私は中高生の頃、受験や試験用に詰め込めたかどうかはともかくそのくらいで、まるで歴史や政治になど興味は無かった。だがいつしかこれらにも興味を持つ様になった。きっかけは何だったか、それは色々な要素があるゆえこれだとは断言できないが、環境や出来事により徐々に醸成されていった様にも感じる。実を言うと現在の様な考え方に至るまでは色々と変遷もあった。
私は右だの左だのそんな事はどうでも良く、大事なのは我が国日本を大切に思っているという事であり、文化や歴史を含め愛している。ゆえに妙な思想や宗教で郷土が汚されるのはしのびなく、ただそれを守りたいだけだ。総じて見る怪しげな動きは我々の国にも世界にも決して良い影響は与えないと確信している。まことの平和や多民族の共生、幸せは、決して薄汚い志の上には成り立たない。そう思う。
それを、というのは違うかも知れないが、例えばだが所謂ところの二元論的観点で言えば中道か中道保守、分かり易く言えば「真ん中か、真ん中やや右」に近いのかと思うが、少年の頃と言えば、まあこまっしゃくれた左よりな小僧だった様に思う。興味も左程なく、野球やロックバンドの方が遥かな関心事だった上、子供だから程度こそ知れているが、それこそ日教組が内心「(してやったり)」と喜びそうなものだったろう。
昨今に「お花畑」と形容される平和念仏的左翼思想とは、まさにこれがそのまま膨らんで大人になってしまったのでは、と思わざるを得ないほどに人の現実感が無く、概念だけがフワフワ宙に浮いている。若輩が言うのも何だが、自分に関して言えばそれも年輪を重ねるに変わってゆき、ポイント、ポイントで考えさせられる出来事が幾つかあったのも割と鮮明に覚えているものだ。
例えば一つ、歴史に関して言えば、司馬遼太郎先生の作品だった様な気がする。旧来の捉え方とはかなり離れた、こんな見方をする方もいるんだ、と感銘を受けた。氏は時に自分を分析して
さて、何の話だったか
その辺の変化をもたらした出来事などに関しては、随分前に書いたものがあるのでその稿に譲るとして、今稿の核心、先項で触れた地震にまつわる事象について少し書いておきたい。
私は関西出身である。
そう、つまり阪神淡路大震災は遠い他人事でない。
大好きな街、神戸をも襲ったあの震災のそれは悲惨なものだった。
一面に家屋が倒壊し、ガタガタの線、視点を引けば一帯にブルーシートが掛けられている風景を茫然と眺めた記憶は今も残っている。そのどこまでも続きそうな瓦礫の山々の下で、大切な命を無念にも落とされた方々が沢山おれらる事も忘れない。その当時、ある人はそのあまりの事態、そして平衡感覚をも狂わせそうな風景に訳が分からなくなって嘔吐したと言う程だったのだ。
それでも人々は立ち上がり、悲しみを乗り越えて街は復興した。
そんな非常事態で、本当に多くのボランティアや自衛隊の方々、被災者の方々が助け合い大切なものも得たという。大事なのは心だと。
そして、もう一方に忘れ得ない事がある。
当時、我が国は自社さ連立による社会党は村山内閣の時代だった。それが悲劇に輪をかけたという事実。
社会主義思想だか何だか知らぬが、彼らは己の思想が為にその存在を認めたくない、現存し、災害時の手だてや救助の力を持つ自衛隊を出し渋り、在日米軍の支援申請も拒否し、一般車両の通行など交通規制すら出来ず、何もかもが後手後手に回り、結果失う必要の無かった多くの人命を失い、被害を拡大させた。
この時私もはっきり知る事となる。
得体の知れぬ妙な思想や、口先ばかりの平和、観念に支配された絵に描いた餅の様な空理空論など何の役にも立たない。むしろ害を為すと。
多くの人々もそう思った様であり、この後社会党は瓦解し衰退の一途をたどる。
最近では、その名を変えてみた『社民党』は票を得たいがあまりに自らを指して「絶滅危惧種には保護を!」などと愚にもつかない馬鹿丸出しの呼びかけを辻元清美や福島瑞穂あたりがやっていたか。
愚かなものだ。
当時の内閣、村山、河野、加藤や、土井、野中や金丸が牛耳る体制、前後を宮沢、橋本とはさみ移行してもこの辺りが中心に位置する大して変わらないその体制とは今思ってもまさに混迷の極み、ほとんど自国日本や日本国民などどうでも良いという売国体制以外の何ものでもなかった。
震災のみならず、地下鉄サリン事件や警察庁長官狙撃事件、坂本弁護士一家殺害事件など数々の凶悪な破滅的テロをおこしたオーム真理教をもってしてなお、破防法(破壊活動防止法)の適用どころかカルト規制法すら制定させず握りつぶし、公平でない卑怯な仕業による圧力に折れ、有りもしない虐殺や軍による強制的官製売春を認める河野談話、村山談話を声明として出し、やれ謝罪だ賠償だと、感謝しないどころかその金が武器・ミサイル、他国へのODA(発展途上国に対する政府開発援助)に替わる様な特定国に(ODAを含め)国民の血税を撒き散らすなど、もう気違いじみている。外交は外交であり、先進国として発展途上国に対して援助するのもそれなりの義務であり、必要な事だ。だが、それが何に使われるのか、「感謝して」とは言わないまでも、その善意が伝わり、結果それが世界や地域の安定にもつながり我々にも還ってくるものなのか。そういった思慮などまるで無い結果的にむしろ害を為すものならば、、その巨額の資金があれば例えば一体どのくらいの被災者が助かるか。とそうも思わずにはいられない。
「Japan as NO.1」とすら言われた時代から、バブル崩壊も相まって「失われた10年」へ
私から言わせれば、こんなイカレた体制、路線では10年でも20年でも失われる。
「どうせ誰がなっても同じ」
それは違う。そんな事は絶対にない。
総理大臣でも議員でも、知事でも市長でも、校長でも社長でも、優れた人物がリーダーになれば必ず変わる事がある。それは歴史を見ても明かであり、確かに現状の民主主義とは至極面倒臭いモノに違いないが、それは皆がその義務と権利を負っている『変えられる』ものなのだ。以前にも述べたが、
結局世を変えるのは、たった一人の優秀な人間でなく、一人一人の、皆の心(志)だと私は信じている。
余計な話かも知れぬが、私はある地方自治体の長を少しばかり知っている。氏は阪神淡路大震災の当時、市民や街を案じ、自身は着の身着のままで飛び出して被害状況確認や対策に走り回っていた。政治家たるもの、必要なのは各能力もさることながら、他を案ずる無私な志なのだと、今思い出してもまた教えられる気がするのだ。
私は右だの左だのそんな事はどうでも良く、大事なのは我が国日本を大切に思っているという事であり、文化や歴史を含め愛している。ゆえに妙な思想や宗教で郷土が汚されるのはしのびなく、ただそれを守りたいだけだ。総じて見る怪しげな動きは我々の国にも世界にも決して良い影響は与えないと確信している。まことの平和や多民族の共生、幸せは、決して薄汚い志の上には成り立たない。そう思う。
それを、というのは違うかも知れないが、例えばだが所謂ところの二元論的観点で言えば中道か中道保守、分かり易く言えば「真ん中か、真ん中やや右」に近いのかと思うが、少年の頃と言えば、まあこまっしゃくれた左よりな小僧だった様に思う。興味も左程なく、野球やロックバンドの方が遥かな関心事だった上、子供だから程度こそ知れているが、それこそ日教組が内心「(してやったり)」と喜びそうなものだったろう。
昨今に「お花畑」と形容される平和念仏的左翼思想とは、まさにこれがそのまま膨らんで大人になってしまったのでは、と思わざるを得ないほどに人の現実感が無く、概念だけがフワフワ宙に浮いている。若輩が言うのも何だが、自分に関して言えばそれも年輪を重ねるに変わってゆき、ポイント、ポイントで考えさせられる出来事が幾つかあったのも割と鮮明に覚えているものだ。
例えば一つ、歴史に関して言えば、司馬遼太郎先生の作品だった様な気がする。旧来の捉え方とはかなり離れた、こんな見方をする方もいるんだ、と感銘を受けた。氏は時に自分を分析して
「私が歴史を見るのは、医者が患者を診察する様なもの。分析によるもので、いわゆる時代小説でもなく歴史書でもなく、あまり面白いものでは無いかも知れない」と言われていた様に記憶している。それは謙遜されているのか、他との差別化をはかり自分を高みに置こうとされているのか、などとの諸説あるのか知らぬが、それも私にとってはどうでも良い。既存の固定概念ばかりにとらわれるな、と教わった気がするし、有益であり単純に面白かったものだ。ただその先生の分析について一つ言うのならば、いわゆる時代小説とは趣きが違うと感じたのは確かだ。だが、それは別に感情の無い分析論とも明らかに違い、時に声を出して笑い、時に涙も流れた文には確かに魂がこもっているはずである。ものによって私は先生と捉え方が違う所も少なからずあるが、多くを教わったと思う。それが大事なのだと感じている。
さて、何の話だったか
その辺の変化をもたらした出来事などに関しては、随分前に書いたものがあるのでその稿に譲るとして、今稿の核心、先項で触れた地震にまつわる事象について少し書いておきたい。
私は関西出身である。
そう、つまり阪神淡路大震災は遠い他人事でない。
大好きな街、神戸をも襲ったあの震災のそれは悲惨なものだった。
一面に家屋が倒壊し、ガタガタの線、視点を引けば一帯にブルーシートが掛けられている風景を茫然と眺めた記憶は今も残っている。そのどこまでも続きそうな瓦礫の山々の下で、大切な命を無念にも落とされた方々が沢山おれらる事も忘れない。その当時、ある人はそのあまりの事態、そして平衡感覚をも狂わせそうな風景に訳が分からなくなって嘔吐したと言う程だったのだ。
それでも人々は立ち上がり、悲しみを乗り越えて街は復興した。
そんな非常事態で、本当に多くのボランティアや自衛隊の方々、被災者の方々が助け合い大切なものも得たという。大事なのは心だと。
そして、もう一方に忘れ得ない事がある。
当時、我が国は自社さ連立による社会党は村山内閣の時代だった。それが悲劇に輪をかけたという事実。
社会主義思想だか何だか知らぬが、彼らは己の思想が為にその存在を認めたくない、現存し、災害時の手だてや救助の力を持つ自衛隊を出し渋り、在日米軍の支援申請も拒否し、一般車両の通行など交通規制すら出来ず、何もかもが後手後手に回り、結果失う必要の無かった多くの人命を失い、被害を拡大させた。
この時私もはっきり知る事となる。
得体の知れぬ妙な思想や、口先ばかりの平和、観念に支配された絵に描いた餅の様な空理空論など何の役にも立たない。むしろ害を為すと。
多くの人々もそう思った様であり、この後社会党は瓦解し衰退の一途をたどる。
最近では、その名を変えてみた『社民党』は票を得たいがあまりに自らを指して「絶滅危惧種には保護を!」などと愚にもつかない馬鹿丸出しの呼びかけを辻元清美や福島瑞穂あたりがやっていたか。
愚かなものだ。
当時の内閣、村山、河野、加藤や、土井、野中や金丸が牛耳る体制、前後を宮沢、橋本とはさみ移行してもこの辺りが中心に位置する大して変わらないその体制とは今思ってもまさに混迷の極み、ほとんど自国日本や日本国民などどうでも良いという売国体制以外の何ものでもなかった。
震災のみならず、地下鉄サリン事件や警察庁長官狙撃事件、坂本弁護士一家殺害事件など数々の凶悪な破滅的テロをおこしたオーム真理教をもってしてなお、破防法(破壊活動防止法)の適用どころかカルト規制法すら制定させず握りつぶし、公平でない卑怯な仕業による圧力に折れ、有りもしない虐殺や軍による強制的官製売春を認める河野談話、村山談話を声明として出し、やれ謝罪だ賠償だと、感謝しないどころかその金が武器・ミサイル、他国へのODA(発展途上国に対する政府開発援助)に替わる様な特定国に(ODAを含め)国民の血税を撒き散らすなど、もう気違いじみている。外交は外交であり、先進国として発展途上国に対して援助するのもそれなりの義務であり、必要な事だ。だが、それが何に使われるのか、「感謝して」とは言わないまでも、その善意が伝わり、結果それが世界や地域の安定にもつながり我々にも還ってくるものなのか。そういった思慮などまるで無い結果的にむしろ害を為すものならば、、その巨額の資金があれば例えば一体どのくらいの被災者が助かるか。とそうも思わずにはいられない。
「Japan as NO.1」とすら言われた時代から、バブル崩壊も相まって「失われた10年」へ
私から言わせれば、こんなイカレた体制、路線では10年でも20年でも失われる。
「どうせ誰がなっても同じ」
それは違う。そんな事は絶対にない。
総理大臣でも議員でも、知事でも市長でも、校長でも社長でも、優れた人物がリーダーになれば必ず変わる事がある。それは歴史を見ても明かであり、確かに現状の民主主義とは至極面倒臭いモノに違いないが、それは皆がその義務と権利を負っている『変えられる』ものなのだ。以前にも述べたが、
結局世を変えるのは、たった一人の優秀な人間でなく、一人一人の、皆の心(志)だと私は信じている。
余計な話かも知れぬが、私はある地方自治体の長を少しばかり知っている。氏は阪神淡路大震災の当時、市民や街を案じ、自身は着の身着のままで飛び出して被害状況確認や対策に走り回っていた。政治家たるもの、必要なのは各能力もさることながら、他を案ずる無私な志なのだと、今思い出してもまた教えられる気がするのだ。
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COMMENT
#無題
HiNAURL
2007/05/25(Fri)11:14:55
1人1人の志は確かに大事だけど、それが上に立つ者達に伝わりにくいのもまた事実なんだよね。
政治に限らず、身近な所では裁判に似た想いを感じたよ。
『話し合いましょう』
『相談してみます』
『議論したい事は後回しで先ずは相手の言い分を聞かなきゃ始まらない』
『お金が一番』
どす黒い中に入れば白だってグレーになるんです。
本当に『改革』を起こしたいのなら、取り巻き以外の人に好かれ、世の中の人々に全幅の信頼を得なければ現在この世に[生きている]人の望む世の中は築かれません。
国だからどうにかなっているのかもしれませんが、会社で例えれば『会社を維持する為』に切られる上役(この場合議員や総理)は何人居る事でしょう?
下に居る者達が居るから大きな社会は成り立つんです。
特定の同じ人種(性格)の人に好かれるだけでは大きなcompanyは築けません。
貶されても、騙されても、善良な事を進んでやる人で有れば自ずと人は付いて来ます。
社会に出た事が有る大人なら(自分の昇進や仕事に関わる事なので)誰でも解る筈なのに…。
陣の想う事も解るけど、今を築いて来た人達が徐々に日本をどす黒い色に染めて行ったんだよ。
『変える為には何が出来る?』
どんなに足掻いてみても、ちょっとやそっとの事じゃ変わって来なかったモノを、今想っているだけじゃ何も変わらない現実を、どうやったら変えられるんだろうね…。
学歴社会の今の日本で、学の無い私に出来る事は何も無いけどね。(笑)
政治に限らず、身近な所では裁判に似た想いを感じたよ。
『話し合いましょう』
『相談してみます』
『議論したい事は後回しで先ずは相手の言い分を聞かなきゃ始まらない』
『お金が一番』
どす黒い中に入れば白だってグレーになるんです。
本当に『改革』を起こしたいのなら、取り巻き以外の人に好かれ、世の中の人々に全幅の信頼を得なければ現在この世に[生きている]人の望む世の中は築かれません。
国だからどうにかなっているのかもしれませんが、会社で例えれば『会社を維持する為』に切られる上役(この場合議員や総理)は何人居る事でしょう?
下に居る者達が居るから大きな社会は成り立つんです。
特定の同じ人種(性格)の人に好かれるだけでは大きなcompanyは築けません。
貶されても、騙されても、善良な事を進んでやる人で有れば自ずと人は付いて来ます。
社会に出た事が有る大人なら(自分の昇進や仕事に関わる事なので)誰でも解る筈なのに…。
陣の想う事も解るけど、今を築いて来た人達が徐々に日本をどす黒い色に染めて行ったんだよ。
『変える為には何が出来る?』
どんなに足掻いてみても、ちょっとやそっとの事じゃ変わって来なかったモノを、今想っているだけじゃ何も変わらない現実を、どうやったら変えられるんだろうね…。
学歴社会の今の日本で、学の無い私に出来る事は何も無いけどね。(笑)