本稿は【民族問題 × 歴史 × 精神疾患】の後に続く一連のもの。何項目か飛ばしている状態/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<07/12/8〜12/14辺り>
<財政について>
まず、日本の年度予算(一般会計)とは一体幾らなのだろう。
それが、約80兆円(※概要を解り易くする為に数字をかなり簡素化する。何れも「約」である)。
では歳入(収入)は幾らなのかと言えば、55兆円。
はい、この時点でもう足りてないですね。
この辺までは日本もアメリカも同じである。
それでもって、歳出予算に足りない分を借金(国債発行など)するのだ。
その額、単純計算 80-55=? で良い。つまり25兆円。
これまた結構パンチの効いた額だ。
では、「一体何にそんな使こうてはるの?」という歳出の中身。
一般歳出 44兆円
地方交付税 15兆円
国債費 21兆円
一般歳出にも色々ある。悪の根源の様に罵られる公共事業費があれば、また教育費等もあり、防衛費やエネルギー対策費等これら諸々が、もちろんのことこれに含まれる。そして注目すべきは、これらのどれよりも何よりも額が大きく、近年将来の大宿題である社会保障費がある。もうこればかりは言い尽くされている感があるが、我が国は「少子高齢化の一途を辿っている」。年金にしろ医療にしろ福祉にしろ、何れにせよ社会保障において高齢化が進むという事は給付費・支出の増大を意味する。当たり前だが、これは絶対的に確実な事なのだ。そういった根源を覆すには、高齢者の増加を上回る勢いで出生率を高めるなり膨大な移民政策でも取るしか無い(こう言うと、また妙な連中が蠢きそうだが)。だが、後者はまず現状において問題が多過ぎるので(もう、いやと言う程言ってきたのでどういう事か分かって欲しい。突き詰めていけば結局、キーワードは反日愛国民族主義である。)極めて現実性が無いうえ危険極まりなく、かといって前者もそんなに思う様に都合良くどうにかなるものでもない。全国の男女が子供をもうけようと思い、そして営む意外にどうしようもないのである(何というか…その、頑張って子作りにも励みましょうよ。子は宝。子供が沢山いて、家庭にも街にも国にも悪い事はそんなにない。笑)。
ただ、そういった雰囲気や環境を整える事は政治によって出来る。要は、安心して子をもうけ、安心して育てる事が出来る社会の整備である。教育や治安といった超重要課題に加えて、経済的に安心して子をもうけ育てる事が出来るかという、「つまりそれは社会保障そのもの」なのだ。本当に何もかもが密接に関係しあっているものである。例えば、それが格差社会などという問題にも現れてくるのであり、その貧しい方に追いやられた若者達が結婚、ましてや子作りなど出来ようはずもないのだ。この辺りについてはこれ以上書くとまた長くなるので、以前書いた原稿に譲る。とにかく年金や国保などの社会保障に関して、そもそもの保険料徴収方式などといった弊害だらけの方式からもう改めるべきである。そして何故税方式として、その財源に消費税の大幅アップとしたかという事も考えて頂きたいのだ。(消費税は間接税でありながら、国民一人一人が常に納税の感覚を非常に直接的に感じる方法でもある。よく言う「皆で支え合うという精神論」からもまず逸脱しない。)
地方交付税。これについても問題が多い。
そもそもの地方分権論には、財源が必ずセットでなくてはならない(と思う)。であるのに、充分な税源を委譲しないで(地方)交付税を引き締める、なんて事をやるものだから途端に地方が悲鳴を上げているのだ。それも、そもそもの予算で、財政出動だなんだといい加減な舵取りをして借金を作って(借金を返す為にまた借金して借金を増やしてという、この項目においての重要な馬鹿公式)、そのやり繰りに窮してしまったので歳出削減の為に現状の様な事をやったのだ、と言われても私は仕方が無いのではないかと思う。そうであるのに、大都市からの他地方への税移譲だとかいうあの論議は、あれは尚おかしな話だと思う。これについても、また別稿を上げようか、、、(※08/07/9追記:と思ってはいたのだが、地方の主な主張にも一理あるかと思う様にもなった。つまり、税源委譲を進める上でも恐らく税収格差というものが地方と都市では非常に大きくなるのは人口・企業集中という面を鑑みても明らかである。公共サービスにまでどんどんと差がついてしまえば更なる人口移動が起り得、それでは都市集中と地方過疎がまた進んでしまう。これは経済や国民生活、諸々のバランスを考えるとあまり善い事ではない。ある意味、勿体無いのである。日本の総合的な力や活力、効率というものを考えても、「地方の可能性」というものが死に体になってしまう。最も単的に、例えば、例えるならば、「土地、沢山あるのに…」である。故に、分権税源においてある程度考慮すべき問題なのかも知れない。あくまでも、これに大きなウェイトを置くべきではないと思うが。)
国債費。要は、過去に借りた借金の返済の為の費用。
馬鹿公式の肝である。
<財政について>
まず、日本の年度予算(一般会計)とは一体幾らなのだろう。
それが、約80兆円(※概要を解り易くする為に数字をかなり簡素化する。何れも「約」である)。
では歳入(収入)は幾らなのかと言えば、55兆円。
はい、この時点でもう足りてないですね。
この辺までは日本もアメリカも同じである。
それでもって、歳出予算に足りない分を借金(国債発行など)するのだ。
その額、単純計算 80-55=? で良い。つまり25兆円。
これまた結構パンチの効いた額だ。
では、「一体何にそんな使こうてはるの?」という歳出の中身。
一般歳出 44兆円
地方交付税 15兆円
国債費 21兆円
一般歳出にも色々ある。悪の根源の様に罵られる公共事業費があれば、また教育費等もあり、防衛費やエネルギー対策費等これら諸々が、もちろんのことこれに含まれる。そして注目すべきは、これらのどれよりも何よりも額が大きく、近年将来の大宿題である社会保障費がある。もうこればかりは言い尽くされている感があるが、我が国は「少子高齢化の一途を辿っている」。年金にしろ医療にしろ福祉にしろ、何れにせよ社会保障において高齢化が進むという事は給付費・支出の増大を意味する。当たり前だが、これは絶対的に確実な事なのだ。そういった根源を覆すには、高齢者の増加を上回る勢いで出生率を高めるなり膨大な移民政策でも取るしか無い(こう言うと、また妙な連中が蠢きそうだが)。だが、後者はまず現状において問題が多過ぎるので(もう、いやと言う程言ってきたのでどういう事か分かって欲しい。突き詰めていけば結局、キーワードは反日愛国民族主義である。)極めて現実性が無いうえ危険極まりなく、かといって前者もそんなに思う様に都合良くどうにかなるものでもない。全国の男女が子供をもうけようと思い、そして営む意外にどうしようもないのである(何というか…その、頑張って子作りにも励みましょうよ。子は宝。子供が沢山いて、家庭にも街にも国にも悪い事はそんなにない。笑)。
ただ、そういった雰囲気や環境を整える事は政治によって出来る。要は、安心して子をもうけ、安心して育てる事が出来る社会の整備である。教育や治安といった超重要課題に加えて、経済的に安心して子をもうけ育てる事が出来るかという、「つまりそれは社会保障そのもの」なのだ。本当に何もかもが密接に関係しあっているものである。例えば、それが格差社会などという問題にも現れてくるのであり、その貧しい方に追いやられた若者達が結婚、ましてや子作りなど出来ようはずもないのだ。この辺りについてはこれ以上書くとまた長くなるので、以前書いた原稿に譲る。とにかく年金や国保などの社会保障に関して、そもそもの保険料徴収方式などといった弊害だらけの方式からもう改めるべきである。そして何故税方式として、その財源に消費税の大幅アップとしたかという事も考えて頂きたいのだ。(消費税は間接税でありながら、国民一人一人が常に納税の感覚を非常に直接的に感じる方法でもある。よく言う「皆で支え合うという精神論」からもまず逸脱しない。)
地方交付税。これについても問題が多い。
そもそもの地方分権論には、財源が必ずセットでなくてはならない(と思う)。であるのに、充分な税源を委譲しないで(地方)交付税を引き締める、なんて事をやるものだから途端に地方が悲鳴を上げているのだ。それも、そもそもの予算で、財政出動だなんだといい加減な舵取りをして借金を作って(借金を返す為にまた借金して借金を増やしてという、この項目においての重要な馬鹿公式)、そのやり繰りに窮してしまったので歳出削減の為に現状の様な事をやったのだ、と言われても私は仕方が無いのではないかと思う。そうであるのに、大都市からの他地方への税移譲だとかいうあの論議は、あれは尚おかしな話だと思う。これについても、また別稿を上げようか、、、(※08/07/9追記:と思ってはいたのだが、地方の主な主張にも一理あるかと思う様にもなった。つまり、税源委譲を進める上でも恐らく税収格差というものが地方と都市では非常に大きくなるのは人口・企業集中という面を鑑みても明らかである。公共サービスにまでどんどんと差がついてしまえば更なる人口移動が起り得、それでは都市集中と地方過疎がまた進んでしまう。これは経済や国民生活、諸々のバランスを考えるとあまり善い事ではない。ある意味、勿体無いのである。日本の総合的な力や活力、効率というものを考えても、「地方の可能性」というものが死に体になってしまう。最も単的に、例えば、例えるならば、「土地、沢山あるのに…」である。故に、分権税源においてある程度考慮すべき問題なのかも知れない。あくまでも、これに大きなウェイトを置くべきではないと思うが。)
国債費。要は、過去に借りた借金の返済の為の費用。
馬鹿公式の肝である。
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本稿は【民族問題 × 歴史 × 精神疾患】の後に続く一連のもの。何項目か飛ばしている状態/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<07/12/8〜12/14辺り>
【注意点】
そこで、先に(インチキと)触れた気を付けるべきポイントが更に、ワントラップある。
まあ、全て焦げ付いて国債のデフォルト(「もう払えませんから、無かったという事で…」という、国家単位の自己破産みたいなもの)の様な真似をやられても目も当てられないが、その前に、ワントラップある。更にそれにおけるポイントは、ドル建て。ドルを世界経済の基軸通貨という状態に保持する事に躍起になる理由もある。
つまりそれは、為替を大幅なドル安に仕向ける事だ。
これでもって、米国の外債(対外債務<借金>)は一気に目減りする。
ピンとこないかもしれないので、私も似た様なものなので、明快に理解し易い様に書いてみよう。
ここ、味噌である。嫌がらないで是非見て欲しい。
例えば、
AさんはJさんからお金を借りている。
ただ、2者が日常に使用する通貨が違うので、その通貨自体のお互いの価値は、それぞれの総体的状況によって日々変わるものである(為替変動相場)。
ここである。
では、AさんはJさんからお金を借りる時、何を基準にお金を借りるのか。
例えばだが、「金(きん)に替えて、金十貫、金何グラム」だとかいった絶対的な基準があれば良いが(金だって相場なのだが、、まあそこは突っ込まないで)、そうもいかないのでお互いの通貨のどちらかで、何時いつに幾ら幾ら借りました、とこう証文を取る。
ここで違いが出て来るのである。
10000¥を貸しているのと、100$貸しているのとでは、額が時によって変わってくるのだ。
まず、1ドルは100セント。そうすると、1ドル(100セント)=100円がほぼ対等であると考えて良いか。
現在はややドルが高く、1ドル(100セント)=113円だとかその周辺だが、それだと分かり辛いし、例であるので最初は1$=100¥とする。
ここで、これが固定相場だったならば、1$が100¥だろうが115¥だろうが別に何の支障もない(他に支障があるから固定ではない)。だが、変動相場であるから話がややこしくなってくる。また、ある種のトリックが存在し得るのである。
さて、では行こう。
『1$=100¥』 である。
円基準で、10000(一万)¥貸した。/ドル基準で、100$貸した。
(或いはAがJに借りたと捉えてもどっちでもいい。この場合はJがAに貸したという視点でいく)
10000¥=100$/100$=10000¥
この時点ではこれは「1$=100¥」であるので全く同義。
しかし、
円高ドル安が進んで、或いは取り決めて進めて、
『1$=50¥』 となった。
するとこうなる。
10000¥=200$/100$=5000¥
(数学的に代数でも置いた方が正しい説明になるのだろうが、この方が解りやすいと思うのでこれで。)
何と言う事だろう。
貸していた(借りていた)お金が、どちらのお金基準で貸し借りしていたかによって、為替が動くと180°真逆の効果を持つのである。
もうお分かりだろうが、
1$=100¥→1$=50¥ の場合
円基準10000円で貸していたら、200$を貸している事になり。
ドル基準100ドルで貸していたら、5000¥を貸している事になる。
そう。例えば、
「10000円貸した」と思っていたら、「ドルで、100$借りでいい?」というので、「うん」なんて言っていたら、
「ちょっと借金とかで事情悪いからさ、1$=50¥にしてよ」などというので、「ふ〜ん」と言っていたら、
「はい、こないだの借金、ありがとう!」と5000円が手元に帰って来たのである。
ほとんど詐欺みたいな話だ。
まあ、為替は連動するから相対的なドル安となって米国からすれば借金が目減りする反面、資産も目減りするという事でもあるが。
ただ消費浪費で借金塗れだったら得る事の方が大きい訳であり、例えば会社が倒産前提に融資を掻き集めて、浪費だとか資産を名義変更するなどしてこれを移動、隠蔽を計った上で意図的に破産するのは、これは犯罪でないのか、という事である。地検特捜部に突撃して欲しい様な話だ。
しかしながらそんな事をもし本当にやった時、米国とは本当にプレゼンスも無くし多くを失った、単なる2流3流国家に成り下がっているだろうが。そんな事を押し進めようと画策する様なのがいるとしたら、それは米国の友人でなく敵ではないのかなあ。とも、まあ思ったりもする訳でもある。
さて、この部分が大分長くなったのであるが、少し戻って頂いて、
財政だとか収支の辺りをもう一度見て欲しい。米国の自転車操業、サメ・マグロ泳ぎの辺りである。
赤字、赤字を埋める為に国債を発行して、その借金を返す為にまた借金を刷る…、、
はて、、何処かで聞いた様なフレーズ、、、
と思われた方もいるのでないだろうか(消費者金融で借金してパチンコして返そうとかいうど阿呆な話でなく)。
そう、「日本の借金」というやつである。
上記の様に、まあアメリカはアメリカでもう相当無茶苦茶な話であるが、日本もあまり他所の事ばっかり言っていられないのだ。
では、日本の方について、いこう。
【注意点】
そこで、先に(インチキと)触れた気を付けるべきポイントが更に、ワントラップある。
まあ、全て焦げ付いて国債のデフォルト(「もう払えませんから、無かったという事で…」という、国家単位の自己破産みたいなもの)の様な真似をやられても目も当てられないが、その前に、ワントラップある。更にそれにおけるポイントは、ドル建て。ドルを世界経済の基軸通貨という状態に保持する事に躍起になる理由もある。
つまりそれは、為替を大幅なドル安に仕向ける事だ。
これでもって、米国の外債(対外債務<借金>)は一気に目減りする。
ピンとこないかもしれないので、私も似た様なものなので、明快に理解し易い様に書いてみよう。
ここ、味噌である。嫌がらないで是非見て欲しい。
例えば、
AさんはJさんからお金を借りている。
ただ、2者が日常に使用する通貨が違うので、その通貨自体のお互いの価値は、それぞれの総体的状況によって日々変わるものである(為替変動相場)。
ここである。
では、AさんはJさんからお金を借りる時、何を基準にお金を借りるのか。
例えばだが、「金(きん)に替えて、金十貫、金何グラム」だとかいった絶対的な基準があれば良いが(金だって相場なのだが、、まあそこは突っ込まないで)、そうもいかないのでお互いの通貨のどちらかで、何時いつに幾ら幾ら借りました、とこう証文を取る。
ここで違いが出て来るのである。
10000¥を貸しているのと、100$貸しているのとでは、額が時によって変わってくるのだ。
まず、1ドルは100セント。そうすると、1ドル(100セント)=100円がほぼ対等であると考えて良いか。
現在はややドルが高く、1ドル(100セント)=113円だとかその周辺だが、それだと分かり辛いし、例であるので最初は1$=100¥とする。
ここで、これが固定相場だったならば、1$が100¥だろうが115¥だろうが別に何の支障もない(他に支障があるから固定ではない)。だが、変動相場であるから話がややこしくなってくる。また、ある種のトリックが存在し得るのである。
さて、では行こう。
『1$=100¥』 である。
円基準で、10000(一万)¥貸した。/ドル基準で、100$貸した。
(或いはAがJに借りたと捉えてもどっちでもいい。この場合はJがAに貸したという視点でいく)
10000¥=100$/100$=10000¥
この時点ではこれは「1$=100¥」であるので全く同義。
しかし、
円高ドル安が進んで、或いは取り決めて進めて、
『1$=50¥』 となった。
するとこうなる。
10000¥=200$/100$=5000¥
(数学的に代数でも置いた方が正しい説明になるのだろうが、この方が解りやすいと思うのでこれで。)
何と言う事だろう。
貸していた(借りていた)お金が、どちらのお金基準で貸し借りしていたかによって、為替が動くと180°真逆の効果を持つのである。
もうお分かりだろうが、
1$=100¥→1$=50¥ の場合
円基準10000円で貸していたら、200$を貸している事になり。
ドル基準100ドルで貸していたら、5000¥を貸している事になる。
そう。例えば、
「10000円貸した」と思っていたら、「ドルで、100$借りでいい?」というので、「うん」なんて言っていたら、
「ちょっと借金とかで事情悪いからさ、1$=50¥にしてよ」などというので、「ふ〜ん」と言っていたら、
「はい、こないだの借金、ありがとう!」と5000円が手元に帰って来たのである。
ほとんど詐欺みたいな話だ。
まあ、為替は連動するから相対的なドル安となって米国からすれば借金が目減りする反面、資産も目減りするという事でもあるが。
ただ消費浪費で借金塗れだったら得る事の方が大きい訳であり、例えば会社が倒産前提に融資を掻き集めて、浪費だとか資産を名義変更するなどしてこれを移動、隠蔽を計った上で意図的に破産するのは、これは犯罪でないのか、という事である。地検特捜部に突撃して欲しい様な話だ。
しかしながらそんな事をもし本当にやった時、米国とは本当にプレゼンスも無くし多くを失った、単なる2流3流国家に成り下がっているだろうが。そんな事を押し進めようと画策する様なのがいるとしたら、それは米国の友人でなく敵ではないのかなあ。とも、まあ思ったりもする訳でもある。
さて、この部分が大分長くなったのであるが、少し戻って頂いて、
財政だとか収支の辺りをもう一度見て欲しい。米国の自転車操業、サメ・マグロ泳ぎの辺りである。
赤字、赤字を埋める為に国債を発行して、その借金を返す為にまた借金を刷る…、、
はて、、何処かで聞いた様なフレーズ、、、
と思われた方もいるのでないだろうか(消費者金融で借金してパチンコして返そうとかいうど阿呆な話でなく)。
そう、「日本の借金」というやつである。
上記の様に、まあアメリカはアメリカでもう相当無茶苦茶な話であるが、日本もあまり他所の事ばっかり言っていられないのだ。
では、日本の方について、いこう。
本稿は【民族問題 × 歴史 × 精神疾患】の後に続く一連のもの。何項目か飛ばしている状態/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<07/12/8〜12/14辺り>
運用
で、
運用資金については多分、だいたい外貨準備という事なのだろうが、私もその辺りが順当な線だと思う。間違っても、年金だとか政府系金融機関、政府保有不動産だとかのそういったものに(まずは)手を出すべきでない。
例えば政府系金融機関がどの程度の歳出歳入歳出収支なのか良く知らないし、面倒臭いのでこの際は置いておくが、それらにしても使って良いとするならば収支がプラスのものであり、対象はその純益に限るべきだと思う。
要は、もし下手をうって損を出し、元本を大きく割り込んだり、もっと言うならばその金が無くなってしまったとしても出来るだけ会計に響かないものでなければならない。
もっと砕いて言うなら、「もしスッても生活(家計)に響かない金(余剰金)で博打は打て」という事だ。
生活費で博打を打つのは阿呆のやる事である。それでもって、『借金して博打を打つのは、ド阿呆のする事』である。これは、やむを得ず借金して起業し、実のある経済活動を興すのとはまた根本的に違う。ほとんど、「破滅したい」と言っている様なものだ。だから、やるならそういった特別会計のプラスのものの純益、それよりも外貨準備、更に、その運用益。といった様に、リターン云々以前の拠出金の性質を制限して総体的なリスクを下げてゆくのが賢いやり方なのではないだろうか。そこまでやってやっと、実際の運用においてハイリスク・ハイリターンの投資も選択肢に入り得るべきだと考える。
そうして、その設立した政府系ファンドが見事に上げた収益を、折りを見てガツリと国債などの債務に対する償還に充てるなど、財政の更なる健全化に繋げて行ければこれ程良い事はない。その運用の為に、優秀な投資家などの人材を起用してみるのも、例えば昨今「ハゲタカファンド」と忌み嫌われる様な怪しげな連中が跋扈するが為に、「たかが株式投資」へと成り下げてしまっている業界自体の認識、意味というものも再びされるかもしれない。その能力と、「いっちょう皆(日本)の為にもやってやろうじゃねえか」という気概を持っている人物である。取り敢えず金さえ作ってくれば、何でもいいや、という感覚だとあと後ロクな事にならないと思うので、その辺もちゃんと考慮した方がいいだろう。それと、責任の取り方である。背任ならぶち込んだらいいが、そうでなく、純粋に運用に失敗した場合にどの様な責任を「何処が」取るのかという事も決めなければならない。一回損を出したら即クビ、といったような無茶を言ってもいけないし、まあある程度の期間は見ながら四半期、年度ごとに評価していくしかないのだろうが。
あと残りのポイントと言えば、外貨準備だとかのその運用、投資が極めてドルに偏ってしまっているという事である。この辺り、以前にも書いた事とかなり重複する事もあるだろうが、その部分だけ抜いて書く訳にもいかないので気にせずゆく。
【ちょっと寄り道。日米の財政状態と過剰なもたれ合い。問題点】
運用
で、
運用資金については多分、だいたい外貨準備という事なのだろうが、私もその辺りが順当な線だと思う。間違っても、年金だとか政府系金融機関、政府保有不動産だとかのそういったものに(まずは)手を出すべきでない。
例えば政府系金融機関がどの程度の歳出歳入歳出収支なのか良く知らないし、面倒臭いのでこの際は置いておくが、それらにしても使って良いとするならば収支がプラスのものであり、対象はその純益に限るべきだと思う。
要は、もし下手をうって損を出し、元本を大きく割り込んだり、もっと言うならばその金が無くなってしまったとしても出来るだけ会計に響かないものでなければならない。
もっと砕いて言うなら、「もしスッても生活(家計)に響かない金(余剰金)で博打は打て」という事だ。
生活費で博打を打つのは阿呆のやる事である。それでもって、『借金して博打を打つのは、ド阿呆のする事』である。これは、やむを得ず借金して起業し、実のある経済活動を興すのとはまた根本的に違う。ほとんど、「破滅したい」と言っている様なものだ。だから、やるならそういった特別会計のプラスのものの純益、それよりも外貨準備、更に、その運用益。といった様に、リターン云々以前の拠出金の性質を制限して総体的なリスクを下げてゆくのが賢いやり方なのではないだろうか。そこまでやってやっと、実際の運用においてハイリスク・ハイリターンの投資も選択肢に入り得るべきだと考える。
そうして、その設立した政府系ファンドが見事に上げた収益を、折りを見てガツリと国債などの債務に対する償還に充てるなど、財政の更なる健全化に繋げて行ければこれ程良い事はない。その運用の為に、優秀な投資家などの人材を起用してみるのも、例えば昨今「ハゲタカファンド」と忌み嫌われる様な怪しげな連中が跋扈するが為に、「たかが株式投資」へと成り下げてしまっている業界自体の認識、意味というものも再びされるかもしれない。その能力と、「いっちょう皆(日本)の為にもやってやろうじゃねえか」という気概を持っている人物である。取り敢えず金さえ作ってくれば、何でもいいや、という感覚だとあと後ロクな事にならないと思うので、その辺もちゃんと考慮した方がいいだろう。それと、責任の取り方である。背任ならぶち込んだらいいが、そうでなく、純粋に運用に失敗した場合にどの様な責任を「何処が」取るのかという事も決めなければならない。一回損を出したら即クビ、といったような無茶を言ってもいけないし、まあある程度の期間は見ながら四半期、年度ごとに評価していくしかないのだろうが。
あと残りのポイントと言えば、外貨準備だとかのその運用、投資が極めてドルに偏ってしまっているという事である。この辺り、以前にも書いた事とかなり重複する事もあるだろうが、その部分だけ抜いて書く訳にもいかないので気にせずゆく。
【ちょっと寄り道。日米の財政状態と過剰なもたれ合い。問題点】
本稿は【民族問題 × 歴史 × 精神疾患】の後に続く一連のもの。現在何項目か飛ばしている状態/※注:この項目における出来事、事象、また執筆は更新日時現在のものではありません。お取違えなされませぬよう詳細は右に。<07/12/8〜12/14辺り>
国家ファンドか、、
最近よく耳にする議論・提案だ。
まあ、そういう考え方というものが選択肢の一つとしてあっても当然良いとは思う。
ただしかし、誰が運用して責任を取るのかねえ。と、そう考えるとやはり怖い。
例えば官僚に、本来優秀な人も沢山いるのだろうが、昨今こうまで非効率かつ時に悪辣、やれ関係法人だ独法だのと「ポジティブな色合いの無い無駄な事(ワンコ蕎麦だとかホットドッグの早食い世界大会、エアギターやドラゴンボールのカメハメ波大会だとか、そういうタイプの下らない阿呆な話は、これらもつまりは無駄なのだけれども嫌いではないのだが。笑)」ばかりやっている連中がこうも少なくないと、もしやったところでどうせまた適当な運用で赤ばかり出すんじゃないかと心配になる。まず、そういった不安要素というものを考慮しないと嘘だろう。それとも国がどこかから優秀な投資家をヘッドハントでもする?(笑)
株式、為替、先物だとか、そういった資産運用というものは、活用されず眠っている資産がまた動く事によって市場も活気付き、そうした金の動きが新たな雇用や投資、ともすれば新たな技術や開発を産む原動力にだって成り得る(多分)。光の部分を挙げれば、こんな感じだろう。
ただしかし、当然ながらそういった資産運用にはリスクが伴う。
以前、何度か経済、金融資本関係のお話をしその時にも書いたが、(例えば株投資について)どういった企業の、はたまたどんな指針や事業計画、といった様な内容に対する、単なる銭儲け、単なる銭集め、だけとはなってしまわない部分に恐らく先に挙げた光があるのだろう。
しかし人間には欲がある。
金を掛けて、配当を得る。(或いは売り抜けて差益を得る)
だから、そんな綺麗な話だけでは済まない。
まあ、元々そういったものなのだからここら辺は仕方が無いだろう。
だがそうすると、結局規模の大きい合法な博打(バクチ)の域を出ない面もあり、そうなると、どうしても汚くエゲツない話も多くなってくる。金だの、利権だのというものがある場所には、必ず怪しげな連中、薄汚い輩も寄って来るからだ。総会屋(民族屋なんてもっとタチが悪い)の様なものもあれば、そのバクチの中でもルール違反、イカサマ(やイカサマ紛い)をやってでも金をせしめんとするイカサマ師や仕手筋の様なのがいるのだ。「ハゲタカ・ファンド」なんて呼ばれて、忌み嫌われている辺りである。ホリエモンや村上の様なのがまさにそうであり、ザ・資本主義=米国におけるそういった元祖の様なのも沢山いる訳だ。steal、いやsteel partnersの様なのだね。
「僕がいっぱいお金儲けたから嫉妬してるんでしょ!」だとか、そういうほうけた寝言を平然と口にするああいった連中とは、中々頭が切れるか、マネーゲームが上手いか知らんが、根本的な所で既に間違っている。と、私には感じられる。
まあ、村上やホリエモンの様な実際の経済事犯というのも、実際にどんどん取り締まらねばならんだろうし、そうやって市場の健全化を計っていけば良いのだが、そうであったとしても投資家の戦いというのも決して甘いもんじゃなかろう。海千山千のやり手もいるだろうし。いや、まあだったら、その人をヘッドハントしてみれば、とかも思ってしまうのだが。
とにかく、国家ファンドという事は、国が資本を出して運営をしケツ持ちをするという事だろう。だとしたら、そういった各市場で税金を運営して黒を出してみせるという布陣、気概を、青写真でもしっかりとしたものを出して国民、国会を納得させねばならない。財務省の役人とか、その辺りがテキトーに運営しまっす。だとか寝惚けた事を言っていたら通る訳がないし、そんなものは通せない。
とは言いつつ、
不謹慎な私などはちょっと、そういう事を検討してみるのも面白いかもなあ、とも思っている。
国家ファンドか、、
最近よく耳にする議論・提案だ。
まあ、そういう考え方というものが選択肢の一つとしてあっても当然良いとは思う。
ただしかし、誰が運用して責任を取るのかねえ。と、そう考えるとやはり怖い。
例えば官僚に、本来優秀な人も沢山いるのだろうが、昨今こうまで非効率かつ時に悪辣、やれ関係法人だ独法だのと「ポジティブな色合いの無い無駄な事(ワンコ蕎麦だとかホットドッグの早食い世界大会、エアギターやドラゴンボールのカメハメ波大会だとか、そういうタイプの下らない阿呆な話は、これらもつまりは無駄なのだけれども嫌いではないのだが。笑)」ばかりやっている連中がこうも少なくないと、もしやったところでどうせまた適当な運用で赤ばかり出すんじゃないかと心配になる。まず、そういった不安要素というものを考慮しないと嘘だろう。それとも国がどこかから優秀な投資家をヘッドハントでもする?(笑)
株式、為替、先物だとか、そういった資産運用というものは、活用されず眠っている資産がまた動く事によって市場も活気付き、そうした金の動きが新たな雇用や投資、ともすれば新たな技術や開発を産む原動力にだって成り得る(多分)。光の部分を挙げれば、こんな感じだろう。
ただしかし、当然ながらそういった資産運用にはリスクが伴う。
以前、何度か経済、金融資本関係のお話をしその時にも書いたが、(例えば株投資について)どういった企業の、はたまたどんな指針や事業計画、といった様な内容に対する、単なる銭儲け、単なる銭集め、だけとはなってしまわない部分に恐らく先に挙げた光があるのだろう。
しかし人間には欲がある。
金を掛けて、配当を得る。(或いは売り抜けて差益を得る)
だから、そんな綺麗な話だけでは済まない。
まあ、元々そういったものなのだからここら辺は仕方が無いだろう。
だがそうすると、結局規模の大きい合法な博打(バクチ)の域を出ない面もあり、そうなると、どうしても汚くエゲツない話も多くなってくる。金だの、利権だのというものがある場所には、必ず怪しげな連中、薄汚い輩も寄って来るからだ。総会屋(民族屋なんてもっとタチが悪い)の様なものもあれば、そのバクチの中でもルール違反、イカサマ(やイカサマ紛い)をやってでも金をせしめんとするイカサマ師や仕手筋の様なのがいるのだ。「ハゲタカ・ファンド」なんて呼ばれて、忌み嫌われている辺りである。ホリエモンや村上の様なのがまさにそうであり、ザ・資本主義=米国におけるそういった元祖の様なのも沢山いる訳だ。steal、いやsteel partnersの様なのだね。
「僕がいっぱいお金儲けたから嫉妬してるんでしょ!」だとか、そういうほうけた寝言を平然と口にするああいった連中とは、中々頭が切れるか、マネーゲームが上手いか知らんが、根本的な所で既に間違っている。と、私には感じられる。
まあ、村上やホリエモンの様な実際の経済事犯というのも、実際にどんどん取り締まらねばならんだろうし、そうやって市場の健全化を計っていけば良いのだが、そうであったとしても投資家の戦いというのも決して甘いもんじゃなかろう。海千山千のやり手もいるだろうし。いや、まあだったら、その人をヘッドハントしてみれば、とかも思ってしまうのだが。
とにかく、国家ファンドという事は、国が資本を出して運営をしケツ持ちをするという事だろう。だとしたら、そういった各市場で税金を運営して黒を出してみせるという布陣、気概を、青写真でもしっかりとしたものを出して国民、国会を納得させねばならない。財務省の役人とか、その辺りがテキトーに運営しまっす。だとか寝惚けた事を言っていたら通る訳がないし、そんなものは通せない。
とは言いつつ、
不謹慎な私などはちょっと、そういう事を検討してみるのも面白いかもなあ、とも思っている。
「消えた5000万件」で現在ボロ雑巾状態の社保庁。それにしても知れば知る程に社保庁の悪辣さはその想像を上回る。
ところで、
その年金事業だが、本来先の問題にかき消されている本質的な問題があるハズだ。それが、そもそも現在の方式で「100年安心」が本当に担保されているのか、という事でもあり、それがあいまって4割の未納問題がある。現在の年金事業の姿というのは、
「水を集めなければならないんです」と大バケツ抱えながら歩き回っているのだが、その当の大バケツにはアチコチに穴が開いており水はジャージャー漏れている。入れてくれない人が多いから水が貯まらない、と一緒に回収する人を増やしてはみるが、効果は上がらんばかりか、集める人間が寄ってたかってバケツの水を汲んでは勝手にガブガブ飲んでいる。という様な、もう何をやっているのか分からない状態だ。
後半の部分は、未納滞納者への納入催促、またはお願いの為に新たな人員を雇って(つまりは人件費がかかる)回収にあたっている、と言う現実をこう表現してみた。ましてや驚愕の5000万件で、もう、一体誰が信用すると言うのか。喜んで払うと言うのか。
そこで、
以前少々触れた「税方式」についてもう一度提言してみたい。そもそもの与党案、民主党案の両方ともが庁の形態にメスを入れる程度のものに見え、それはそれで結構な事なのだが、肝心の年金事業の見直しにまで至ってはいないと思えたからである。(与党案→独法化。民主党案→国税庁と合併した歳入庁化。共に現在のまま保険料徴収方式)
まず、前置きとして、
私は、頑張ってそれなりの成果を上げれば報われる、それなりの切磋琢磨や競争がある民主主義、自由社会が基本は良いと思っている。無論それはbetter、という観点からだ。完全無欠の至上である等とは決して思ってはいない。返して、共産、社会主義なんてものは、もう言うまでもないが大嫌いである。
だが、それぞれの考え方から、良いものはこだわらずに抽出して採用すれば良いとも考える。
例えば、この年金など、いわゆる社会保障というもの自体が少なからずそれらに近い考え方から来る部分もあろうものだが、それはそれで全然構わないじゃないかと思うのだ。老後や、医療、本当に必要なその時における弱者保護というものは、誰もが人として人らしく生きてゆける上で必要だ。それが、格差社会と言われる一面にも現れて来るのであり、幾ら自由主義とは言え、アメリカ型の弱肉強食スタイルに日本が進んで行くのはあまり良いとは思えない。救急医療のまさに現場で、「保険が無いから」と診療拒否される様な社会はちょっと御免こうむりたいのだ。
このように、そういった社会保障の面では、社会主義的な要素を盛り込んでも良いのではないかと、その様に思う。
そこで、国民健康保険なども併せてやってしまえれば良いが、とりあえず出来るのかどうかを鑑みてまず、年金だ。それはタイムリーでもあるし、元々そう考えていたのもあるし、後述するが経済との兼ね合いもある(無論、国保もだが)。
そこで年金事業そもものの在り方、その財源の抜本的改革となる。
それが、『徴収方式から税方式』への転換だ。
既に幾つも並べた様に、現在の徴収方式故に4割未納問題が横たわり、それを回収しようとまた焼け太りの様な策を施してしまい、表面上の数字を操作しようと画策する偽装を産み、挙げ句は「納めてくれたっけな?」とも言うべきずさんな5000万件問題がブチ上がって来る。幾らか資料を見てみても、社保庁自体、確かにその腐り方ももう半端じゃなさそうだ。
であるから、組織腐敗と共にここまでの事業的な方式破綻を迎えれば、それももう絶対に見直すべきだと思うのだ。
故に、「皆で支え合う」という精神からも全く逸脱しない、かつ上記の技術的な(壮大な)非効率を取り払う、『税方式』で良いのでないか、と言いたい。
そこで更に、
税方式とするならその税源として『消費税の大幅アップ』とした。
何故、消費税なのかと言えば、それが経済へと繋がる。
「何を言う。消費税を大幅アップすれば景気は一気に後退するだろう」と言われるかも知れない。
確かに一見すればそう感じられるかも知れないが、忘れてはいけない。その消費税は、間違いなく貴方の、皆の年金(など社会保障)に使われるのだ。そう考えればどうだろう?
景気は回復傾向、とは言えども良く言われる様に、確かに大してそうも感じられないのは格差社会と言われる様な問題や、明らかな『将来不安』が根底にある(と思う)。結局、それが『消費』に繋がって行かないのだ。しかしそれが、それら社会保障が確実に担保されるなら、安心してお金も使える。老後が不安故に云百云千万単位でシコタマ貯め込んでいる人も、それならいいか、と財布の紐も緩むというものだ。せっかくの老後、引退した余生や第二の人生に、ゆるりと何処かへ旅行してみようか、何か美味しいものでも食べに行こうか、孫を何処かに連れて行ってやろうか、などといった余裕が出て来得るのではないか。あるいは、何か商売でもしてみようか、だとか、何か世の中の役に立つ事の為に使おう、とされるエネルギッシュな方も出て来るかも知れない。
これからは、俗に言う「団塊の世代」の方々が続々と引退されて行く。
その退職金や年金を当て込んだ、団塊ビジネスというものまで言われるが、それらのお金を、今まで頑張って来た方々が物理的にも心理的にも「余裕」をもって使える様な状態にもって行くのが、良い社会なのではないか。ましてや消費も伸び、堅い紐で括られて眠っていた金も世の中を回る事になる。つまりは、経済が活性化する。
お金は貯めて貯めて貯めて貯めても、お墓の中や、あの世までは持って行けません。
先の真田幸村ではないが、三途の川の渡し賃は僅かに六文。持って行くにしても、
六文銭で充分なんです。
ところで、
その年金事業だが、本来先の問題にかき消されている本質的な問題があるハズだ。それが、そもそも現在の方式で「100年安心」が本当に担保されているのか、という事でもあり、それがあいまって4割の未納問題がある。現在の年金事業の姿というのは、
「水を集めなければならないんです」と大バケツ抱えながら歩き回っているのだが、その当の大バケツにはアチコチに穴が開いており水はジャージャー漏れている。入れてくれない人が多いから水が貯まらない、と一緒に回収する人を増やしてはみるが、効果は上がらんばかりか、集める人間が寄ってたかってバケツの水を汲んでは勝手にガブガブ飲んでいる。という様な、もう何をやっているのか分からない状態だ。
後半の部分は、未納滞納者への納入催促、またはお願いの為に新たな人員を雇って(つまりは人件費がかかる)回収にあたっている、と言う現実をこう表現してみた。ましてや驚愕の5000万件で、もう、一体誰が信用すると言うのか。喜んで払うと言うのか。
そこで、
以前少々触れた「税方式」についてもう一度提言してみたい。そもそもの与党案、民主党案の両方ともが庁の形態にメスを入れる程度のものに見え、それはそれで結構な事なのだが、肝心の年金事業の見直しにまで至ってはいないと思えたからである。(与党案→独法化。民主党案→国税庁と合併した歳入庁化。共に現在のまま保険料徴収方式)
まず、前置きとして、
私は、頑張ってそれなりの成果を上げれば報われる、それなりの切磋琢磨や競争がある民主主義、自由社会が基本は良いと思っている。無論それはbetter、という観点からだ。完全無欠の至上である等とは決して思ってはいない。返して、共産、社会主義なんてものは、もう言うまでもないが大嫌いである。
だが、それぞれの考え方から、良いものはこだわらずに抽出して採用すれば良いとも考える。
例えば、この年金など、いわゆる社会保障というもの自体が少なからずそれらに近い考え方から来る部分もあろうものだが、それはそれで全然構わないじゃないかと思うのだ。老後や、医療、本当に必要なその時における弱者保護というものは、誰もが人として人らしく生きてゆける上で必要だ。それが、格差社会と言われる一面にも現れて来るのであり、幾ら自由主義とは言え、アメリカ型の弱肉強食スタイルに日本が進んで行くのはあまり良いとは思えない。救急医療のまさに現場で、「保険が無いから」と診療拒否される様な社会はちょっと御免こうむりたいのだ。
このように、そういった社会保障の面では、社会主義的な要素を盛り込んでも良いのではないかと、その様に思う。
そこで、国民健康保険なども併せてやってしまえれば良いが、とりあえず出来るのかどうかを鑑みてまず、年金だ。それはタイムリーでもあるし、元々そう考えていたのもあるし、後述するが経済との兼ね合いもある(無論、国保もだが)。
そこで年金事業そもものの在り方、その財源の抜本的改革となる。
それが、『徴収方式から税方式』への転換だ。
既に幾つも並べた様に、現在の徴収方式故に4割未納問題が横たわり、それを回収しようとまた焼け太りの様な策を施してしまい、表面上の数字を操作しようと画策する偽装を産み、挙げ句は「納めてくれたっけな?」とも言うべきずさんな5000万件問題がブチ上がって来る。幾らか資料を見てみても、社保庁自体、確かにその腐り方ももう半端じゃなさそうだ。
であるから、組織腐敗と共にここまでの事業的な方式破綻を迎えれば、それももう絶対に見直すべきだと思うのだ。
故に、「皆で支え合う」という精神からも全く逸脱しない、かつ上記の技術的な(壮大な)非効率を取り払う、『税方式』で良いのでないか、と言いたい。
そこで更に、
税方式とするならその税源として『消費税の大幅アップ』とした。
何故、消費税なのかと言えば、それが経済へと繋がる。
「何を言う。消費税を大幅アップすれば景気は一気に後退するだろう」と言われるかも知れない。
確かに一見すればそう感じられるかも知れないが、忘れてはいけない。その消費税は、間違いなく貴方の、皆の年金(など社会保障)に使われるのだ。そう考えればどうだろう?
景気は回復傾向、とは言えども良く言われる様に、確かに大してそうも感じられないのは格差社会と言われる様な問題や、明らかな『将来不安』が根底にある(と思う)。結局、それが『消費』に繋がって行かないのだ。しかしそれが、それら社会保障が確実に担保されるなら、安心してお金も使える。老後が不安故に云百云千万単位でシコタマ貯め込んでいる人も、それならいいか、と財布の紐も緩むというものだ。せっかくの老後、引退した余生や第二の人生に、ゆるりと何処かへ旅行してみようか、何か美味しいものでも食べに行こうか、孫を何処かに連れて行ってやろうか、などといった余裕が出て来得るのではないか。あるいは、何か商売でもしてみようか、だとか、何か世の中の役に立つ事の為に使おう、とされるエネルギッシュな方も出て来るかも知れない。
これからは、俗に言う「団塊の世代」の方々が続々と引退されて行く。
その退職金や年金を当て込んだ、団塊ビジネスというものまで言われるが、それらのお金を、今まで頑張って来た方々が物理的にも心理的にも「余裕」をもって使える様な状態にもって行くのが、良い社会なのではないか。ましてや消費も伸び、堅い紐で括られて眠っていた金も世の中を回る事になる。つまりは、経済が活性化する。
お金は貯めて貯めて貯めて貯めても、お墓の中や、あの世までは持って行けません。
先の真田幸村ではないが、三途の川の渡し賃は僅かに六文。持って行くにしても、
六文銭で充分なんです。