「ん…?」という事にはかなり
並列させたくなかったので分けたが、先稿に続いてもう一つ、震災にまつわる諸々の事柄を述べる。論旨は別にそれだけにこだわる訳でも無いので、あれやこれやと散漫に長くなると思うが、まあお付き合い下さい。あの時を機に気付いた、気付き出した事がもう少しあるのだ。それは筆者が論ずるに、度々(たびたび)名がでてくるある国、韓国(朝鮮半島)にまつわる話。
私や周りの人々がそうであった様に、恐らく多くの方々がそうだろうと思うのが、つい最近になるまで(あの強烈な反日愛国主義を含めて)この韓国についての事などほとんど知らなかっただろうという事。筆者にしても本当に、ここで言う「気付き出した」頃以前については正直、韓国のかの字のほどの記憶も見当たらない。別に厭味でも何でもなく。
掘り起こして何とか出て来るのが、教科書だ何だと問題になる強制連行だとか従軍慰安婦だとかのキナ臭い話(これらは須らく歪曲と捏造の所産だった)や、道徳だったと思われる学校授業の一環で見せられた「差別問題」のビデオだろうか。確か、着物に似たを服を着た女性が出ていた様な気がし、今思えばあれがチマチョゴリだったんだと分かる訳で、つまりは「同和・在日・外国人差別」にまつわる「教育」だったのだと。これに限らず学校の教材ビデオなんぞに興味を引くものなどほとんど無いので、私に限らず大半の者がロクに観てもいなかった様にも思う。
以前にも触れたが、この手の「差別」問題に言及するのは正直今でも気が重い。その時にも指摘した通り、「差別」なる言葉に妙な、オドロオドロしい、キナ臭い臭いが付き過ぎているためだ。だがまあ、色々な問題を内包しているし、民主主義社会における風通しの良い言論空間を作る為にはいちいちタブーをこしらえて見過ごしていてもいけない。腹を割って話してみようと思う。
当時の私の感覚と言えば、
「差別差別言わん方がええんちゃうの。大体そんなん知らんし、(差別)する気も無いし。好きな人は好き、嫌いな人は嫌い。そんだけやん」
といったものだった。と思う。
それでも親しい人に大人でも「ほんでもワイ(わし、私)はキレー(きらい)や。悪い事するやつ、ようけ(沢山)おるし」と言っていた人がいたのも覚えている。そんな会話も「ふ〜ん」くらいで終わった様な気がする。
家庭で思想や宗教教育をされた覚えもほとんどないのだが、この辺の感覚は家庭環境や個人的経験則に大きく影響されるとも思うがどうだろう。とにかくこれについての私の考え方は今でも大した変わりは無い。変わった点といえば、「知らなかった」のが「知った上で」に変化したという事くらいだろう。
だからという訳ではないが、私は進歩的知識人などと気取る左巻きのインテリの様に、「差別はいけない!」「友好友好!」と必要以上に無理矢理ベタついて『どうですか?私は良識的な人間でしょう?』といった顔を振りまく様な真似は死んでもしたくない。
総じてあの手合いは、『そんな自分が好き』なのだ。そうして実は、そうでない人を馬鹿にし、被差別対象の人を哀れみ、自分だけを『一つ高み』に置き差別している。本当に気持ちの悪い連中だと感じる。まあそれも、エセ人権をダシに一緒になって利益や利権を追い回しているうちに本人ももう何が何だか分からなくなっているのかも知れないが。
そういえば、私は偽善的なもの、嘘臭い誤摩化しや歪曲は昔からひどく嫌いだったか。
そりゃあ生きていれば色々目にする訳で、例えば『パチンコは賭博』で『風俗・援助交際は売春』、『消費者金融は高利貸し』で『自衛隊は軍隊』で。『九条って何?』(まあ、本気ですかと)。靖国神社参拝でギャーギャーギャーギャー『私的参拝ですか?公的参拝ですか?』って『あなたは2重人格ですか?』って聞いてるんですかと。それをさも「高尚な問題」を扱ってるかの様なシタリ顔の記者が、若造の目にすら鬱陶しく映ってね。どこからどう見ても『公明党は創価学会で宗教団体』で。『大学に行けば遊べる』って何ですか。『記憶にゴザイマセン』ってあんたナメてます?『社会党or共産党は平和の党です』ってもう、、、(笑
まあこういった事も、考え方が変わっていった要因の一つ、、多くである。
で、本筋に戻してゆくが、
(韓国について)少なからず認知度が上がったと思われるのが、ゴリ押し、無理矢理の2002年日韓共催サッカー・ワールドカップ、この辺りからではないかと思う。そして同期するかの様に無理矢理でっち上げられる偽装韓流ブーム。結果、見せかけ偽りの偽善的友好を見せ付けるこの誘導は少なからず「政府の意向方針」であったろうと私は思う。
この部分について別にまとめるつもりだったが先に少し書いてしまうが、それを受ける自己保身と利益にしか目がない無節操な組織・企業のNHK、そして電通。この両者ともが、減収から脱却する為にアジア、韓国でのビジネスをも模索している。追随するメディア。驚喜して飛びつき、無茶をしてまわる半島(韓国/北朝鮮)系の組織(主に民族団体や宗教団体)や企業。概ねこれが、ここ最近の、例えば偽装韓流ブームに代表される総体的日本文化圏の感覚、センスからは疑問符ばかりが付くムーブメントそのものや礼賛に対する「どこがイイの?」と言われる『何で韓国?』という流れの実体だろう。
(※まさに先陣を切ったNHK。暗躍する電通は、例えばヤラセで問題になった内閣府主催のタウンミーティング等をも請け負っている。バウネット・ジャパン〈戦争と女性への暴力・日本ネットワーク〉なる強烈異様な団体に関する番組制作に端を発した、朝日の恣意的歪曲報道「安倍・中川両氏の政治的圧力」なるとばっちりから、朝日vsNHKの泥仕合への本質的問題、根源たる影の忍び寄りが大問題であるにもかかわらず、焦点をずらすその対処法など諸々に見られる様、彼らの体質的問題点とは自己保身と利益、無節操さにこそあると筆者は見ている。ゆえに世間一部に言われる様な「思想的売国」ではなく、ケースバイケースよる『御用・売国の両輪ござれ』なのだ。偽装韓流ムーブメントに関して、追随するメディアについては最早いわずもがなだが、逸早くフジがスマップであぶれる某タレントを起用し、全編ハングルによる妙な番組を始めていたのも頷ける。ちなみに筆者が先稿にて指摘した「デスノート」の意味不明な韓国絡みも、該当局日テレをプレスリリース等少し調べれば即座に理解できる。「相互」を強調しながらの韓国市場への参入は、以降展開する諸々の分析と符合する。無論、これらはアジア、世界をも視野に入れた戦略の一つである。結果、例えばその電通の売上とは丁度その辺りから回復傾向にあり、新市場の開拓と共に顕著な伸び率を示すのがそう、「アジア市場」だ。)
並列させたくなかったので分けたが、先稿に続いてもう一つ、震災にまつわる諸々の事柄を述べる。論旨は別にそれだけにこだわる訳でも無いので、あれやこれやと散漫に長くなると思うが、まあお付き合い下さい。あの時を機に気付いた、気付き出した事がもう少しあるのだ。それは筆者が論ずるに、度々(たびたび)名がでてくるある国、韓国(朝鮮半島)にまつわる話。
私や周りの人々がそうであった様に、恐らく多くの方々がそうだろうと思うのが、つい最近になるまで(あの強烈な反日愛国主義を含めて)この韓国についての事などほとんど知らなかっただろうという事。筆者にしても本当に、ここで言う「気付き出した」頃以前については正直、韓国のかの字のほどの記憶も見当たらない。別に厭味でも何でもなく。
掘り起こして何とか出て来るのが、教科書だ何だと問題になる強制連行だとか従軍慰安婦だとかのキナ臭い話(これらは須らく歪曲と捏造の所産だった)や、道徳だったと思われる学校授業の一環で見せられた「差別問題」のビデオだろうか。確か、着物に似たを服を着た女性が出ていた様な気がし、今思えばあれがチマチョゴリだったんだと分かる訳で、つまりは「同和・在日・外国人差別」にまつわる「教育」だったのだと。これに限らず学校の教材ビデオなんぞに興味を引くものなどほとんど無いので、私に限らず大半の者がロクに観てもいなかった様にも思う。
以前にも触れたが、この手の「差別」問題に言及するのは正直今でも気が重い。その時にも指摘した通り、「差別」なる言葉に妙な、オドロオドロしい、キナ臭い臭いが付き過ぎているためだ。だがまあ、色々な問題を内包しているし、民主主義社会における風通しの良い言論空間を作る為にはいちいちタブーをこしらえて見過ごしていてもいけない。腹を割って話してみようと思う。
当時の私の感覚と言えば、
「差別差別言わん方がええんちゃうの。大体そんなん知らんし、(差別)する気も無いし。好きな人は好き、嫌いな人は嫌い。そんだけやん」
といったものだった。と思う。
それでも親しい人に大人でも「ほんでもワイ(わし、私)はキレー(きらい)や。悪い事するやつ、ようけ(沢山)おるし」と言っていた人がいたのも覚えている。そんな会話も「ふ〜ん」くらいで終わった様な気がする。
家庭で思想や宗教教育をされた覚えもほとんどないのだが、この辺の感覚は家庭環境や個人的経験則に大きく影響されるとも思うがどうだろう。とにかくこれについての私の考え方は今でも大した変わりは無い。変わった点といえば、「知らなかった」のが「知った上で」に変化したという事くらいだろう。
だからという訳ではないが、私は進歩的知識人などと気取る左巻きのインテリの様に、「差別はいけない!」「友好友好!」と必要以上に無理矢理ベタついて『どうですか?私は良識的な人間でしょう?』といった顔を振りまく様な真似は死んでもしたくない。
総じてあの手合いは、『そんな自分が好き』なのだ。そうして実は、そうでない人を馬鹿にし、被差別対象の人を哀れみ、自分だけを『一つ高み』に置き差別している。本当に気持ちの悪い連中だと感じる。まあそれも、エセ人権をダシに一緒になって利益や利権を追い回しているうちに本人ももう何が何だか分からなくなっているのかも知れないが。
そういえば、私は偽善的なもの、嘘臭い誤摩化しや歪曲は昔からひどく嫌いだったか。
そりゃあ生きていれば色々目にする訳で、例えば『パチンコは賭博』で『風俗・援助交際は売春』、『消費者金融は高利貸し』で『自衛隊は軍隊』で。『九条って何?』(まあ、本気ですかと)。靖国神社参拝でギャーギャーギャーギャー『私的参拝ですか?公的参拝ですか?』って『あなたは2重人格ですか?』って聞いてるんですかと。それをさも「高尚な問題」を扱ってるかの様なシタリ顔の記者が、若造の目にすら鬱陶しく映ってね。どこからどう見ても『公明党は創価学会で宗教団体』で。『大学に行けば遊べる』って何ですか。『記憶にゴザイマセン』ってあんたナメてます?『社会党or共産党は平和の党です』ってもう、、、(笑
まあこういった事も、考え方が変わっていった要因の一つ、、多くである。
で、本筋に戻してゆくが、
(韓国について)少なからず認知度が上がったと思われるのが、ゴリ押し、無理矢理の2002年日韓共催サッカー・ワールドカップ、この辺りからではないかと思う。そして同期するかの様に無理矢理でっち上げられる偽装韓流ブーム。結果、見せかけ偽りの偽善的友好を見せ付けるこの誘導は少なからず「政府の意向方針」であったろうと私は思う。
この部分について別にまとめるつもりだったが先に少し書いてしまうが、それを受ける自己保身と利益にしか目がない無節操な組織・企業のNHK、そして電通。この両者ともが、減収から脱却する為にアジア、韓国でのビジネスをも模索している。追随するメディア。驚喜して飛びつき、無茶をしてまわる半島(韓国/北朝鮮)系の組織(主に民族団体や宗教団体)や企業。概ねこれが、ここ最近の、例えば偽装韓流ブームに代表される総体的日本文化圏の感覚、センスからは疑問符ばかりが付くムーブメントそのものや礼賛に対する「どこがイイの?」と言われる『何で韓国?』という流れの実体だろう。
(※まさに先陣を切ったNHK。暗躍する電通は、例えばヤラセで問題になった内閣府主催のタウンミーティング等をも請け負っている。バウネット・ジャパン〈戦争と女性への暴力・日本ネットワーク〉なる強烈異様な団体に関する番組制作に端を発した、朝日の恣意的歪曲報道「安倍・中川両氏の政治的圧力」なるとばっちりから、朝日vsNHKの泥仕合への本質的問題、根源たる影の忍び寄りが大問題であるにもかかわらず、焦点をずらすその対処法など諸々に見られる様、彼らの体質的問題点とは自己保身と利益、無節操さにこそあると筆者は見ている。ゆえに世間一部に言われる様な「思想的売国」ではなく、ケースバイケースよる『御用・売国の両輪ござれ』なのだ。偽装韓流ムーブメントに関して、追随するメディアについては最早いわずもがなだが、逸早くフジがスマップであぶれる某タレントを起用し、全編ハングルによる妙な番組を始めていたのも頷ける。ちなみに筆者が先稿にて指摘した「デスノート」の意味不明な韓国絡みも、該当局日テレをプレスリリース等少し調べれば即座に理解できる。「相互」を強調しながらの韓国市場への参入は、以降展開する諸々の分析と符合する。無論、これらはアジア、世界をも視野に入れた戦略の一つである。結果、例えばその電通の売上とは丁度その辺りから回復傾向にあり、新市場の開拓と共に顕著な伸び率を示すのがそう、「アジア市場」だ。)
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私は中高生の頃、受験や試験用に詰め込めたかどうかはともかくそのくらいで、まるで歴史や政治になど興味は無かった。だがいつしかこれらにも興味を持つ様になった。きっかけは何だったか、それは色々な要素があるゆえこれだとは断言できないが、環境や出来事により徐々に醸成されていった様にも感じる。実を言うと現在の様な考え方に至るまでは色々と変遷もあった。
私は右だの左だのそんな事はどうでも良く、大事なのは我が国日本を大切に思っているという事であり、文化や歴史を含め愛している。ゆえに妙な思想や宗教で郷土が汚されるのはしのびなく、ただそれを守りたいだけだ。総じて見る怪しげな動きは我々の国にも世界にも決して良い影響は与えないと確信している。まことの平和や多民族の共生、幸せは、決して薄汚い志の上には成り立たない。そう思う。
それを、というのは違うかも知れないが、例えばだが所謂ところの二元論的観点で言えば中道か中道保守、分かり易く言えば「真ん中か、真ん中やや右」に近いのかと思うが、少年の頃と言えば、まあこまっしゃくれた左よりな小僧だった様に思う。興味も左程なく、野球やロックバンドの方が遥かな関心事だった上、子供だから程度こそ知れているが、それこそ日教組が内心「(してやったり)」と喜びそうなものだったろう。
昨今に「お花畑」と形容される平和念仏的左翼思想とは、まさにこれがそのまま膨らんで大人になってしまったのでは、と思わざるを得ないほどに人の現実感が無く、概念だけがフワフワ宙に浮いている。若輩が言うのも何だが、自分に関して言えばそれも年輪を重ねるに変わってゆき、ポイント、ポイントで考えさせられる出来事が幾つかあったのも割と鮮明に覚えているものだ。
例えば一つ、歴史に関して言えば、司馬遼太郎先生の作品だった様な気がする。旧来の捉え方とはかなり離れた、こんな見方をする方もいるんだ、と感銘を受けた。氏は時に自分を分析して
さて、何の話だったか
その辺の変化をもたらした出来事などに関しては、随分前に書いたものがあるのでその稿に譲るとして、今稿の核心、先項で触れた地震にまつわる事象について少し書いておきたい。
私は関西出身である。
そう、つまり阪神淡路大震災は遠い他人事でない。
大好きな街、神戸をも襲ったあの震災のそれは悲惨なものだった。
一面に家屋が倒壊し、ガタガタの線、視点を引けば一帯にブルーシートが掛けられている風景を茫然と眺めた記憶は今も残っている。そのどこまでも続きそうな瓦礫の山々の下で、大切な命を無念にも落とされた方々が沢山おれらる事も忘れない。その当時、ある人はそのあまりの事態、そして平衡感覚をも狂わせそうな風景に訳が分からなくなって嘔吐したと言う程だったのだ。
それでも人々は立ち上がり、悲しみを乗り越えて街は復興した。
そんな非常事態で、本当に多くのボランティアや自衛隊の方々、被災者の方々が助け合い大切なものも得たという。大事なのは心だと。
そして、もう一方に忘れ得ない事がある。
当時、我が国は自社さ連立による社会党は村山内閣の時代だった。それが悲劇に輪をかけたという事実。
社会主義思想だか何だか知らぬが、彼らは己の思想が為にその存在を認めたくない、現存し、災害時の手だてや救助の力を持つ自衛隊を出し渋り、在日米軍の支援申請も拒否し、一般車両の通行など交通規制すら出来ず、何もかもが後手後手に回り、結果失う必要の無かった多くの人命を失い、被害を拡大させた。
この時私もはっきり知る事となる。
得体の知れぬ妙な思想や、口先ばかりの平和、観念に支配された絵に描いた餅の様な空理空論など何の役にも立たない。むしろ害を為すと。
多くの人々もそう思った様であり、この後社会党は瓦解し衰退の一途をたどる。
最近では、その名を変えてみた『社民党』は票を得たいがあまりに自らを指して「絶滅危惧種には保護を!」などと愚にもつかない馬鹿丸出しの呼びかけを辻元清美や福島瑞穂あたりがやっていたか。
愚かなものだ。
当時の内閣、村山、河野、加藤や、土井、野中や金丸が牛耳る体制、前後を宮沢、橋本とはさみ移行してもこの辺りが中心に位置する大して変わらないその体制とは今思ってもまさに混迷の極み、ほとんど自国日本や日本国民などどうでも良いという売国体制以外の何ものでもなかった。
震災のみならず、地下鉄サリン事件や警察庁長官狙撃事件、坂本弁護士一家殺害事件など数々の凶悪な破滅的テロをおこしたオーム真理教をもってしてなお、破防法(破壊活動防止法)の適用どころかカルト規制法すら制定させず握りつぶし、公平でない卑怯な仕業による圧力に折れ、有りもしない虐殺や軍による強制的官製売春を認める河野談話、村山談話を声明として出し、やれ謝罪だ賠償だと、感謝しないどころかその金が武器・ミサイル、他国へのODA(発展途上国に対する政府開発援助)に替わる様な特定国に(ODAを含め)国民の血税を撒き散らすなど、もう気違いじみている。外交は外交であり、先進国として発展途上国に対して援助するのもそれなりの義務であり、必要な事だ。だが、それが何に使われるのか、「感謝して」とは言わないまでも、その善意が伝わり、結果それが世界や地域の安定にもつながり我々にも還ってくるものなのか。そういった思慮などまるで無い結果的にむしろ害を為すものならば、、その巨額の資金があれば例えば一体どのくらいの被災者が助かるか。とそうも思わずにはいられない。
「Japan as NO.1」とすら言われた時代から、バブル崩壊も相まって「失われた10年」へ
私から言わせれば、こんなイカレた体制、路線では10年でも20年でも失われる。
「どうせ誰がなっても同じ」
それは違う。そんな事は絶対にない。
総理大臣でも議員でも、知事でも市長でも、校長でも社長でも、優れた人物がリーダーになれば必ず変わる事がある。それは歴史を見ても明かであり、確かに現状の民主主義とは至極面倒臭いモノに違いないが、それは皆がその義務と権利を負っている『変えられる』ものなのだ。以前にも述べたが、
結局世を変えるのは、たった一人の優秀な人間でなく、一人一人の、皆の心(志)だと私は信じている。
余計な話かも知れぬが、私はある地方自治体の長を少しばかり知っている。氏は阪神淡路大震災の当時、市民や街を案じ、自身は着の身着のままで飛び出して被害状況確認や対策に走り回っていた。政治家たるもの、必要なのは各能力もさることながら、他を案ずる無私な志なのだと、今思い出してもまた教えられる気がするのだ。
私は右だの左だのそんな事はどうでも良く、大事なのは我が国日本を大切に思っているという事であり、文化や歴史を含め愛している。ゆえに妙な思想や宗教で郷土が汚されるのはしのびなく、ただそれを守りたいだけだ。総じて見る怪しげな動きは我々の国にも世界にも決して良い影響は与えないと確信している。まことの平和や多民族の共生、幸せは、決して薄汚い志の上には成り立たない。そう思う。
それを、というのは違うかも知れないが、例えばだが所謂ところの二元論的観点で言えば中道か中道保守、分かり易く言えば「真ん中か、真ん中やや右」に近いのかと思うが、少年の頃と言えば、まあこまっしゃくれた左よりな小僧だった様に思う。興味も左程なく、野球やロックバンドの方が遥かな関心事だった上、子供だから程度こそ知れているが、それこそ日教組が内心「(してやったり)」と喜びそうなものだったろう。
昨今に「お花畑」と形容される平和念仏的左翼思想とは、まさにこれがそのまま膨らんで大人になってしまったのでは、と思わざるを得ないほどに人の現実感が無く、概念だけがフワフワ宙に浮いている。若輩が言うのも何だが、自分に関して言えばそれも年輪を重ねるに変わってゆき、ポイント、ポイントで考えさせられる出来事が幾つかあったのも割と鮮明に覚えているものだ。
例えば一つ、歴史に関して言えば、司馬遼太郎先生の作品だった様な気がする。旧来の捉え方とはかなり離れた、こんな見方をする方もいるんだ、と感銘を受けた。氏は時に自分を分析して
「私が歴史を見るのは、医者が患者を診察する様なもの。分析によるもので、いわゆる時代小説でもなく歴史書でもなく、あまり面白いものでは無いかも知れない」と言われていた様に記憶している。それは謙遜されているのか、他との差別化をはかり自分を高みに置こうとされているのか、などとの諸説あるのか知らぬが、それも私にとってはどうでも良い。既存の固定概念ばかりにとらわれるな、と教わった気がするし、有益であり単純に面白かったものだ。ただその先生の分析について一つ言うのならば、いわゆる時代小説とは趣きが違うと感じたのは確かだ。だが、それは別に感情の無い分析論とも明らかに違い、時に声を出して笑い、時に涙も流れた文には確かに魂がこもっているはずである。ものによって私は先生と捉え方が違う所も少なからずあるが、多くを教わったと思う。それが大事なのだと感じている。
さて、何の話だったか
その辺の変化をもたらした出来事などに関しては、随分前に書いたものがあるのでその稿に譲るとして、今稿の核心、先項で触れた地震にまつわる事象について少し書いておきたい。
私は関西出身である。
そう、つまり阪神淡路大震災は遠い他人事でない。
大好きな街、神戸をも襲ったあの震災のそれは悲惨なものだった。
一面に家屋が倒壊し、ガタガタの線、視点を引けば一帯にブルーシートが掛けられている風景を茫然と眺めた記憶は今も残っている。そのどこまでも続きそうな瓦礫の山々の下で、大切な命を無念にも落とされた方々が沢山おれらる事も忘れない。その当時、ある人はそのあまりの事態、そして平衡感覚をも狂わせそうな風景に訳が分からなくなって嘔吐したと言う程だったのだ。
それでも人々は立ち上がり、悲しみを乗り越えて街は復興した。
そんな非常事態で、本当に多くのボランティアや自衛隊の方々、被災者の方々が助け合い大切なものも得たという。大事なのは心だと。
そして、もう一方に忘れ得ない事がある。
当時、我が国は自社さ連立による社会党は村山内閣の時代だった。それが悲劇に輪をかけたという事実。
社会主義思想だか何だか知らぬが、彼らは己の思想が為にその存在を認めたくない、現存し、災害時の手だてや救助の力を持つ自衛隊を出し渋り、在日米軍の支援申請も拒否し、一般車両の通行など交通規制すら出来ず、何もかもが後手後手に回り、結果失う必要の無かった多くの人命を失い、被害を拡大させた。
この時私もはっきり知る事となる。
得体の知れぬ妙な思想や、口先ばかりの平和、観念に支配された絵に描いた餅の様な空理空論など何の役にも立たない。むしろ害を為すと。
多くの人々もそう思った様であり、この後社会党は瓦解し衰退の一途をたどる。
最近では、その名を変えてみた『社民党』は票を得たいがあまりに自らを指して「絶滅危惧種には保護を!」などと愚にもつかない馬鹿丸出しの呼びかけを辻元清美や福島瑞穂あたりがやっていたか。
愚かなものだ。
当時の内閣、村山、河野、加藤や、土井、野中や金丸が牛耳る体制、前後を宮沢、橋本とはさみ移行してもこの辺りが中心に位置する大して変わらないその体制とは今思ってもまさに混迷の極み、ほとんど自国日本や日本国民などどうでも良いという売国体制以外の何ものでもなかった。
震災のみならず、地下鉄サリン事件や警察庁長官狙撃事件、坂本弁護士一家殺害事件など数々の凶悪な破滅的テロをおこしたオーム真理教をもってしてなお、破防法(破壊活動防止法)の適用どころかカルト規制法すら制定させず握りつぶし、公平でない卑怯な仕業による圧力に折れ、有りもしない虐殺や軍による強制的官製売春を認める河野談話、村山談話を声明として出し、やれ謝罪だ賠償だと、感謝しないどころかその金が武器・ミサイル、他国へのODA(発展途上国に対する政府開発援助)に替わる様な特定国に(ODAを含め)国民の血税を撒き散らすなど、もう気違いじみている。外交は外交であり、先進国として発展途上国に対して援助するのもそれなりの義務であり、必要な事だ。だが、それが何に使われるのか、「感謝して」とは言わないまでも、その善意が伝わり、結果それが世界や地域の安定にもつながり我々にも還ってくるものなのか。そういった思慮などまるで無い結果的にむしろ害を為すものならば、、その巨額の資金があれば例えば一体どのくらいの被災者が助かるか。とそうも思わずにはいられない。
「Japan as NO.1」とすら言われた時代から、バブル崩壊も相まって「失われた10年」へ
私から言わせれば、こんなイカレた体制、路線では10年でも20年でも失われる。
「どうせ誰がなっても同じ」
それは違う。そんな事は絶対にない。
総理大臣でも議員でも、知事でも市長でも、校長でも社長でも、優れた人物がリーダーになれば必ず変わる事がある。それは歴史を見ても明かであり、確かに現状の民主主義とは至極面倒臭いモノに違いないが、それは皆がその義務と権利を負っている『変えられる』ものなのだ。以前にも述べたが、
結局世を変えるのは、たった一人の優秀な人間でなく、一人一人の、皆の心(志)だと私は信じている。
余計な話かも知れぬが、私はある地方自治体の長を少しばかり知っている。氏は阪神淡路大震災の当時、市民や街を案じ、自身は着の身着のままで飛び出して被害状況確認や対策に走り回っていた。政治家たるもの、必要なのは各能力もさることながら、他を案ずる無私な志なのだと、今思い出してもまた教えられる気がするのだ。
能登半島で地震が発生した。震度6強という大きなもので、死者、負傷者、家屋全半壊等多くの被害を出している模様。
被災地域の方々には真にお見舞い申し上げますと共に、復興へ向けて頑張って下さいとお伝えしたい。助け合い、ボランティアのあり方にも色々と問題はあるかも知れないが、被災地域の方々、並びに善意有るボランティアの方々を私も陰ながら応援しています。
被災地域の方々には真にお見舞い申し上げますと共に、復興へ向けて頑張って下さいとお伝えしたい。助け合い、ボランティアのあり方にも色々と問題はあるかも知れないが、被災地域の方々、並びに善意有るボランティアの方々を私も陰ながら応援しています。
先に指摘してきた諸々の事が現実に進みかけている。
2月13日、「茶番」六カ国協議で共同声明が採択され閉会。北の核開発問題に対しての、廃絶へ向けた『履行(本当に、必ず行う事)による』段階的支援と、日朝、米朝の国交正常化に向けたテーブルの用意などが盛り込まれたそうだ。北の寧辺にある核施設の停止・封印により重油約20万トン相当、以降段階的に最大100万トン相当の支援が盛り込まれただとか。米朝協議に至っては、先に行われたベルリンでの米朝協議で「何かしらの取引」があった事を十分に臭わせる今回の内容、それは北朝鮮に対する『テロ支援国家指定の解除』や『金融制裁解除』を議題に含む。
さて、これらが何を示すか。
ちなみに、当の北朝鮮は「核施設の『一時停止』で油100万トン、の交渉成果を得たぞ!」とやっているが?
当たり前だが、我々や声明が求めているのは『核兵器や核開発関連施設の再稼働不能な完全なる無力化』であり『臨時・一時停止』などであるはずもない。こんなもので何が決まるやら。
茶番である。
まあ、交渉テーブルに引きずり出したのならばそれはそれでやれば良いが。
結局あって、既に「用済み」と聞く寧辺の施設廃棄で、ウマウマと北が20万トン相当の支援を得、またゴネ始めて声明の有名無実化くらいのものだろう。今までの行いを見ておいて、これで北が「全ての核兵器・核開発関連施設を無力化廃棄し、それらの申告や査察を受け入れ、拉致問題の解決に乗り出す」と即座に本気で信じられるのならば、それは超絶の楽観主義と言わざるを得ない。
そもそも、自身の体制的不備や政治的無能で国家、国民を激貧奈落の底に突き落としておいて、「本当に済みませんが、この窮状を打開する為、国民を助ける為、皆さん援助してくれませんか」と言うならまだしも、激貧の国民を尻目に核開発に勤しみ「援助くれないなら巻き添え」と爆弾を抱えるこの国に援助を与える事、それ自体が決定的な間違いだ。それでも『もし、本当に全ての核兵器や開発の放棄、及び世界各国の拉致被害者の帰国を絶対に約束するのならば、援助もやぶさかではないが』、どっちにしろこれでは結局駄々っ子のゴネ得ではないか。
それは人権や国際社会の目を気にする近代における悪しき特徴で、手榴弾片手に「お金くれないとみんな巻き添え」とゴネる子供にバズーカ砲抱えた大人が脅される構図である。言うなれば私がよく表現する「逆差別」も一部こういった性質を含んでいる。
「仕方無い」などと何かを与え、甘やかす事は完璧に『ゴネれば何とかなる』という間違ったメッセージを送る事になるのがまだ分からないのか。もうクリントン政権時にやって十分分かっただろうに。
この声明が、「当座の誤摩化し」なのか、「とにかくテーブルを用意して中東へ向かいたがる米国の思惑や、その隙を窺いたいロシアやチャイナの思惑」によるものなのか。恐らくそのどちらの性質も併せた、下品な『茶番』に違いないだろう。
だから、
米国は、イランがイラクに武器を密輸しているだとか、サドル師(イスラム教シーア派反米指導者)がイランに逃げ込んだ、だとか『ほら!イラン、悪いだろ!?』などとセッセとやっている。
ロシアは対米批判を強め、プーチンは、特に産油国中心に『中東』を歴訪中だ。
チャイナは既に指摘してきた通りである。
これらが何を意味するのか。
それは先の原稿で指摘した不穏を十分に思わせる。
中東大戦の道を、、、
それにしても米国はどんだけ馬鹿になってきているのか。その道は先に進んでも待っているのは泥沼だけだというのに。先述した様に、これらは少なくともその破滅的な方向へ進む時に通る道に必ずある看板である。
米国よ、それは間違いだ。
表現方法を変えれば、(衰退も)平地を見付けて胴体着陸し、ガリガリと多少身を削るも多くの被害を出さずに済む不時着と、ドカーンで終いの墜落とどちらが良いのか。そんなものは自明の理だろう。
それとも米国は中東を含めたあらゆる方向・世界的覇権から手を引く「究極のソフトランディング」を模索しているのか。
あのアメリカが?まさか。その可能性はゼロでなくとも限りなく低い。
駄目だ、本当に米国はどんどんと頭が悪くなってきている。
日本よ、本当にあそこばかりを当てにしていたら、どんどんと首が回らなくなるぞ。我が国よ。
しかしそれでも、我が国はこの動き出している『破滅への歯車』を止める努力を辞めてはならない。こんな『茶番である6カ国会議』などよりも、あらゆる方面での国際社会との連携を強化すべきである。
中東大戦など起させぬように。
我が国の政治家達もそれを分からぬ馬鹿ばかりでないと強く信じる。
きっと世界の政治家達も同様であると、そう信じる。
信じたい。
2月13日、「茶番」六カ国協議で共同声明が採択され閉会。北の核開発問題に対しての、廃絶へ向けた『履行(本当に、必ず行う事)による』段階的支援と、日朝、米朝の国交正常化に向けたテーブルの用意などが盛り込まれたそうだ。北の寧辺にある核施設の停止・封印により重油約20万トン相当、以降段階的に最大100万トン相当の支援が盛り込まれただとか。米朝協議に至っては、先に行われたベルリンでの米朝協議で「何かしらの取引」があった事を十分に臭わせる今回の内容、それは北朝鮮に対する『テロ支援国家指定の解除』や『金融制裁解除』を議題に含む。
さて、これらが何を示すか。
ちなみに、当の北朝鮮は「核施設の『一時停止』で油100万トン、の交渉成果を得たぞ!」とやっているが?
当たり前だが、我々や声明が求めているのは『核兵器や核開発関連施設の再稼働不能な完全なる無力化』であり『臨時・一時停止』などであるはずもない。こんなもので何が決まるやら。
茶番である。
まあ、交渉テーブルに引きずり出したのならばそれはそれでやれば良いが。
結局あって、既に「用済み」と聞く寧辺の施設廃棄で、ウマウマと北が20万トン相当の支援を得、またゴネ始めて声明の有名無実化くらいのものだろう。今までの行いを見ておいて、これで北が「全ての核兵器・核開発関連施設を無力化廃棄し、それらの申告や査察を受け入れ、拉致問題の解決に乗り出す」と即座に本気で信じられるのならば、それは超絶の楽観主義と言わざるを得ない。
そもそも、自身の体制的不備や政治的無能で国家、国民を激貧奈落の底に突き落としておいて、「本当に済みませんが、この窮状を打開する為、国民を助ける為、皆さん援助してくれませんか」と言うならまだしも、激貧の国民を尻目に核開発に勤しみ「援助くれないなら巻き添え」と爆弾を抱えるこの国に援助を与える事、それ自体が決定的な間違いだ。それでも『もし、本当に全ての核兵器や開発の放棄、及び世界各国の拉致被害者の帰国を絶対に約束するのならば、援助もやぶさかではないが』、どっちにしろこれでは結局駄々っ子のゴネ得ではないか。
それは人権や国際社会の目を気にする近代における悪しき特徴で、手榴弾片手に「お金くれないとみんな巻き添え」とゴネる子供にバズーカ砲抱えた大人が脅される構図である。言うなれば私がよく表現する「逆差別」も一部こういった性質を含んでいる。
「仕方無い」などと何かを与え、甘やかす事は完璧に『ゴネれば何とかなる』という間違ったメッセージを送る事になるのがまだ分からないのか。もうクリントン政権時にやって十分分かっただろうに。
この声明が、「当座の誤摩化し」なのか、「とにかくテーブルを用意して中東へ向かいたがる米国の思惑や、その隙を窺いたいロシアやチャイナの思惑」によるものなのか。恐らくそのどちらの性質も併せた、下品な『茶番』に違いないだろう。
だから、
米国は、イランがイラクに武器を密輸しているだとか、サドル師(イスラム教シーア派反米指導者)がイランに逃げ込んだ、だとか『ほら!イラン、悪いだろ!?』などとセッセとやっている。
ロシアは対米批判を強め、プーチンは、特に産油国中心に『中東』を歴訪中だ。
チャイナは既に指摘してきた通りである。
これらが何を意味するのか。
それは先の原稿で指摘した不穏を十分に思わせる。
中東大戦の道を、、、
それにしても米国はどんだけ馬鹿になってきているのか。その道は先に進んでも待っているのは泥沼だけだというのに。先述した様に、これらは少なくともその破滅的な方向へ進む時に通る道に必ずある看板である。
米国よ、それは間違いだ。
表現方法を変えれば、(衰退も)平地を見付けて胴体着陸し、ガリガリと多少身を削るも多くの被害を出さずに済む不時着と、ドカーンで終いの墜落とどちらが良いのか。そんなものは自明の理だろう。
それとも米国は中東を含めたあらゆる方向・世界的覇権から手を引く「究極のソフトランディング」を模索しているのか。
あのアメリカが?まさか。その可能性はゼロでなくとも限りなく低い。
駄目だ、本当に米国はどんどんと頭が悪くなってきている。
日本よ、本当にあそこばかりを当てにしていたら、どんどんと首が回らなくなるぞ。我が国よ。
しかしそれでも、我が国はこの動き出している『破滅への歯車』を止める努力を辞めてはならない。こんな『茶番である6カ国会議』などよりも、あらゆる方面での国際社会との連携を強化すべきである。
中東大戦など起させぬように。
我が国の政治家達もそれを分からぬ馬鹿ばかりでないと強く信じる。
きっと世界の政治家達も同様であると、そう信じる。
信じたい。
迫り来る中東大戦。そしてその隙を窺う勢力。そして「核」。我が国日本が取るべき行動とは。
テロの続発、米軍増派、掃討戦といった様にますますイラクが泥沼に陥り、日に日に混迷を極め反米感情が高ぶりハチ切れそうな中東では米国とイランが更に対立を深めている。
既に日本の(一般会計)国家予算を超える96兆円ともいう莫大な戦費を数えている米国はイラクでも失敗した今、もしイランに乗り出せば決定的に疲弊し、以前指摘した通り、そして凋落する。(一応)日本の同盟国である米国がこの愚かな未来へとフラフラ歩いて行く事は現実的に見て我が国にとっても国益を損なう面が非常に多い。実質中東イラクそしてイランに張付けられ、吸い寄せられて行く米国は、このままその本質的間違いにも気付かないまま埋没してゆけばそのあまり、恐らく我が国の直結問題でもある北を始めとした朝鮮半島、大陸の事など最早どうでもよくなり、つくづく問題の吹き出るこの東アジアの迷惑国家らとですらことごとく妥協的な取り込み外交を始めかねない。(実は北の背後にある)イランとの怪しげな取引を止めてくれれば、何とかするよ、といった様に。その手始めとして北への金融制裁解除、6カ国会議などでの拉致問題に対する消極的取り組みなどが即座に浮かんでくる。「拉致も日朝でやってよ」と言いかねない。
そうして米国はまさに中東へ埋没してゆく。
そしてこれは先に挙げた点のみならず、油、原油ストップという強烈な打撃をもたらすばかりでなく、世界を不穏なものへと誘う。そう、破滅的な中東大戦へ。
そしてその紐付きである米国を、文明、宗教、そして油利権の泥沼へと導きたがっているのはイスラエルと米国ユダヤ資本であるに違いない。もし米国より先にイスラエルがその口火を切っても同じだ。この悪夢こそがその現実味を帯びてくる。
日本は決してこれをやらせてはならない。
その為にはその意思を強く、例えば米国には、
『もし、愚かにもイラン戦争などやるのならば、その時日本は決してこれに賛成などしないだろう。これに対しては我が国からは一円玉一枚すらの支援も望めなく、自衛隊派遣などもっての他である。』
とこう分からせておかねばならない。友だと言うのならば、誤った方向へ向かおうとするのを止めるという意味でも強く。
その上で、日本が東アジアのみならず「平和」を望むべき平和国家と言うのならば、このキナ臭さを取り払う働きを我が国が考えてもしかるべきなのだ。例えば、イランにも仲介へ向かうべきだろう。EUヨーロッパ諸国との連携も色々な意味で非常に重要になってくる。破滅的な中東大戦へとどちらもが向かわない様に。
であるから、
なんやら発言がどうだと、愚にもつかない阿呆な議論で醜態を晒している時ではない。山積する難事を前に、下らぬ問題で『審議拒否』などといった『職務放棄』を平然と行う連中の底の浅さこそが我が国にとってはまさに破滅的だ。
それにしても、
以前にも予測、指摘した様に米国の凋落はもはや確実の様に思えてくる。
例えば今回の提言でも(私が言う)ポイントとは、イラン戦争を始めて一気に墜落してゆくか、そうはせずジリジリと落ちてゆくかの違い。我が国とっても重要な事なのだ。重複を恐れず書くが、先に挙げた様にイラン開戦と共に中東大戦へと向かった場合、米国は世界中に駐屯させている軍、国力をこれへ向かわせざるを得ない。東アジアも同様だ。そうなれば確実にチャイナ、北らに対する外交も妥協的解決を模索してゆく事となる。それどころではないのだから。そうして米国は完全に墜ちてゆく。
そうすると(アジアの場合)、その急激な米国失墜を見ながら、好機到来とばかりにチャイナが間違いなくアジアの覇権を狙ってくる。いや、既に狙っている。以前指摘した通り、その為のアフリカ、東南アジア諸国に対する無節操な投資や援助攻撃があり、人的大国であるチャイナお得意の移民系浸食(東南アジアなどではチャイナ系政治家らの明らかなチャイナ方向への誘導がある。タイのクーデターでその地位を追われ、世界を放浪するタクシン前首相などがその最たるもの)や華僑のお家芸商売により現実に東南アジア諸国でも影響力を確実に増大させつつある。嫌われながらも。
この様に急激なこの変化で台頭を窺うのは間違いなくチャイナとロシアなのだ。
その時、アジアや世界における日本の影響力とは確かに依然強いものの、反日教の平和念仏やタブー教義で著しくバランスを欠いている現在の外交力や国際的な戦略感覚では、この事象は間違いなくマズい。
現閣僚や政治家にもこの「もしも」に感付いている人物もいるようだから、ゆえに防衛省の庁からの格上げや憲法改正を急ぐ背景があるのだろう。久間防衛相や麻生外相の対米批判は、「あのね、アメリカはそんなに当てにならないよ」と注意しているのだ。日本国内の我々に対して。
それにしても、アジア、ヨーロッパなど各方面でのロシア、チャイナの台頭は、想像して貰えば分かると思うが、きっとロクなものではない。政情不安定で社会体制も教育も実に歪(イビツ)、倫理観の乏しいこれらの勢力がドッと押し寄せて来るのを想像すると、ちょっとこれはたまらない。ゆえにだ、既にその影響が増大しつつある東南アジア諸国などアジア各国からも日本に期待する声や思いがある。だがそれももし、日本が米国の中東大戦という泥舟に乗る様な愚をおかした場合、これらの国々ばかりでなく中東もが、元々良い中東の対日感情の低下という側面や現実的な利害からもチャイナとの関係強化を図る事が十分予想されるだろう。
以上の事からも、日本は米国の愚かなイラン開戦など絶対やらせてはならない。
我が国としてはしたたかに、だが平和的に、(米国の)凋落にしても少なくともジリジリと落ちる方を取らせ、現実的に朝鮮半島やチャイナをも牽制させながら、日本はその対策、準備を性急に進めて行かねばならぬ。はっきり言って、現状では穴だらけなのだ。実害だらけの反日教で悶々と内にこもり、非現実的な平和念仏を唱えながら考える事を止めている場合ではない。
パワーの観点からも「日本は非武装で。攻め込まれたら皆で死ねば良い」などと無茶を言う者は頼むから自分一人で死んでくれ。妙な思想で周りまで巻き込むな。すぐそこに迫る危機にしても、もし先の様な状態に陥った場合、チャイナ系列の北は、低質とは言え『核』を持つ事になる。北に籠絡(ロウラク)翻弄され、親北親中路線で共産化へと向かう南、韓国もチャイナ圏へ取り込まれてしまう。そうなった時、周りが核を持った怪しげな勢力だらけになるのだ。果たして今の日本人や、国籍など関係無い、日本を愛し共に生きる人々はこれに気付いてるのか。
私は、核を議論する事も数多な議論の一つとしてあって当然だと考える。
だが、その上で、『日本だけでもあの様な薄汚い悪魔兵器を持つべきでない』と考える。
それを必要とし可能にするのは現状、経済力や技術力をバックボーンにした平和的で巧みな外交力と、実はその底辺にあるべき実質的軍事力の『備え』だ。その為には憲法改正と防衛省の強化など必須中の必須であり、閉鎖的でタブーだらけの言論空間を是正し、思考停止状態を取り払わなければならない。
そして、『薄汚い核兵器』などには日本が誇る技術力を結集して『これを無力化する通常兵器』を開発すべきだと提言する。それが現在言われる「核迎撃ミサイル」であり、日本が取るべき方法なのだ。核など持っても無意味な現実世界を作ってしまえば、核保持や核開発に固執する世界を変える事が出来る。現状、核軍縮最高の光を放つカードだろう。これは核爆弾を憎む日本こそが先頭を切って取り組むべき、空理空論とならない現実にも即(ソク)した方法に違いない。にもかかわらずこれすらも反対する連中や勢力は、もはや正常な判断の出来なくなった反日(という)麻薬の中毒患者か、日本など滅びれば良いという反日教の信奉者か、幼稚な平和念仏の思考停止信者であろう。こんなのに何時までもまとわり付かれ、足を引っ張られている場合ではない。
これも気付いて欲しいのだ。
日本とは自国を守りながら、『核という悪魔』を世界から追い払う事のできる可能性を持った国である。
そしてもしこれが実現すれば『核という悪魔』が拡散する世界は激変する。
重ねて言うがその為にも、現実的なパワーバランス的側面からも日本は米国に、中東大戦の誘発を呼び、結果世界をも不安に落し入れるイラン開戦など絶対にやらせてはならない。
そして、後方で述べた点は、どちらであろうとやらねばならぬ事柄。であるならば早ければ早い方が良い。
これらは一人でも多くの方に知って欲しい、考えて欲しい事なのだ。
気付いて欲しい。もう転換期が目の前に来ている。
テロの続発、米軍増派、掃討戦といった様にますますイラクが泥沼に陥り、日に日に混迷を極め反米感情が高ぶりハチ切れそうな中東では米国とイランが更に対立を深めている。
既に日本の(一般会計)国家予算を超える96兆円ともいう莫大な戦費を数えている米国はイラクでも失敗した今、もしイランに乗り出せば決定的に疲弊し、以前指摘した通り、そして凋落する。(一応)日本の同盟国である米国がこの愚かな未来へとフラフラ歩いて行く事は現実的に見て我が国にとっても国益を損なう面が非常に多い。実質中東イラクそしてイランに張付けられ、吸い寄せられて行く米国は、このままその本質的間違いにも気付かないまま埋没してゆけばそのあまり、恐らく我が国の直結問題でもある北を始めとした朝鮮半島、大陸の事など最早どうでもよくなり、つくづく問題の吹き出るこの東アジアの迷惑国家らとですらことごとく妥協的な取り込み外交を始めかねない。(実は北の背後にある)イランとの怪しげな取引を止めてくれれば、何とかするよ、といった様に。その手始めとして北への金融制裁解除、6カ国会議などでの拉致問題に対する消極的取り組みなどが即座に浮かんでくる。「拉致も日朝でやってよ」と言いかねない。
そうして米国はまさに中東へ埋没してゆく。
そしてこれは先に挙げた点のみならず、油、原油ストップという強烈な打撃をもたらすばかりでなく、世界を不穏なものへと誘う。そう、破滅的な中東大戦へ。
そしてその紐付きである米国を、文明、宗教、そして油利権の泥沼へと導きたがっているのはイスラエルと米国ユダヤ資本であるに違いない。もし米国より先にイスラエルがその口火を切っても同じだ。この悪夢こそがその現実味を帯びてくる。
日本は決してこれをやらせてはならない。
その為にはその意思を強く、例えば米国には、
『もし、愚かにもイラン戦争などやるのならば、その時日本は決してこれに賛成などしないだろう。これに対しては我が国からは一円玉一枚すらの支援も望めなく、自衛隊派遣などもっての他である。』
とこう分からせておかねばならない。友だと言うのならば、誤った方向へ向かおうとするのを止めるという意味でも強く。
その上で、日本が東アジアのみならず「平和」を望むべき平和国家と言うのならば、このキナ臭さを取り払う働きを我が国が考えてもしかるべきなのだ。例えば、イランにも仲介へ向かうべきだろう。EUヨーロッパ諸国との連携も色々な意味で非常に重要になってくる。破滅的な中東大戦へとどちらもが向かわない様に。
であるから、
なんやら発言がどうだと、愚にもつかない阿呆な議論で醜態を晒している時ではない。山積する難事を前に、下らぬ問題で『審議拒否』などといった『職務放棄』を平然と行う連中の底の浅さこそが我が国にとってはまさに破滅的だ。
それにしても、
以前にも予測、指摘した様に米国の凋落はもはや確実の様に思えてくる。
例えば今回の提言でも(私が言う)ポイントとは、イラン戦争を始めて一気に墜落してゆくか、そうはせずジリジリと落ちてゆくかの違い。我が国とっても重要な事なのだ。重複を恐れず書くが、先に挙げた様にイラン開戦と共に中東大戦へと向かった場合、米国は世界中に駐屯させている軍、国力をこれへ向かわせざるを得ない。東アジアも同様だ。そうなれば確実にチャイナ、北らに対する外交も妥協的解決を模索してゆく事となる。それどころではないのだから。そうして米国は完全に墜ちてゆく。
そうすると(アジアの場合)、その急激な米国失墜を見ながら、好機到来とばかりにチャイナが間違いなくアジアの覇権を狙ってくる。いや、既に狙っている。以前指摘した通り、その為のアフリカ、東南アジア諸国に対する無節操な投資や援助攻撃があり、人的大国であるチャイナお得意の移民系浸食(東南アジアなどではチャイナ系政治家らの明らかなチャイナ方向への誘導がある。タイのクーデターでその地位を追われ、世界を放浪するタクシン前首相などがその最たるもの)や華僑のお家芸商売により現実に東南アジア諸国でも影響力を確実に増大させつつある。嫌われながらも。
この様に急激なこの変化で台頭を窺うのは間違いなくチャイナとロシアなのだ。
その時、アジアや世界における日本の影響力とは確かに依然強いものの、反日教の平和念仏やタブー教義で著しくバランスを欠いている現在の外交力や国際的な戦略感覚では、この事象は間違いなくマズい。
現閣僚や政治家にもこの「もしも」に感付いている人物もいるようだから、ゆえに防衛省の庁からの格上げや憲法改正を急ぐ背景があるのだろう。久間防衛相や麻生外相の対米批判は、「あのね、アメリカはそんなに当てにならないよ」と注意しているのだ。日本国内の我々に対して。
それにしても、アジア、ヨーロッパなど各方面でのロシア、チャイナの台頭は、想像して貰えば分かると思うが、きっとロクなものではない。政情不安定で社会体制も教育も実に歪(イビツ)、倫理観の乏しいこれらの勢力がドッと押し寄せて来るのを想像すると、ちょっとこれはたまらない。ゆえにだ、既にその影響が増大しつつある東南アジア諸国などアジア各国からも日本に期待する声や思いがある。だがそれももし、日本が米国の中東大戦という泥舟に乗る様な愚をおかした場合、これらの国々ばかりでなく中東もが、元々良い中東の対日感情の低下という側面や現実的な利害からもチャイナとの関係強化を図る事が十分予想されるだろう。
以上の事からも、日本は米国の愚かなイラン開戦など絶対やらせてはならない。
我が国としてはしたたかに、だが平和的に、(米国の)凋落にしても少なくともジリジリと落ちる方を取らせ、現実的に朝鮮半島やチャイナをも牽制させながら、日本はその対策、準備を性急に進めて行かねばならぬ。はっきり言って、現状では穴だらけなのだ。実害だらけの反日教で悶々と内にこもり、非現実的な平和念仏を唱えながら考える事を止めている場合ではない。
パワーの観点からも「日本は非武装で。攻め込まれたら皆で死ねば良い」などと無茶を言う者は頼むから自分一人で死んでくれ。妙な思想で周りまで巻き込むな。すぐそこに迫る危機にしても、もし先の様な状態に陥った場合、チャイナ系列の北は、低質とは言え『核』を持つ事になる。北に籠絡(ロウラク)翻弄され、親北親中路線で共産化へと向かう南、韓国もチャイナ圏へ取り込まれてしまう。そうなった時、周りが核を持った怪しげな勢力だらけになるのだ。果たして今の日本人や、国籍など関係無い、日本を愛し共に生きる人々はこれに気付いてるのか。
私は、核を議論する事も数多な議論の一つとしてあって当然だと考える。
だが、その上で、『日本だけでもあの様な薄汚い悪魔兵器を持つべきでない』と考える。
それを必要とし可能にするのは現状、経済力や技術力をバックボーンにした平和的で巧みな外交力と、実はその底辺にあるべき実質的軍事力の『備え』だ。その為には憲法改正と防衛省の強化など必須中の必須であり、閉鎖的でタブーだらけの言論空間を是正し、思考停止状態を取り払わなければならない。
そして、『薄汚い核兵器』などには日本が誇る技術力を結集して『これを無力化する通常兵器』を開発すべきだと提言する。それが現在言われる「核迎撃ミサイル」であり、日本が取るべき方法なのだ。核など持っても無意味な現実世界を作ってしまえば、核保持や核開発に固執する世界を変える事が出来る。現状、核軍縮最高の光を放つカードだろう。これは核爆弾を憎む日本こそが先頭を切って取り組むべき、空理空論とならない現実にも即(ソク)した方法に違いない。にもかかわらずこれすらも反対する連中や勢力は、もはや正常な判断の出来なくなった反日(という)麻薬の中毒患者か、日本など滅びれば良いという反日教の信奉者か、幼稚な平和念仏の思考停止信者であろう。こんなのに何時までもまとわり付かれ、足を引っ張られている場合ではない。
これも気付いて欲しいのだ。
日本とは自国を守りながら、『核という悪魔』を世界から追い払う事のできる可能性を持った国である。
そしてもしこれが実現すれば『核という悪魔』が拡散する世界は激変する。
重ねて言うがその為にも、現実的なパワーバランス的側面からも日本は米国に、中東大戦の誘発を呼び、結果世界をも不安に落し入れるイラン開戦など絶対にやらせてはならない。
そして、後方で述べた点は、どちらであろうとやらねばならぬ事柄。であるならば早ければ早い方が良い。
これらは一人でも多くの方に知って欲しい、考えて欲しい事なのだ。
気付いて欲しい。もう転換期が目の前に来ている。