(※実はこの項目も随分前に書いていた、用意していたものなので、多少前後の齟齬があるかも知れないが悪しからず。)
大宿題の一つである社会保障費については、保険(徴収)方式という形で、少子高齢化という事象を踏まえた保険形態・現状認識としての問題点、未納問題という致命的な問題点、そういった破綻状態をふまえ、このままダラダラと負の加速度がついた問題を放置するのは絶対によろしく無い。財源徴収のロス、未納には方式そのものへの不信や社保庁の悪辣な実態露呈による憤怒があり、このままでは本来あるべき財源確保のロスと納入者未納者の不公平や、後にそれを補填するインセンティブを考える時にもより大きな納入差額が懸案となる、それらの負の加速度が付いている。
以前から何度も指摘しているが、現在の少子化問題にしても(これは結局、国民総生産にも影響するよね)、例えば景気の伸び悩み、消費冷却、貯蓄過剰(市場の停滞)にしても、それらの根底には何が潜んでいるかと言えば、将来不安なのである。世間でよくいう所のセーフティネット。つまりは結局、「この将来、もしちょっと何かがあった時(ex 怪我・病気した、事業に失敗した、リストラされた、失業した。ローンがあるのに、子供が3人も4人もいるのに、、、そもそも老後も本当に大丈夫なのだろうか,,,)にでも、最低限、人間らしく生きて行けるだろうか」という社会保障に対する不安である。それが閉塞感を産む。
現状を鑑みると、年金、医療、福祉等の社会保障費というのは、私は、もう保険方式から税方式に切り替えていくべきでないかと思えてならない。
その上で、その租税を統合して出来るだけ明瞭に、解り易く簡素化し、必ず財源を確保するべきである(税なのだから、これは義務となる)。
これが本当に国民の社会保障を為し、諸々への不安、閉塞感を打破していく。
安心して生きる事が出来る。子をもうける事が出来る。
老後やアクシデントに際する未来への不安に起因する、貯め込んで貯め込んで貯め込まなくてもそれなりに安心して消費できる心的・物理的保障。
金も回る。(※リンク)
こういった、確かで、明るい未来への目標、そしてその方法論を国民に示し、ちゃんと説明すれば、私はこれが理解されると思う。
負担はしたくない、だけど保障はしろ。
しかも厚くしろ。減税減税。これでは成り立つ訳がない。
人が人として最低限、人間らしく生きてゆける為に、確かな社会保障を確立するには負担は必ず必要なのである。
消費税大幅アップを含め、これら税制の改革を論ずる上で反対論を張る人達は必ず、「行政の無駄のカットが必要で増税は許されない」等と言うが、そんなもの(行政の無駄カット云々)は当たり前の前提である。資源エネルギー効率も同じ、エネルギーのロスは何れにおいても改善すべき点で、常にやるべき事であり、その一点においては決して間違ってはいないが、これのみにより財源が確保できると言う様な論調はリアリズムが欠如している、と思う。だったらせめてその確たる数字を出さねば。だいたいからして、
じゃあ道路だとか諸々の公共事業投資をカットしようと言えばどっちかがそれはならんと言い、
じゃあ無駄、或いはコストパフォーマンスの低い部署をカット、及び「人件費」をカットしようと言えばまたどっちかがそれはならんと言い、、、
つまり背任であるロスはどちらであっても抑える事が出来るし必ずやらねばならないが、結局はプライオリティー、取捨選択の範疇にあるものは必ず意見がぶつかってそこまでの効果は、現状として実に出にくい。それでそこまで劇的に財源が確保出来るのか、という事である。(ただ、私はもっとやれると思うが。)
それと、
最近、埋蔵金だとかいうのが流行ったもので、
それは何かと言えば特別会計からの捻出という事だが、
外貨準備にしても何やら基金、公庫等にしても、結局それらは大体ストックを使う様な話で、そんなものを年度予算に組み込んで何とかなる、というのは極めて刹那的な方法論で、こんなものは私はやるべきでないと考える(※この部分についても以降相当述べた様に。関連リンク『家計から世界へ』)。どうせやるなら、債務償還か、先に挙げた国家ファンドといったストックの運用等で、それらの目的も(他角度からの情報収集と分析等といった可能性、経済活性、他)まずは債務償還へと向けるべきだ。そしてこれらは、経済や金融、通貨の信用度を担保する。つまりは安心感を産むのであり、昨今の世界的な経済・金融不安(からスタグフレーション状態)というのは中東に対する不安、直結しての供給不安など極めて多くの事象が絡み合って起きているとしたが、一方であるのがその最たる例であるサブプライム・ショック等にみる米国のものを見ても分かる様に、何度も言ってきたが、信用不安なのだ。
つまり、これ(財政における歳出カット<ウェイトの変化>と歳入アップ)は対立し相殺する様な問題でもない。
両方やればいいだけの話、必要条件とのバランスである。
故に財政状況を鑑みて、
その前に必要である前提条件が、プライマリーバランスの黒字化→財政再建である事にも変わりはない。
非常に小さな負担で厚いサービスを受ける、という理想の為には、それは科学技術の進歩革新が鍵を握っている。
人間社会のコスト、サービスの廉価化、生活レベルの底上げは最終的にはエネルギー問題に帰結する部分が、私は、大きいと思う。というののは以前述べた通りである。しかしそこでも無駄は省いていけば良いのであり、そういった境地に辿り着くまでは、相当分、必要不可欠な問題でもある。
基本的には地球温暖化・エネルギー問題と極めてリンクすると感じる。
そこに辿り着くまでは特に、両方必要なのであり、例えば先進国の中で唯一非協力的である(あった?)米国や、成長第一で環境(温暖化)規制には一切タッチしたくないとワガママ言うチャイナやインドなどの途上国というのは、極めて問題であるのだ。何度も何度も指摘しては注目してきた、まあ、エゴというものそのものである。経済成長、経済成長とまた自己利益・エゴ丸出しで近視眼的に盲進する事で、「地球」という人類が生存してゆく為に必要である環境、ハコそのものを破壊してしまったら何にもならないのだ。本末転倒である。
例えばこれは、イデオロギーや宗教などといった、人が幸せに生きる為の方法論で殺し合う様な本末転倒と同じである。
「地球」という決まったパイでの循環を考えねばならない。
それは科学と政治的な知、努力が相互に補完し得る形を目指すべきであり、どちらかのみに押し付ける話ではない。
そして、何度も言うが、自由とは最低限のルールの上にある。
本当にそう思う。
<08/7/25>
大宿題の一つである社会保障費については、保険(徴収)方式という形で、少子高齢化という事象を踏まえた保険形態・現状認識としての問題点、未納問題という致命的な問題点、そういった破綻状態をふまえ、このままダラダラと負の加速度がついた問題を放置するのは絶対によろしく無い。財源徴収のロス、未納には方式そのものへの不信や社保庁の悪辣な実態露呈による憤怒があり、このままでは本来あるべき財源確保のロスと納入者未納者の不公平や、後にそれを補填するインセンティブを考える時にもより大きな納入差額が懸案となる、それらの負の加速度が付いている。
以前から何度も指摘しているが、現在の少子化問題にしても(これは結局、国民総生産にも影響するよね)、例えば景気の伸び悩み、消費冷却、貯蓄過剰(市場の停滞)にしても、それらの根底には何が潜んでいるかと言えば、将来不安なのである。世間でよくいう所のセーフティネット。つまりは結局、「この将来、もしちょっと何かがあった時(ex 怪我・病気した、事業に失敗した、リストラされた、失業した。ローンがあるのに、子供が3人も4人もいるのに、、、そもそも老後も本当に大丈夫なのだろうか,,,)にでも、最低限、人間らしく生きて行けるだろうか」という社会保障に対する不安である。それが閉塞感を産む。
現状を鑑みると、年金、医療、福祉等の社会保障費というのは、私は、もう保険方式から税方式に切り替えていくべきでないかと思えてならない。
その上で、その租税を統合して出来るだけ明瞭に、解り易く簡素化し、必ず財源を確保するべきである(税なのだから、これは義務となる)。
これが本当に国民の社会保障を為し、諸々への不安、閉塞感を打破していく。
安心して生きる事が出来る。子をもうける事が出来る。
老後やアクシデントに際する未来への不安に起因する、貯め込んで貯め込んで貯め込まなくてもそれなりに安心して消費できる心的・物理的保障。
金も回る。(※リンク)
こういった、確かで、明るい未来への目標、そしてその方法論を国民に示し、ちゃんと説明すれば、私はこれが理解されると思う。
負担はしたくない、だけど保障はしろ。
しかも厚くしろ。減税減税。これでは成り立つ訳がない。
人が人として最低限、人間らしく生きてゆける為に、確かな社会保障を確立するには負担は必ず必要なのである。
消費税大幅アップを含め、これら税制の改革を論ずる上で反対論を張る人達は必ず、「行政の無駄のカットが必要で増税は許されない」等と言うが、そんなもの(行政の無駄カット云々)は当たり前の前提である。資源エネルギー効率も同じ、エネルギーのロスは何れにおいても改善すべき点で、常にやるべき事であり、その一点においては決して間違ってはいないが、これのみにより財源が確保できると言う様な論調はリアリズムが欠如している、と思う。だったらせめてその確たる数字を出さねば。だいたいからして、
じゃあ道路だとか諸々の公共事業投資をカットしようと言えばどっちかがそれはならんと言い、
じゃあ無駄、或いはコストパフォーマンスの低い部署をカット、及び「人件費」をカットしようと言えばまたどっちかがそれはならんと言い、、、
つまり背任であるロスはどちらであっても抑える事が出来るし必ずやらねばならないが、結局はプライオリティー、取捨選択の範疇にあるものは必ず意見がぶつかってそこまでの効果は、現状として実に出にくい。それでそこまで劇的に財源が確保出来るのか、という事である。(ただ、私はもっとやれると思うが。)
それと、
最近、埋蔵金だとかいうのが流行ったもので、
それは何かと言えば特別会計からの捻出という事だが、
外貨準備にしても何やら基金、公庫等にしても、結局それらは大体ストックを使う様な話で、そんなものを年度予算に組み込んで何とかなる、というのは極めて刹那的な方法論で、こんなものは私はやるべきでないと考える(※この部分についても以降相当述べた様に。関連リンク『家計から世界へ』)。どうせやるなら、債務償還か、先に挙げた国家ファンドといったストックの運用等で、それらの目的も(他角度からの情報収集と分析等といった可能性、経済活性、他)まずは債務償還へと向けるべきだ。そしてこれらは、経済や金融、通貨の信用度を担保する。つまりは安心感を産むのであり、昨今の世界的な経済・金融不安(からスタグフレーション状態)というのは中東に対する不安、直結しての供給不安など極めて多くの事象が絡み合って起きているとしたが、一方であるのがその最たる例であるサブプライム・ショック等にみる米国のものを見ても分かる様に、何度も言ってきたが、信用不安なのだ。
つまり、これ(財政における歳出カット<ウェイトの変化>と歳入アップ)は対立し相殺する様な問題でもない。
両方やればいいだけの話、必要条件とのバランスである。
故に財政状況を鑑みて、
その前に必要である前提条件が、プライマリーバランスの黒字化→財政再建である事にも変わりはない。
非常に小さな負担で厚いサービスを受ける、という理想の為には、それは科学技術の進歩革新が鍵を握っている。
人間社会のコスト、サービスの廉価化、生活レベルの底上げは最終的にはエネルギー問題に帰結する部分が、私は、大きいと思う。というののは以前述べた通りである。しかしそこでも無駄は省いていけば良いのであり、そういった境地に辿り着くまでは、相当分、必要不可欠な問題でもある。
基本的には地球温暖化・エネルギー問題と極めてリンクすると感じる。
そこに辿り着くまでは特に、両方必要なのであり、例えば先進国の中で唯一非協力的である(あった?)米国や、成長第一で環境(温暖化)規制には一切タッチしたくないとワガママ言うチャイナやインドなどの途上国というのは、極めて問題であるのだ。何度も何度も指摘しては注目してきた、まあ、エゴというものそのものである。経済成長、経済成長とまた自己利益・エゴ丸出しで近視眼的に盲進する事で、「地球」という人類が生存してゆく為に必要である環境、ハコそのものを破壊してしまったら何にもならないのだ。本末転倒である。
例えばこれは、イデオロギーや宗教などといった、人が幸せに生きる為の方法論で殺し合う様な本末転倒と同じである。
「地球」という決まったパイでの循環を考えねばならない。
それは科学と政治的な知、努力が相互に補完し得る形を目指すべきであり、どちらかのみに押し付ける話ではない。
そして、何度も言うが、自由とは最低限のルールの上にある。
本当にそう思う。
<08/7/25>
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