・金融の底支えをする財政再建を進め、デフレ脱却を模索。マネーサプライもその一つだろう。投資が逃げて行く政策金利のゼロ状態は出来るだけ早く解除し利上げしたい。これは主に円キャリートレード等を防ぐためでもある。国内外の大きな投資機関やファンド、投資家というのもそうだが、日本の場合、超浮遊層のみでなく一般層の投資も増やしたい、開拓したい訳である。
そういった一般投資について日本国民の心理的なブレーキが何からかかっているかといえば、昨今のハゲタカ・ファンド(放火泥棒)と呼ばれる様な一部の悪さする連中によって著しく落とされている投資行動そのものへの不信、そして運用自体に対する不安である。これら前者を改善するのは当然であるし、後者を改善する為に必要なのは経済・金融界の安定から、成長期待でもある。何度も言うがこれをファイナンス、或いは安定させるのは財政でもある。金融政策でもある。そして消費や投資行動に対する安心感を産むのは、安全保障でもあり、そして、社会保障でもあるのだ。
少子高齢化、将来不安や医療などに対する不安、これらの不安に対して負の加速度が付いた現状維持を決め込んだまま、より善い方法を取らない。これが、近くも遠くもの将来不安を起すので消費行動にも繋がらないのだから、極めて胡散臭い、或いは信用が無いその投資投機への動機、行動へこれが旺盛に繋がる訳がない。日本国民の貯蓄はむしろ過剰な程である(※一般的に1500兆円とも言われる)。つまり、国民総体としては、金は無いのではなく停滞しているだけなのだ。
これらの状況を打破する為に、構造改革とも言われ行われ、文言的には間違ってはいないのだろうが、総体的に「やり過ぎ市場原理主義」方向の規制緩和ばかりに走りながら、貧富二極化が進む中で社会保障というファイナンスを疎かにした為、そしてその社会保障政策を根本から改革する方法をとらずにモルヒネ頼りみたいな事を言っているので、より閉塞感は酷くなっている(あの米国の酷いやり方を見ていてこれが間違っているのはもう充分過ぎる位分かっただろう)。それどころかこれらはその格差社会と言われるものが恒常化する身分定着的・封建社会の方向に向かっている様に見えてくる。いや、まあ実際これは何度も述べて来た様に封建国家の様な方向に進むベクトルであり、連中の悪辣なトリックであったのだ。
で、
(日本では)貯蓄過剰という状態もさして変わりもせず、何だか貧富差は広がって、貧しい方に追いやられた人は高齢者であれ若者であれ本当に貯蓄も収入も低く、それではどうしようもない。(後期高齢者医療問題については、これも中々難しい問題で一概に言えない面もあり、後に続く税制において触れる)。若者であれば、その様な状態で結婚、子育てなどというものは極めて難しい。少子高齢化に直結する。少子高齢化は、当然財政から経済に直結する。つまり年金・医療・福祉等社会保障費の増大と生産規模縮小に繋がりかねない。
教育は、その国の国民の倫理道徳レベル、知的水準、将来世代の可能性、それは政治的にも芸やスポーツの世界でも、そして科学から治安にまでも、あらゆる分野の可能性に直結している。つまり、経済にだって技術革新にだって繋がっているのである。
今回のオイルショック、いや…何ショックと言ったらいいだろうか。これらにおいて諸々が浮き彫りになって来たのだ。
そして、温暖化等環境問題が相当に現実的な懸念課題となっており、明らかに地球というパイを考えて循環させる政治的努力(ルール/システム)と科学技術の革新が欲しい訳である。紛争・戦争はとにかく邪魔であり、ただ人が幸せに生きたいと願う上でも、これら全ての懸案へのリンクを鑑みても、悪さばかりする。
これらを、どんどん紐解いていけば善いのだ。
国民の自由は出来る限り広く。しかしこれを為すには義務・負担が必ず必要であり、それらを含めたルール、言い換えればそれは規制でもあるが、それは当たり前に必要なのである。つまり、バランスだ。少なくとも、最低限のルールは絶対に守られるべきであり、これは同時に人の尊厳を指す。これが、言うなれば「人権」というものだろう。
何もかもが繋がっているのだ。
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