さて、
年次が大事だと述べていた訳だが、その様にピックアップしてみよう。
1870年代、財政難に喘ぐバチカンに資金援助を行ない取り入ったのがまたロスチャイルド家
1869〜1870年、第一回バチカン公会議(教皇首位説、教皇不可謬説等について)/1870年普仏戦争(プロイセン勝利)
1962〜1965年、第二回バチカン公会議。普仏戦争の煽りを食った第一回に比して、総じて大規模の会議となった模様。教会の現代化がメイン。オブザーバーとしてプロテスタントや東方正教会からの参加要請も(※これは異例の事)。
1974年、福音派世界伝導会議第一回/スイス、ローザンヌ
1989年、同第二回、マニラ
1870年代と言えば、日本では明治維新の激動期。
欧州関与方面で特筆するべきものはスエズ運河の開通。
1962年辺りと言えば、丁度「マッカーシズム」や「赤狩り」が沸騰中である時期。
キューバ危機、中印戦争(※ソ連インド支援/この頃からソ・中疎遠対立)。チャイナ文革、、、とこんな感じだ。ベトナムは開戦していて、この間にケネディーも暗殺された。Opecが結成し、7姉妹の資源支配が一応の終焉へ。
1974年。前年1973年に、Trilateral Commissionが設立される。何と言ってもこれだ。
そしてもう一つ第四次中東戦争。そしてオイルショック。
1989年、何と言ってもソ連崩壊。冷戦の終結である。
しかし直後から湾岸戦争(パパブッシュ政権時)、そして旧ユーゴスラビア紛争が始まる。
明らかに時代の流れに連動して動いているのが分かるだろう。
いや、当たり前にある連動でなくだ。
ここはしっかり言って置きたいのだが、
バチカン会議にしろローザンヌ系にしろ、会議内容もそうであり、
とにかく何かと言えば信者獲得、といった意図が、隠そうが滲み出ているのである。
時代の混乱や、人々の何かに付け入る様な振る舞いは、好かないな。
これでも大分抑えて述べている。
年次が大事だと述べていた訳だが、その様にピックアップしてみよう。
1870年代、財政難に喘ぐバチカンに資金援助を行ない取り入ったのがまたロスチャイルド家
1869〜1870年、第一回バチカン公会議(教皇首位説、教皇不可謬説等について)/1870年普仏戦争(プロイセン勝利)
1962〜1965年、第二回バチカン公会議。普仏戦争の煽りを食った第一回に比して、総じて大規模の会議となった模様。教会の現代化がメイン。オブザーバーとしてプロテスタントや東方正教会からの参加要請も(※これは異例の事)。
1974年、福音派世界伝導会議第一回/スイス、ローザンヌ
1989年、同第二回、マニラ
1870年代と言えば、日本では明治維新の激動期。
欧州関与方面で特筆するべきものはスエズ運河の開通。
1962年辺りと言えば、丁度「マッカーシズム」や「赤狩り」が沸騰中である時期。
キューバ危機、中印戦争(※ソ連インド支援/この頃からソ・中疎遠対立)。チャイナ文革、、、とこんな感じだ。ベトナムは開戦していて、この間にケネディーも暗殺された。Opecが結成し、7姉妹の資源支配が一応の終焉へ。
1974年。前年1973年に、Trilateral Commissionが設立される。何と言ってもこれだ。
そしてもう一つ第四次中東戦争。そしてオイルショック。
1989年、何と言ってもソ連崩壊。冷戦の終結である。
しかし直後から湾岸戦争(パパブッシュ政権時)、そして旧ユーゴスラビア紛争が始まる。
明らかに時代の流れに連動して動いているのが分かるだろう。
いや、当たり前にある連動でなくだ。
ここはしっかり言って置きたいのだが、
バチカン会議にしろローザンヌ系にしろ、会議内容もそうであり、
とにかく何かと言えば信者獲得、といった意図が、隠そうが滲み出ているのである。
時代の混乱や、人々の何かに付け入る様な振る舞いは、好かないな。
これでも大分抑えて述べている。
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